シュウの目的


 来た道を戻ると言っていたが、シュウの騎獣は東に向かっていた。
 不思議に思い少し速度を上げたユウヒは、シュウの隣に並ぶと声をかけた。

「シュウさん、戻るって話じゃありませんでしたか?」

 ユウヒの言葉にシュウは少し照れたような笑みを浮かべた。

「仕事以外で騎獣に乗るのは久しぶりなんだよ。ちょっと、遠回りをしたくなった。いいか?」
「えぇっ? 私は構いませんが…罪人の護送じゃないんですか?」
「俺はそんな風には思っていない。じゃ、悪いがもう少し俺のわがままに付き合ってくれ、ユウヒ」

 そう言って精悍な顔に子どものような笑みを浮かべたシュウは、手綱を握りなおし、騎獣の腹を軽く足で蹴った。
 それを合図に騎獣はさらに速度を上げて、晴れ渡った空を気持ち良さそうに駆け出した。

「う〜ん、いったい何がどうなってるの? まったく…私達も行こうか。追いかけるよ」

 ユウヒも手綱を握り、足でとんと軽く騎獣の腹を蹴った。
 ユウヒを乗せた騎獣はどんどん速度を上げてシュウを追った。
 そのまま守護の森の上空に抜け、その空を存分に駆け回ったシュウは、気が済んだのか、しばらくすると騎獣の鼻先を王都のある西の方へと向けた。
 空を気持ち良さそうに駆け回るシュウにずっと付き合った後、ユウヒも同じようにその鼻先を西方に向けて走り出した。

 空という海を泳ぐかのようにゆったりと、ゆっくりと二頭の騎獣が駆け抜けていく。
 辿り着いた場所は、王都ライジ・クジャを見下ろせる切り立った崖の上だった。
 どう見てもその場所には不釣合いなほど大きい山桜の老木が、息を呑む存在感でもって力強く大地にその根を張り巡らして立っている。
 すでに葉ばかりとなってしまった枝が、都に向かって吹き降ろす穏やかな風に揺れていた。
 労いの声をかけてやりながら、その山桜に二頭の騎獣を繋いだシュウが一つ伸びをする。
 ユウヒはただそこに立ち、眼下に広がる景色をぼんやり見つめていた。

「いい場所だろう? ただ飯を食うだけってのもつまらないからなぁ」

 そう言いながら朝買い込んだ惣菜の入った袋を持ってユウヒの方に近付いてきたシュウの足が、ユウヒを見た途端に驚いたようにびくりと止まった。

「おい、どうした?」

「へ…?」

 間抜けな声を出してシュウの方を振り向いたユウヒの頬は、伝う涙で濡れていた。

「おい、どこか怪我でもしたのか?」

 惣菜の袋を無造作に置き、心配そうに駆け寄ったシュウがユウヒの手を取り肩を揺する。
 その時零れ落ちた涙で初めて、ユウヒは自分が泣いている事に気が付いた。

「あれ?」

 驚いて目を見開き、その指で涙に触れて、自分が本当に泣いているのだと確かめる。
 そんなユウヒをシュウはますます心配そうに見つめた。

「おい、しっかりしろ! どうしたんだ、いったい」
「いえ。これは、その…何でもありません」
「何でもない事ないだろう! いったいどうしたっていうんだ」
「本当に何でもないんですよ、シュウさん。何でも…ないんです」

 ユウヒは指で涙を拭うと、また眼下に見える都の方へと視線を移した。

 ――そう、何でもない。だってこれは…私の涙じゃない。

 何となくそう感じていたユウヒは、まるで目に焼き付けようとでもしているように、都をただじっと見つめていた。

 ――あぁ…遠い昔、こうして何度も何度も、焼けるように熱い想いを胸に秘めて、ここから都を眺めていたんだね。

 震える息で深呼吸をする。

 ――何だか苦しいよ、ヒリュウ…。

 しっかり気を保っていないと、その想いにユウヒは押し流されてしまいそうだった。
 油断するとまたこみ上げてきそうな涙をユウヒはこらえ、その手をつかんでいるシュウの方を向いて明るく言った。

「すみません、もう大丈夫です。ご飯、食べましょう?」
「あ、あぁ…そうするか」

 拍子抜けして力の抜けたシュウは握っていた手を離し、頭をぽりぽりと掻きながら地面に落とした惣菜の袋を拾いに行った。

「シュウさんは、魂の記憶…なんて言葉、知ってますか?」

 ユウヒはシュウのその背中に向かって、何となく声をかけてみた。
 シュウは騎獣の背に括り付けた荷物の中から厚手の布でできた敷物を出してきてその場に敷くと、そこに腰をおろしてその問いに答えた。

「知っている。信じるかどうかとなると、また別の話になるがな」

 空腹は相当のものらしく、敷物の上に惣菜や握り飯を所狭しと並べていく。
 ユウヒもそれを手伝いながら話を続けた。

「私にはどうやらそういうのがあるらしいんですよ。だから時々、自分の感情が自分の思うようにならないんです」
「感情が思うようにならないのは普通にあることだろう?」
「えぇ、まぁそうなんですけど…それとはまた違って、私には…あるんです」

 話しながら惣菜の包みを一つずつ開けていく。
 全て並べ終えるまで待ちきれないのか、シュウが竹筒に入れた水を飲みながら、それらの惣菜を美味そうに口に運んでいた。

「まぁ、お前ならあるかもな。そんな気がするよ。さっきのはそれか?」
「…はい、たぶん」
「そうか。でも今はとりあえず俺に飯を食わせてくれ」
「はい、お腹空きましたよね。私もいただきます」

 シュウのふざけたような言葉の端に、まだユウヒの事を心配しているシュウの優しさが窺える。
 ユウヒは笑いながら、もうすっかり冷めてしまった惣菜を口にした。