「もういいのか?」
気配に気付いたジンが振り返って声をかける。
シュウは歩きながら食事中はずしていた剣を装備し直し、ユウヒはそのままジンに駆け寄った。
「けっこうあるね、荷物。これで全部?」
「あぁ」
そう言ったジンは腕を伸ばし、ユウヒの頭をぐいっと自分の方へ近づけた。
「必要最低限は持たせるが、その他のもんはあっちで俺の羽根に用意させる。そのうち接触してくるから、何か要りようならそいつに言ってくれ」
「わかった。ありがと、ジン」
ユウヒはそう言って、目線だけをジンの方に動かしてくすりと笑った。
頬が触れ合うほどに寄り添って耳打ちするジンに、ユウヒはもうすっかり慣れっこになっていたが、初めてそれを見たシュウはどうしていいものかと後ろで固まっていた。
「えぇ……っと別れの挨拶みたいな、その……あれ、ですかね。俺ひょっとして、邪魔?」
近寄りづらいのか、シュウの足が止まる。
ユウヒは慌ててジンから離れてシュウに言った。
「あ! あぁ、あの、ごめんなさい。そういうんじゃないから。って、さっきも言ったでしょう! ジンとはそういうんじゃないの」
「あぁ、そうだぞ。妙な勘違いすんじゃねぇよ、将軍様。失礼だぞ、俺にだって選ぶ権利がある」
ジンがユウヒの言葉に続く。
呆気にとられたシュウは、よれた声で言った。
「へ? そうなの? なんか近寄りがたい雰囲気だったんだけどなぁ。今朝、やっぱり襲い損ねちゃったとか?」
シュウのその言葉にジンは何も言わず、ユウヒは怒ったような顔でジンを睨みつけていた。
漆黒の翼などというものをやっているせいなのか、ジンが身に纏う空気を即座に変えられるらしい事にユウヒは気付いていた。
殺気だって他を寄り付かせないのは簡単だが、相手がシュウでは勘繰られる。
だがシュウが勘違いしたように、二人の仲がただならぬ仲ではないかと、少なくともジンは相手に、つまりこの場合はユウヒに想いを寄せているように思わせるだけの空気を瞬時に漂わせることによって、いわゆる業務連絡も相手に妙な疑問を持たせることなく伝えることができる。
悪趣味なようだがこれはかなり有効で、そういった雰囲気の二人のところに割り込んでこようとするものはかなり限られる。
ジンか、もしくはその相手に好意を抱いている者だけ、ということだ。
色恋沙汰となれば、割り込むのも、話の内容を問い質す事も無粋だということで、大概の者は近付いてもこない。
ユウヒは内心呆れてはいたが、文句をつける理由もなく、いつもされるがままにしていた。
「何かあるなら、俺、はずしますけど?」
シュウが困ったように言うと、ユウヒはジンの腹を一発殴って、シュウに微笑みかけた。
「本当にそういうんじゃないんですから。馬鹿は放っておいてね、シュウ」
その怒りが見え隠れするようなユウヒの引き攣った微笑みに、シュウはただ頷くしかなかった。
ジンは殴られた腹を擦りながら、ユウヒとシュウの方を向いて言った。
「こんな凶暴な女に俺が惚れるか馬鹿……で、そっちの準備はいいのか、将軍様」
「え、えぇ。大丈夫です。いや、その、ジンさんこそ大丈夫ですか?」
「鳩尾狙いだよ、あの女。道中気を付けろよ、あんた」
「あぁ、それは大丈夫。俺、人のもんには手を出しませんしね」
その言葉にジンが驚いたようにユウヒを見た。
「お前、誰かのもんなのか?」
今度はユウヒが驚いたように言った。
「え? いや、そういう自覚はないけど……」
「あからさまに狙ってるのがいるでしょう? さすがにあれではね、誰も面白半分でちょっかいは出せないよ」
シュウの言葉にジンとユウヒが顔を見合わせる。
ある男の顔が二人の頭に同時に浮かんだ。
「……なるほどな」
ジンはそう言って小さく笑った。
その後方で騎獣が待ちくたびれたように声を上げる。
シュウとユウヒはハッとしたように顔を上げて騎獣の方を見つめた。
「そろそろ行くか?」
そう言ってシュウが騎獣の方へと歩き出す。
ユウヒも続いて騎獣に近付いていったが、手綱に手をかけたところで踵を返し、ジンの方へと戻っていった。
すでに騎乗したシュウが何事かと不思議そうに見つめる中、ゆっくりとジンのもとに歩み寄ったユウヒの腕が、振り向いたジンの首に絡みついた。
「…………!」
シュウは思わず目を逸らした。
どこからどう見ても、それは恋人同士の抱擁にしか見えなかった。
「ジン……」
囁かれるユウヒの声が、ジンの胸元で小さく響く。
「絶対に私、帰ってくるからね」
再会を約束する、何という事のないこの言葉も、今のユウヒの言葉だからこそ全く違う意味合いを持って重く心に突き刺さる。
――黄龍を解放し、必ずこの国に生きて戻り、玉座をとりにいく。
その言葉はユウヒの決意表明だった。
微かに震えるユウヒの肩を、ジンはしっかりと抱きしめる。
「わかってる。こっちの事はまかせておけ」
「……うん」
ゆっくりと体を離した二人の目には、シュウが知るはずのない決意の光が宿っていた。
「じゃ、私行くね」
軽く手を上げて別れを告げたユウヒは、そのまま駆け出して騎獣の背に飛び乗った。
やっと出発の時を迎えられた事に、騎獣達が喜びの声をあげる。
背後から、ジンの煙草のにおいが漂ってきた。
手綱を手に、二人がとんと小さく腹を蹴って合図をすると、二頭の騎獣は大地を蹴って、大空に向かって駆け始めた。
「では、ジンさん。ユウヒは無事、ルゥーンまで送り届けますので」
「あぁ」
「行ってくるね、ジン」
「おぉ」
気のない返事とは裏腹に、ジンの視線はまっすぐにユウヒを見つめている。
その視線に静かに笑って答えると、シュウとユウヒは一気に速度を上げて、西に向かって駆け出した。
東の空から一筋の光が伸びて天空を貫く。
雲の隙間から、一日の始まりを告げる明るい光が漏れ始めた。
温かい光を背に受け、煙草の煙を燻らせながら、ジンはもう何も見えなくなった西の空をいつまでも見つめていた。