想いの在り処


「何か、あったんですか? スマルさん」

 驚いたように、振り返った自分の肩越しにリンの様子を窺う。
 リンは少し首を傾げて、心配そうにスマルを見つめていた。

「お目付け役って、サクさん、ですか?」

 神妙な顔をしているリンが可愛らしくてスマルは思わず噴出しそうになった。
 それがどうやらリンにはお気に召さなかったらしい。
 盛大に溜息を吐いてから、リンは説教をするような口調で喋り始めた。

「何をのん気に構えてるの、スマルさん! お目付け役がいるとか言っちゃって、姉さんの一番近くにいるのはスマルさんじゃないんですか!? そんな事ではサクさんに姉さん持っていかれちゃいますよ!!」

 一瞬の間…――。

「…へ?」
「へ、じゃないですよ、もう!」

 リンの説教はまだまだ続く。

「小さい頃から私のお兄ちゃんになるのはスマルさんだろうなって思ってたのに、そんなんでいいんですか? もっとしっかりしてよ! あぁ、もう…お茶なんて出すんじゃなかった!」

 こういう時、相手がスマルだとリンは容赦なかった。

「うぇ…お茶くらい飲ませてくれたって…」
「だって! 何だか完全に諦め入ってるように聞こえましたよ、さっきの。これから姉さんのところに行くっていうのに、何だか全然のんびりだし。髭剃ってすっきりしたからって、姉さんの気持ちはそんなんで動かないんだから!」
「いや、お前っ、髭はもうこれ、全然関係ねぇじゃん」
「口答えしない!!」

 昔から妹のように可愛がっているリンは、ホムラ様になった今でも幼かった頃と変わらない。
 姉の事となるととにかくムキになって突っかかってくるところも、どこか的外れのようだけれど一所懸命なところも、どれもスマルのよく知っているリンの姿だった。
 自然、顔が緩んでしまうスマルに、リンがまた怒り出す。

「何笑ってるんですか!?」

 その場を取り繕おうにも、スマルにはリンに返す言葉が見当たらない。
 リンの説教はまだ続いていたが、スマルは笑いをこらえて嵐が通り過ぎるのを待つことにした。
 勇ましい説教はどれくらい続いていたのか、ふと我に返ったようにリンは立ち上がってスマルの横に腰を下ろした。

「はぁ…もう。スマルさんって、本当に怒り甲斐がないっていうか…嫌になっちゃう」

 リンはそう言って、足をぷらぷらと揺らしている。
 裸足の肌がとても白くてきれいだった。
 スマルは何となく目を逸らし後ろに手をついて背を反らすと、溜息混じりにつぶやいた。

「トーマさんにも、さっきけしかけられたんだよなぁ」
「…え? 何をですか?」

 リンが興味津々でスマルの顔をのぞき込む。
 スマルは天を仰いで一瞬おくと、少し躊躇いがちにぼそっとこぼした。

「ドヘタレってさ」

 リンは思わず噴出して、笑いながら同感と一言言った。

 昔と変わらない様子でこうして話をしていると、何もかもが嘘のような気がしてくる。
 ただ、すべてが現実だとスマルを強引に引き戻すものがあった。
 それは、日増しに大きくなってきた、頭の中に響く声――。
 間違いなく、それは黄龍が自分を呼ぶ声だった。

 何も言い返してこないスマルに、リンが不思議そうに首を傾げてその様子を窺う。
 スマルはそんなリンに気付いて、慌てて座り直して言った。

「まぁ、何とか…ぼちぼちやりますって」

 力のないその言葉にリンは先ほどまでの勢いが嘘のように、心配そうに言った。

「何か、あるんですか?」
「ん? 何か、って?」

 ハッとした様にスマルがリンを見る。
 リンはそのまま言葉を継いだ。

「いえ、何かちょっと変かなって思っただけなんだけど…あ、ま…まさかもう姉さんに振られちゃった、っとかですか?」

 思わずスマルがむせ返る。

「ご、ごめんなさい…」
「ごほっ…ごほっごほっ…い、いや、そんな気にするような事は…ぁっ」

 そこまで話してまた咳き込むスマルの背をリンは慌ててゆっくりと擦った。
 ゆっくりと深呼吸を繰り返してやっと落ち着いてきたスマルは、リンに向かって言った。

「俺ってさ、そんな心配かけてんの? っていうか、俺の記憶が正しければ、そんな大々的に誰に惚れてるとか、言った覚えないんだけどなぁ」

 スマルの言葉に、リンは心底当惑しきった顔で問い返す。

「え…じゃあスマルさんの好きな人は姉さんじゃないとか、そういう話ですか?」

 食い入るように見つめてくるリンに、スマルは思わず目を逸らしてしまった。

「べっ、つに…そうは言ってねぇけど、さ……」

 まさかこんな風に白状させられるとは思っておらず、スマルはばつが悪そうに頭を掻いた。
 リンはその様子を見て満足そうに微笑んでいる。
 スマルは何か思い詰めたような表情で空を見上げると、独り言のようにぼそりとこぼした。

「それどころじゃねぇだろうがよ、あいつも。俺だって…」