「どうしてさっき、その木箱が気になると答えなかったんです?」
「……! いらしたんですか」
いつの間にか戻ってきていたショウエイが、扉の前に立っていた。
衣擦れの音とともに近付いて来るショウエイの顔には冷たい笑みが浮かんでいる。
顔にかかった後れ毛が吐息に揺れた。
「逆に私の方が試された、とか?」
怒っているわけでもなさそうだが、静かに低く響くショウエイの声には妙な迫力があった。
サクは動じることなく切り替えした。
「そんな事をしてどうなるんですか。本当にさっきは何もわからなかったんですよ。仕事を任されて、ゆっくりと一つ一つ見て行って、何となく気になったんです。でもそれが何故かわからないから呪を解いて良いものか聞いたんじゃないですか」
サクの言葉にショウエイは何も返さず、ただ静かに微笑んだのみだった。
何の含みもなさそうなその微笑を見て、サクは苦笑して口を開いた。
「これを探してはいたんです。この国では戴冠の儀式がない代わりにこの壷が即位の際に新王の手に手渡されます。それを手にしたものがこの国の頂点に立つとされているからですが…」
サクは目の前に置いた壷をまじまじと見つめた。
「木箱に二重の呪を施し、さらにはどんな印を持ってしても解かれることのないこの壷には…いったい何があるんでしょうね」
そう言って、サクの視線は壷からショウエイに移る。
ショウエイはその視線を受けて頷くと、すぐ様サクに問い返した。
「あなたがこれまで目にして来た文献に、これについての記述はなかったのですか?」
サクは首を横に振ることでショウエイの問いに答えた。
「そう、ですか」
そう言って壷を木箱に戻し、元のように上板をはめ込むと、ショウエイは一つ一つを追いきれないほどの速さで印を結び、元のようにまた木箱に二重の呪を施し封印した。
全て完了したのを見届けたサクが、木箱を元の棚に戻す。
ショウエイは意味ありげにその様子を眺めていたが、ふっと小さく息を吐くとサクに一声かけてまた執務室の方へと戻って行った。
また奥の間に一人になったサクは一つ大きく伸びをすると、その後はショウエイに声をかけることもなく、必要なものを一つ一つ確認してはその場所を目録に記し、その名称の横に必要な術師の条件などを詳細に書き記していった。
そして全ての作業を終わらせてサクがもう一度ショウエイのいる執務室に戻った時には、外はもうすっかり夜になっていた。
「終わりましたか」
長椅子に体を預け、何か物思いに耽っていたショウエイが、サクの気配にその身を起こした。
「はい。全てこちらに書いてある通りに…おそらく、城内にいる者だけで事足りるかと思います。必要であれば私も動きますし。とりあえず術者の手配は明日からという事にします」
「そうですか。ありがとう、サク。もっとかかるかと思いましたがあっという間でしたね、ご苦労様でした。今日はもういいですよ」」
ショウエイの言葉にサクは丁寧に拝礼して、春大臣執務室をあとにした。
執務室に残ったショウエイはまたゆったりと長椅子にその身を預けると、扇を手にまた考え事を始めた。
春大臣となってからもう何年が経っただろうか?
大臣として迎える初めての即位式を前に、ショウエイの心は大きく揺れ動いていた。
あれ以来、ジンからの連絡や指示はない。
サクからも何を言われるわけでもなく、ただ当たり前のように即位式の準備が進められている。
春省の長としては、その全てが滞りなく執り行われるように万全の態勢を整えておくだけだ。
ショウエイは見落としがないかと何度も何度も頭の中で、その全ての段取りを反芻した。
予定通りに事が進み何もなければ、もう半月もしないうちに新しい王がこの国の頂点に立つことになる。
ショウエイはサクから渡された目録に一通り目を通しゆっくりと立ち上がると、その目録を手にしたままで奥の間へと足を運んだ。
部屋の中をゆっくりと廻りながら、目録にある品の場所を一つ一つ確認していく。
全ての確認を終えたショウエイは執務室に戻ると、長椅子にもう一度腰を下ろしてその膝に目録を置いた。
少しだけ息を吐き、また忙しなく両手を動かし始める。
手の動きが止まりショウエイが目録に手を翳すと、紙の上の文字が生きているように動き出し、勝手混ざり合い、何が書かれているものなのか、全く持って意味不明の書状となった。
その後また数回手を動かしたショウエイは、最後にずんとその紙の上に両手を置いた。
すると大きな古代文字が一つ現れ、次の瞬間、目録だったその紙は何も書かれていないただの真っ白な紙となった。
ショウエイはそれを四つに畳み、そのまま自分の襟に仕舞いこんだ。
そしてゆっくりと執務室を出ると、報告を待つ王や側近達のいる塔の方へと足を向けた。