懐かしい匂い


 ジンのもとには既にショウエイからもサクからも様々な情報が入っていた。
 当然、今回の護衛とも何とも言いがたい「旅の連れ」が禁軍将軍であることも知っていたし、その背景にある思惑なども耳に入っている事からだいたいは想像ができた。

 後に剣を交えることになるかもしれない禁軍の兵士達とユウヒが仲が良いのは、ジンにとってあまり歓迎できる事実ではなかったが、ユウヒのあの人柄からこの先どうにか良い方に転ぶとういう道もあるのではないかと考えるようにしていた。

 ルゥーンへの追放という決定が耳に入ってからというもの、ジンは商売をやりながらもその裏で漆黒の翼として動くことが多くなっていた。
 ユウヒが何を言ったかまではサクから聞いていないものの、その狙いはだいたい想像はつく。
 ルゥーンにいる羽根との連絡も最近では密になり、ジンを含めて翼の活動も活発になっている。
 思惑通りに事が運んだとして、ユウヒが蒼月として国の頂点に立つまでにいったい何が必要で、どんな準備をしておかなくてはならないのか。
 あらゆる可能性も含めて先を見通し、すべての準備を秘密裏に終わらせておかなくてはならないジンは、このところ気の休まる瞬間すらないような日々を送っていた。

 そこへ当の本人の突然の来訪である。
 漆黒の翼としての動きが悟られていないという確信はあったが、ひとまず今夜は滅多な動きをするものではないだろうとジンは考えていた。
 物思いに耽りながらも慣れた様子で料理は次々に出来上がり、並べられた皿に盛られていく。
 もう皿を並べる場所のなくなったところで、ジンは大鍋から手を離し、ひょいひょいと料理の盛られた皿をいくつも持って調理場を出た。

 店内はあいかわらずの喧騒である。
 時折どっと沸きあがる笑い声はここ最近なかった和やかで明るいものだ。
 その場にいる人間の心を掴み、いつもいつの間にかその輪の中心にいるユウヒのそれをジンは天賦の才能だとさえ思っていた。
 そこにいるだけでその場の空気さえも変えてしまうユウヒは、この夜も皆の中心にいた。
 店内に顔を出したジンの姿を見つけて、ユウヒはすぐに歩み寄ってきた。

「何? これ全部いいの?」

 嬉しそうにジンの手から料理の皿を受け取り、その場にいる顔見知り達に自分達の席まで運ばせる。
 それを見ながらジンは苦笑して言った。

「久しぶりだっていうのに、客をこき使うお手並みもあいかわらずだな」
「こき使うなんて人聞きの悪い。ちょっとお手伝いしてもらってるだけじゃない」
「どうだかなぁ…」

 そう言っていつしかユウヒを中心にして、席を移動させて一緒に騒いでいる禁軍兵士達の輪の方にジンは歩いていった。

「盛り上がってるようで。これは俺から…皆で食ってくれ」

 奢りとわかって兵士達から盛大に歓声が上がる。
 シュウは申し訳無さそうにジンに向かって頭を下げた。

「ありがとう、ジン」
「いや、気にするな。お前も泊まっていくなら飲んだらいい。例の酒、あるぞ?」
「うん…でも片付けとか手伝いたいしさ、まぁ適当にやらせてもらうよ」
「そうか。そういえばお前、騎獣はどうした?」

 ジンが思い出したように聞くと、ユウヒはシュウの方を一瞬振り返ってから口を開いた。

「奥の厩舎には入れてないや。どうしよう…移動させた方がいい?」
「そうだな、俺がやっとく。少しの間、店を見ててくれ」
「わかった」

 ユウヒが頷くと、ジンはめんどくさそうに伸びをしながら店の外へと出て行った。

「じゃ、私は今のうちにお酒の追加持ってくるから。皆、先に食べててくれる?」
「わかった。ありがたくいただくとしよう」
「ごちそうさま、ユウヒ!」
「はいはい。気にしないでどんどん食べてよ」

 ユウヒはそう言うと、他の席の空いている皿を片付けながら調理場の方へと戻っていった。

 料理の盛られた皿が二つ、調理台に残っている。
 ジンが持ちきれずに置いたままになっていたその皿の料理がまだ冷めていないのを確認すると、ユウヒは追加の酒瓶と共に急いで店に運んだ。
 自分のいた席に戻り、そこにいた兵士達に料理と酒を手渡したユウヒは、その場にシュウの姿がない事に気が付いた。
 それとなく周りを窺っているユウヒに、兵士の一人から声がかかった。

「シュウさんなら外だよ」
「え? あぁ、そう」

 ユウヒはそう言って、店の正面にある扉の方を見つめた。
 シュウはおそらくジンの後を追っていったのだろう。
 気にはなったがジンから店を任されているユウヒは自分まで外に出るわけにもいかず、そのまま兵士達の話に加わった。