「したい事と、すべき事…ですか」
「あぁ、そうだ。どうする?」
いったい何の問答かといった顔で、やっと落ち着いて涙の止まったリンが様子を窺っている。
背に添えた手はそのままに、そんな娘には目もくれずにヨキはスマルを見つめたままだ。
スマルはというと、胡坐をかいた膝をつかむ手に力が入る。
ヨキの問いに対する答えを探して、宙を睨み、ひたすら思案していた。
「答えを出すのは、容易ではないだろう?」
わかっていたようにヨキがそう言うと、スマルはただ黙ってこくりと頷いた。
「そう簡単じゃない。だから考えろ、ずっと考え続けろ」
「ヨキさん…いったいどうしてこんな…っ」
スマルは問い返したが、ヨキは何とも複雑な色の笑みをうっすらと浮かべただけで何も言わなかった。
そして傍らにいるリンにここで待つように手短に告げると、スマルを見据え、立ち上がった。
「さ、スマル。ユウヒが待ってるんだろ? そろそろ行きなさい」
「…はい」
スマルも続いて立ち上がる。
心配そうに自分を見つめるリンに対し、スマルは大丈夫だと言って笑みを浮かべた。
部屋を出て、縁側に腰をおろして履物を履く。
帯剣し、荷を背負い、ユウヒの剣を大事そうに抱えると、奥から履物を履いてヨキが出てきた。
「ちょっとそこまで見送ってくるよ、リン」
部屋の中にいるリンに声をかけると、ヨキはスマルの肩をぐいっと押して外に出るように促した。
スマルはリンに軽く頭を下げると、されるがままに離れをあとにして道に出た。
普段であれば人通りもある時間だが、今日はまるで何か示し合わせたかのように人気がない。
きょろきょろと周りを見渡すスマルに、ヨキが気にするなと言った。
「ヨキさん。何か知ってるんですか?」
スマルはどうしても気になってヨキに訊いた。
ヨキは驚いたように目を見開き、すぐにいつもの顔になってそれに答えた。
「さてね。まぁいろいろ聞いちゃいるから、自分なりにいろいろ考えてみたりはしたけどね」
「聞いちゃいる…って、誰から何を? なんであんな事聞いたんです? どうして俺の迷いがわかってるような、そんな事を言うんですか?」
スマルがそう言うと、ヨキは隠しもせずにさらりとその答えを言ってのけた。
「なぜってかい? そりゃお前、私が三本目だからだよ。聞いてないのかい?」
「えっ? 三本目、ッスか?」
スマルが戸惑いの視線でヨキの事をまじまじと見つめる。
ヨキはどこをどう見てもしれっとして、動揺の色も何もなかった。
そしてそれ以上の説明をしようとはせず、ただスマルを見つめてヨキはそのまま話し続けた。
「あの子が蒼月で、スマル、お前が土使いだなんて…何ともまぁめぐり合わせっていうもんは面白いねぇ」
そういうヨキの口許は傍目にはほとんど動いておらず、何を言っているかもすぐ近くに立っているスマルでさえ聞き取るのがやっとだった。
ヨキはまだ話し続けた。
「スマル。土使いであるお前にとって、ルゥーンは特別な場所だ。わかってるね?」
確認するように言われて、スマルの顔色が少し蒼褪めた。
そんなスマルの背をヨキがどんと叩く。
「わかってんならいい。そのためのさっきの話だ。しっかりおやりよ」
「ま、頑張ってみますよ…」
スマルはそう言って、力なく笑った。
すると今度はスマルの迷いを断ち切るかのようなはっきりとした声で、ヨキは別れの言葉を口にした。
「じゃぁスマル。道中気をつけていくんだよ。騎獣は街道に出たら借りるといい。歩いていこうなんて思っちゃだめだよ」
歩きでは砂漠に着く前にへばってしまうからと笑うスマルに、ヨキも変わらぬ笑顔で声をかけた。
「そうだ、その顔を忘れずにね。暗い顔してたらあっという間に闇に飲まれる。踏ん張るんだよ、スマル」
「はい。あ、ヨキさん。さっきの三本目っていうのはいったい…」
スマルはやはり気になるらしく、食い下がるように聞いてきたが、ヨキは首を振ってスマルの背をさらに強くどんと叩いた。
「何の話だい、そんな事言ったかねぇ? それよりほら、早くお行きよ。ぼやぼやしてると置いてかれるよ!」
「いや、それはないっしょ。それよかヨキさん…」
もうちょっと粘ろうとするスマルだったが、ヨキの含み笑いの顔を見て、何を言っても無駄だと悟った。
何かはわからないが、ヨキも自分達のために動いてくれているらしい。
小さい頃からヨキに世話になっているスマルは、これ以上ないような心強さを感じた。
スマルの様子からヨキもそれを感じ取ったのだろう。
「大丈夫大丈夫。お前なら大丈夫さ」
ヨキはまるで小さい子どもの手柄でも褒めてやるように、スマルの頭を無造作にガシガシと荒っぽく撫でた。
不覚にも泣きそうな気分になってきたスマルは、それをごまかすようにぐいっと顔を上げると、ヨキに向かって不自然なくらいの満面の笑みを浮かべた。
「じゃ、ヨキさん。いってきます」
「あぁ。行ってらっしゃい。体に気を付けるんだよ、スマル」
「はい」
肩をぽんと叩くヨキにスマルは小さく頭を下げると、照れくさそうな笑みを浮かべて踵を返した。
最後の最後になってもヨキは、ユウヒを頼むとは言わなかった。
まるで何もかも見透かしたようなヨキの態度が、スマル自身戸惑うほどに嬉しかった。
歩き出したスマルに、何者かの声が聞こえてくる。
――変わった女だな。何者だ?
自分の内側に響いてくる低い声に、スマルはあえて小さく声を出して答えた。
「ありゃユウヒの、蒼月の母親だ」
――そうか、蒼月の…。
そう言ったきり静かになる。
スマルはこのところ、ずっとこの声に悩まされてきた。
四神やユウヒ達から、様々の声に対して『閉じる』ことを教えてはもらった。
だがこの声はそんなことおかまいなしに話しかけてきた。
スマルがまいっているのはその声が聞こえてくることではない。
ある時からその声が、自分の事をある名前で呼び始めたことだ。
声の主は黄龍。
土使いであるスマルは、その意思を感じ取ることができる。
だからこそ、これから先に待ち受けている自分の運命に、心が大きく揺れているのだ。
「黄龍…――」
スマルはそんな自分を奮い立たせるように、声の主に向かって呼びかけた。
「あともう少しだ。もうちょっとで、お前のところに行くからな」
動揺も戸惑いも、不安も何もかも、内に潜む黄龍には隠し立てができるものではない。
情けないとは思いながらも、スマルにはどうしようもなかった。
そんな様子をまるで楽しんでいるかのように、笑いを含んだ低い声が響いた。
――あぁ。待っている。早く来い、『器』…――。
苦しそうに歪んだスマルの顔を、生暖かい風がするりと撫でて通り過ぎて行った。