クジャ王国王都、ライジ・クジャ。
いつものように賑わうその町にひときわ高く聳える三つの塔。
王宮をぐるりと囲む城壁の内側で、それを見上げてふと足を止めたサクは大きな溜息を吐くとまた歩き始めた。
新王の即位が近付いている。
祭祀・儀礼を司る青龍省、通称春省の官吏、春官であるサクは、連日その準備のため城内を駆け回っていた。
上からの指示で各省との繋ぎの必要はもうなくなっているものの、儀礼における詳細となるとやはり調べるよりは知ったものに聞いた方が早いとサクに声がかかる。
何とも無責任で、それ以上にあまりに情けない話だと呆れながらも、それを跳ね除けられるだけの地位にサクはいない。
呼ばれれば応じるしかなく、自分の仕事に手を着けられるのはいつも日も暮れかかった夕刻からだった。
逃げ込むように自分の執務室に入ったサクは扉を後ろ手に閉めると、今日何度目かの大きな溜息を吐いた。
「お疲れ様、サク。また今日も随分とあちこち飛び回っていたようですね」
「こ、れは…ショウエイ殿。どうしてこちらに?」
サクは慌てて服装を正して拝礼した。
ショウエイは青龍省、通称春省の頂点にいる、春大臣である。
彼はだいたい自分の執務室のある青龍殿にいて、用事がある場合はそこへ呼びつける。
大臣自らが出向いていく事はほとんどない。
それがなぜか今回は、ショウエイの方からサクの執務室へと足を運んだようだ。
何事かとサクの顔に訝しげな色が浮かぶと、ショウエイは柔らかく微笑して言った。
「そんな怖い顔をしなくとも、お仕事の邪魔なんてしませんよ」
「いえ。別にそういうつもりでは…」
少しだけ開いた扇で口許を隠してそう言うショウエイに、サクは思わず苦笑した。
遠巻きに見ている女官達にお茶を淹れる様に指示をしたサクはショウエイに椅子をすすめたが、ショウエイはそれをやんわりと断わると興味深そうにサクの執務室をぐるりと見渡した。
「あの…何か?」
サクがもう一度訊ねた時、パチンと扇を閉じる音が室内に響いた。
ショウエイは書棚に歩み寄ると、扇の先でずらりと並んだ書物を指して言った。
「ものすごい量ですね。これ全部、読んだんですか?」
「え? あぁ、はい。そうですね、ここにあるものは全部」
そう答える事を知っていたかのように申し訳程度にショウエイは頷き、また口を開く。
「でも、ここにあるもの全てに目を通したところで、あれだけ広く深い知識は手に入りそうにないですね。他にもどこかで相当な量の書を、読んでいるように思えます」
何を聞き出そうとしているのか皆目見当もつかないが、聞かれてまずい類の話ではない。
サクは女官の持ってきたお茶を自分の机に置くように促し、ショウエイの問いに答えた。
「幼い頃、とても世話になった方がいたんです。その方がとても貴重な書をお持ちで…それを片っ端から読んだのです。それらが思いのほか、今の私を支えております」
ショウエイの涼やかな視線がすぅっとサクの方に移る。
サクは逃げることなく、その視線を真正面から受けた。
ショウエイが静かに微笑む。
「そうですか。おかげで私も、他の省の大臣達も非常に助かっていますよ、サク」
「…ありがとうございます」
さほど嬉しそうな様子も見せずにサクは礼を言って軽く頭を下げた。
「で、他の省での用事は、もう済んだのですか?」
どうやら本題に入ろうとしているらしい。
サクは少し考えてから、終わりましたと返事をした。
「それではこちらにかかりきりになってもらいましょうか。私が直接下を動かしても良いのですが…大臣の私が直々に指示を出すとどうも妙な力が入るようでね、皆お話にならない駄目っぷりで…」
それを聞いて思わずサクは苦笑した。
ホムラ様という存在を尊重するようなお国柄、春省の仕事はかなり重要視されている。
もちろんどうにも馬鹿らしくなるような仕事がないわけではないが、そんなものは極一部でしかなく、この国の礼典、祭典、諸々の儀式、祭事、王宮内での様々な催し事には伝統や格式など多くの約束事が存在し、それらには必ず何かしらの理由がある。
それを理解した上で、その全てを仕切るのが青龍省、すなわち春省の仕事なのである。