「でも、すごく大切な事でしょう」
そう言ったリンの声があまりにも力を持っていて、スマルは驚いたようにリンに視線を戻した。
リンは冷やかすでもなく、さきほどまでのように説教をする様子でもなく、だがまっすぐにスマルの事を見つめていた。
「スマルさん。姉さんは泣いてますか? 誰か甘える人はいるんでしょうか…何でもないって頑張りながら、また眠れない毎日を送ったりしてないですか?」
その勢いに思わず言葉を飲み込んだスマルは、リンの視線から逃げられなくなっていた。
リンは目を逸らさず、そのまま続けた。
「姉さんの事が心配で仕方がないんです。ちゃんと居場所はありますか?」
――こいつは…。
スマルの顔から戸惑いの色が消え、その代わりに優しい笑みが浮かんだ。
リンの目から涙がこぼれる。
スマルはそれを指で拭ってやり、それからリンの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「お前は優しいな、リン。あいつなら大丈夫だよ…俺もいる、サクもいる。虚勢張って踏ん張って、思いっきり泣いて、また立ち上がって前に進んで…自分にできる事探しながら、一生懸命やってるよ」
「うん…うん…」
「大丈夫。大丈夫だから…だからお前が泣くな、リン」
「…うん……」
「なぁ、お前が妙な責任感じる必要とかねぇんだぞ、リン。あいつにはあいつの運命があった、それだけだ。お前、どっかで自分のせいであいつの運命狂わせたっとか、思ってねぇか?」
スマルの言葉通りだった。
あの祭の夜。
神が自分の身に降りてきたあの時、姉のユウヒを選んだのは自分だった。
その時は自分が何をしたのかよくわからなかった。
後日、誰に言われるよりも前に、姉がこの国の真の王なのだと、自分が王を選んだのだという事に気付いた。
ホムラ様として城に上がり、国の仕組みがいろいろとわかってきた。
そしてしばらくして、大臣など城にいる重鎮達により時期国王に恋人であるシムザが選ばれた。
リンはもうどうしたらいいのかわからなくなっていた。
王として振舞い始めるシムザと、真実を知りながらどうする事もできない自分。
女官のカナンに支えられてどうにか自分を保ってきたが、ふとした拍子に様々な重圧のせいか、闇の中に叩き落されたように目の前が真っ暗になるようになった。
闇の中に閉じこもった時には何も考えなくてすむ。
だがそれではいけないと、どうしても内側から叫ぶ声が消えないのだ。
リンは張り裂けそうな想いを抱えて、全てを知るカナンと共に休養という名目で故郷ホムラ郷に逃げるようにやってきたのだ。
スマルはそんなリンの胸中を見抜いていた。
張り詰めていたものがはじけたように、リンの目から涙があとからあとから溢れてきた。
スマルは何をするでもなく、だがリンのそばを離れなかった。
――リン…。
心配そうにリンを見つめるスマルの視界の隅に人影がよぎった。
ふっとその方向に視線を移すと、何やら苦笑いを浮かべたヨキが二人の方へ近付いてきた。
「おいおい、スマル? 泣かせる相手、間違ってんじゃないかい?」
そう言ってスマルの頭を少し楽しげに引っぱたくと、ヨキは障子戸の方を向き、中に入るようにとスマルとリンに促した。
娘に寄り添うように立ったヨキが、リンを支えて離れの一番奥の部屋に入る。
スマルも履物を脱ぎ縁側に上がると、そのまま二人の後を追った。
「入ったらそこを閉めて、スマル」
背筋をしゃんと伸ばして座るヨキがスマルにそう声をかける。
スマルは言われた通りに障子戸を閉めると、そのままヨキ、リンと向かい合うようにして胡坐をかいて座った。
「久しぶりだね、スマル。今日発つのかい?」
リンを気遣うようにその背を擦ってやりながら、ヨキはスマルに聞いた。
スマルは結果的に自分がリンを泣かせてしまった事を気にしながらも、視線はまっすぐヨキに向けて言った。
「はい。国境いで合流する事になっています」
「そうか…この子も、ユウヒも、娘達がいろいろ面倒をかける。すまないねぇ、スマル」
「いえ、そんな風に思っちゃいないッスよ」
スマルがそういうと、ヨキは少し安心したのか、その顔に微かながら安堵の色がちらついた。
ヨキはリンの背に手を置いたまま話を続けた。
「スマル。いろいろ難しい部分もあるだろうけど、思うようにおやりよ? ユウヒにずっとついててやれだとか、そんな事を私は望んでやしない。この子が何を言ったか知らないけれど…スマル、お前はお前の思うようにやりな。それがどういう道であれ、お前が選んだ道なら誰に何を言われようと自分を信じて進んでいくんだよ」
誰にも言っていないはずのスマルの内なる葛藤に気付いているようなヨキの言葉だった。
「…はい」
そう答えたスマルの心の奥底で、何かがまた一つ大きく変わろうとしていた。
「なぁ、スマル」
ヨキは続ける。
「はい」
スマルも素直に返事をした。
「したい事とすべき事。どちらかを取らなくてはならなくなった時、お前ならどうする?」