札幌 戸建 二重まぶた 3.懐かしい匂い

懐かしい匂い


「それをずっと考えてたのか」

 少しの間を空けて、ユウヒは小さく頷いた。

「まったく…そんなの気にするまでもねぇよ。お前は風の民だから…どんなに離れてても家族の絆、ってのか? それが切れないって事を身を持ってわかってんだ。それとは逆に、縁の希薄さってヤツも知ってる。どんなに強い絆と信じてる繋がりでも、必死になって繋ぎとめておかなきゃならねぇような絆は、遅かれ早かれ切れるってのをお前は経験上思い知ってるんだよな」

 ビクッとユウヒの身体が小さく強張ったが、ジンはかまわず話を続けた。

「わざわざ会いに行かなくても大丈夫、そう思ったんだろ? お前にとっちゃそれだけ郷にいるヤツらとの絆が深いってこった。でなきゃ、ここで切れるような繋がりなら切れても仕方がないとでも思ってるか…どっちにしろ、転々と移動を続ける風の民の気質がお前には染み付いちまってんだよ。あっちこっちで出来た絆を、全部引きずって歩いてちゃ風の民なんてやってられねぇ。出会っちゃ別れの連続だからな、辛いだろうさ。もちろん風の民の全部が全部、そんな人間ばかりじゃないだろうが…」

 ジンはそこまで言って、煙草で一息ついた。
 動かないユウヒは、おそらくジンの言葉を待っているのだろう。
 ジンは天井に向かって煙を吐き出すと、また話を続けた。

「お前は根っからの風の民、なんだろうな。別に冷たい人間だから郷に行かなかったんじゃねぇ。通り過ぎた場所に置いてきたものよりも、今、なんだよ。今の自分が歩いてる先をお前は見てんだよ。だからここへ来ようって、そう思ったんだろうさ」

 そう言って、ジンがユウヒの頭をぽんと叩くと、俯いたままありがとうと小さくつぶやく声がジンの耳に微かに聞こえた。

「わかってたんだろ? わざわざ掘り返してまで悩むな、馬鹿」

 ジンのその言葉に微かに頷いたユウヒは、しばらく黙っていたが、やがて静かに話し始めた。

「あのね、ジン。お城の中にいるとね、何もわからないんだよ。この国が歪んでる事も、存在するだけで咎められる人達がいるって事も…」
「そうか…」

 唐突な話運びにも、ジンは普通に返事を返してきた。
 ユウヒはさらに言葉を継いだ。

「うん…剣舞とか、やる事はいろいろあってそれなりに楽しかったんだけど…今私は、あそこにいちゃ駄目だ。心がぐらぐらしてるのが自分でもわかったもの。皆の事は大好きだけど、大好きだから…騙してるみたいなのも辛かったし」

 そう言ったユウヒの身体に力が入ったのを感じて、ジンはまたユウヒの頭をゆっくりと撫でてやった。
 そうしていると、髪に絡められたジンの指がユウヒの髪を梳くのと同じ様に、ユウヒの心のもつれた糸もゆっくりとほどかれていく。
 ユウヒはまだ俯いたままで、目を閉じて話を続けた。

「本当にこれで良かったのか、迷いが吹っ切れたわけじゃないけど…その先の事だって、まだ考える余裕すらないんだけど…」

 ユウヒの言葉が途切れ、何事かと頭を撫でていたジンの手が止まる。
 視線を落とすと、ユウヒの手が強く握り締められていた。
 ジンはユウヒの頭に手を置いたまま、ユウヒの次の言葉を待った。
 やがてその手をパッと開いたユウヒが頭を撫でるジンの手を掴み、その掌を自分の両手で包み込むようにして握り締めた。
 呆気にとられて自分を見つめるジンの目を、顔を上げたユウヒが真正面から見つめ返す。
 ジンの手を握るユウヒの手にまた力がこもり、そしてユウヒはゆっくりと言った。

「自分で選び取って歩いてきた道だもの。私、後悔はしてないよ。だから…どうすりゃいいのかわかんないけど、でも、絶対に私、この国に帰ってくるから。方法とか想像もつかないけど、絶対に戻ってくるからね、ジン」

 最初はユウヒに勢いにのまれたかのように固まっていたジンの顔に、少しずついつもの薄笑いが戻ってくる。
 ジンは握られた手を力強く握り返して言った。

「あぁ、わかってるよ。面倒な事は俺達にまかしときゃいい。お前が砂漠で迷子になってる間に、ちゃーんとお前の帰り道、でかいの一本通しておいてやるから」
「…うん。ありがとう。頼んだよ、ジン」

 ユウヒはにやっと笑って言うと、握った手をふりほどいてジンがユウヒの肩をどんと突いた。

「頼まれるまでもねぇ。これは俺の仕事だよ、礼なんか言うな」
「…うん」

 そう言って、ユウヒは照れくさそうに頭を掻いた。
 その様子を見て顔を歪めたジンが、ユウヒを追い払うように手を振った。

「ほれ、気が済んだら店に出ろ。お前の客だろ? わざわざ会いに来てくれてんだ。めいっぱい相手して来い」
「うん」

 ユウヒはそう言って、バタバタと慌しく調理場を出て行った。
 ジンは頭を左右に倒して首をこきこきと鳴らすと、腰をとんとんと叩きながら洗い場に立った。
 吸殻を入れている皿に煙草を押しつけ、桶に入った食器に手を伸ばす。

「迷子になるってのには突っ込み無し、か…」

 そうぼそっとつぶやいて、皿を丁寧に洗っていく。
 自分の手を握り締めていたユウヒの力の余韻がまだ何となく残っている。
 ジンはふぅっと溜息を吐いた。

 ――まいった。どうも調子が狂わされるな。しかしあんなんで大丈夫か、あの馬鹿は。

 無理からぬ状況とはいえ、ユウヒの様子がまだおかしい事をジンは気にしていた。
 何かあったら言ってくるだろうと何か行動を起こす気はなかったが、思っている以上にユウヒはいろいろなものを抱えているのかもしれないとジンは思った。
 ジンは黙々と洗い物を片付けながら、明後日の出発までにしておかなければならない事は何かをずっと考えていた。

 砂漠の国ルゥーン。
 サクが動いた上でのこの選択は、何か考えがあっての事なのだろう。

 ――いよいよだな、こりゃ。

 ジンは洗い終わった皿を丁寧に拭いて積み重ねると、また新しい煙草に火を点け、満足そうにゆっくりと煙を吐き出した。
 店の方からは禁軍の兵士達と談笑する、ユウヒの楽しそうな声がまだ聞こえてきていた。