ユウヒがジンの店に来てから二日目の夜明け前。
まだ暗いその時間に、ユウヒの部屋の扉が音も立てずに静かに開いた。
そしてその扉が再び音もなく閉められると、静寂の中に人の気配が紛れ込んでいた。
いや、正確にはそのような気配などまるでなく、ただ闇に紛れて何者かがそこにあった。
当のユウヒはと言うと、まだぐっすりと眠ったままだ。
その侵入者は部屋の中を物色するでもなく、まっすぐにユウヒの方へと歩いていくと、寝台の傍らに膝をついた。
全く気配がなかったにも関わらず、目を覚ましたユウヒの双眸がすぐ横にいる者をそのぼんやりとした視界の中に捉えた。
「誰?」
囁くような小さな声でユウヒが問うと、悪びれもせずに侵入者は返事をした。
「起こしちまったか? 悪かったな」
聞きなれたその声に、ユウヒはゆっくりと体を起こした。
その背に声の主の手が添えられる。
ユウヒが腰をずらして一人座れるだけの場所を空けてやると、遠慮する様子すら見せずに声の主が寝台に腰を下ろした。
「……何、どうかした? シュウがもう迎えに来たの?」
「いや。将軍様はまだだ」
ユウヒは少し考えた後、呆れたように言った。
「もう少し躊躇うとか遠慮とかないの、ジン。私、女なんだけど」
「ここに座れって空けてくれたのお前だろ? まずかったか?」
「部屋に入ってきたことを言ってるの」
「あぁ、そこか」
「そこよ」
わざとらしくユウヒが溜息を吐くと、ジンは笑いながら言った。
「まぁ、別に襲ったりはしねぇよ、気にするな」
「馬鹿! そういう問題じゃない!」
「でも言わせてもらえば、お前だってひでぇもんだぜ? 目を覚ましたら男がすぐ横にいたってのに驚きも逃げもしねぇ。それどころか寝台に座れときたもんだ。失礼なのはお互い様だろ」
予想しなかった切り返しを受けて、ユウヒが思わずぐぐっと口籠もると、ジンは勝ち誇った様に薄笑いを浮かべて言った。
「なんなら、やっぱりこれからでも襲ってやろうか?」
追い討ちをかけるはずのジンの言葉は、逆にユウヒを調子付かせた。
「出来もしない事言っても駄目だよ、ジン」
「ほぉ?」
ジンは嬉しそうな顔でユウヒの方へ身を乗り出した。
「わかんねぇぞ? 俺は男でお前は女だ。俺がその気になりゃ……」
「ジンはそうならないって言ってんの」
目を逸らさずにそう言ったユウヒの喉元にジンの手が伸びる。
それでもユウヒは恐れる様子すら見せなかった。
「なんでそう思う?」
低く響くジンの問いに、ユウヒは静かに息を吸って答えた。
「私が、替えのきかない手駒だからだよ」
すぱっと言い切られ、ジンは残念そうにユウヒから手を離した。
「かわいくねぇなぁ、ホント」
「でも、当たりでしょ?」
それを聞いて、ジンは静かに笑った。
枕を背もたれのように立てて座りなおしたユウヒが、あらためてジンに訊いた。
「で、用事は何? 妙な問答するためなんかにわざわざ起こしたんじゃないでしょ?」
「あぁ、そうだった。サクから連絡が入った。お前の剣、できたみたいだぞ」
ユウヒが嬉しそうに身を乗り出した。
「間に合ったんだ! 良かったぁ…って、あれ? なんでサクから?」
「スマルからサクの方に連絡が行ったらしい。お前がここにいるなんて、あいつは知らないだろうからな」
「あぁ、そっか。で、ジンの用事は何なのよ。それでもないでしょ?」
「……お前、ほんっとにかわいくねぇなぁ」
「何よそれ? あぁもう、いいや。私起きるよ」
ユウヒはそう言って背中に当てていた枕をジンに投げつけた。
「何だよ、いきなり」
「出てって」
「なんで?」
とぼけた顔でそう言ったジンが、ユウヒの枕を投げ返す。
「着替えるから。いくら何でも、目の前で平気な顔して着替えられない程度には、ジンのこともちゃんと男って認識してるって事よ。良かったわねぇ、ジン!?」
枕を受け止めたユウヒが呆れたように言うと、ジンは残念そうに立ち上がった。
「そういう事なら徹底的に男扱いする必要ねぇのに」
「馬鹿! 早く出てけ!」
勢いよく投げ返された枕をひょいっと避けると、ジンは笑いながら部屋を出て行った。
扉の向こうから店で待っているという声がした後、ジンの気配はその場から完全に消えた。
それから慌しく着替えを済ませ、身支度を整えたユウヒが店にいくと、ジンは煙草を吸いながら二人分のお茶を用意して待っていた。