シュウの目的


「て…亭主?」

 不意を衝かれたユウヒの声が裏返ると、女店主はからからと声を上げて豪快に笑った。

「あはは、照れる事かい! ってことはお前さん達、まだ夫婦になってから日も浅いのかい?」
「はぁあああ?」
「そうかそうか。じゃ、うまいもんたらふく食べて、元気な赤子を産んでもらわんとなぁ…若奥さん、たくさんおまけしとくから、遠慮せずに言っとくれよ」
 いたずらっぽく笑いながらそう言って店の奥に戻っていく店主の背中を、ただユウヒは呆然と見つめていた。
「おかまいなしで決め付けたよ、あの婆さん…」
 ユウヒはぼそりとつぶやくと、店の中をあれこれ見て回った。

 いったい何時頃から仕込んでいたのか、惣菜も握り飯も種類は豊富で、夜明け前から起きて何も食べていない空腹のユウヒはあれもこれもと目移りして大変だった。
 その様子を温かく見守っている店主の視線がくすぐったかったが、最初の言葉通り、ユウヒがこれと頼んだ以上に量も種類もたくさん包んで持たせてくれた。

 持ちやすいようにと紐で肩に掛けられるようにしてもらったおかげで両手の空いたユウヒは、迷ったあげくに久々に見かけた好物の焼き饅頭を二本追加した。
 店主はそれがユウヒの好物だとわかると饅頭をさらに一個ずつ串に追加して、味噌も申し訳ないほどにたっぷりと塗ってくれた。
 亭主によろしくと満面の笑みを浮かべて店を送り出してくれた店主に、もう否定するのも面倒になったユウヒは焼き饅頭の串を握り締めたままの手を振り、めいっぱいの愛想笑いを浮かべて頭を下げ店を後にした。

 騎獣を扱う店の前で椅子に座ってユウヒを待っていたシュウは、不貞腐れつつも満足そうに焼き饅頭を頬張りながら現れたユウヒを見て思わず噴出した。

「もう本当にまいりましたよ、あの婆さんには」
「でもそのおかげでいろいろ良くしてもらったみたいじゃないか。しかしまぁ何というか…頬やら口の周りを味噌だらけで文句言ってるとこなんざ、ただのガキみたいだな、お前」

 思っていたよりもかなり量の多い惣菜の入った袋と残った金を受け取りながら、シュウは焼き饅頭の串をぶんぶんと振りながら事の顛末を話すユウヒの言葉に耳を傾けていた。
 店の主に礼を言ってシュウとユウヒは借りた騎獣の待っている広場へと足を運ぶ。
 焼き饅頭の味噌の匂いが気になるのか、用意されていた二頭の騎獣はしきりに鼻をひくひくと動かしていた。

 シュウはユウヒの方を振り返って言った。

「両手に串持ってちゃ騎獣に乗れないんじゃないか?」
「え? あぁ…これ一本シュウさんのですよ? いらないんですか?」
 あまりに嬉しそうに食べている様子に、二本ともユウヒのものだと思っていたシュウが笑った。
「両方食っていいぞ? そんなに嬉しそうに食ってるとこ見たら、さすがにくれとも言い辛い」
「いや…そ、そんな事は、ないです、けど…食べないんですか?」
「…じゃ、おまけだって言ってた上の一個だけもらうとしよう」
 そう言って串を持ったユウヒの手をつかむと、一番上に申し訳程度に刺さっている追加の饅頭一個にかぶりついてそのまま串から抜いて頬張った。
「おぉ…うまいな、これ」

 一個まるごと口に入れたシュウが口の周りに付いた味噌を指で拭いながらもごもごと言うと、あっという間に饅頭を一個取られて呆気にとられていたユウヒがハッとして口を開いた。

「一個でいいんですか?」
「言う事はそこなのか? まぁいいか、あとはお前が食えばいい。しかしユウヒ、お前片手で騎獣は操れるのか?」
「両手塞がってても大丈夫ですよ」
「そうか。それは頼もしいことだな」

 シュウはそう言って笑うと、騎獣の方に歩み寄った。

「ユウヒ。お前はどっちがいい?」

 鹿のようなその獣は、まっすぐにのびた二本の角の縞模様も、よく手入れされて輝くように見えるその毛並みも、気品のようなものさえ感じさせるほどに美しかった。
 その背をシュウが愛おしそうに撫でている。
 獣の方もそれを喜んでいるのか、温かい念のようなものがユウヒの方へと流れてきた。

 ――そう。その人はあなた達の事が気に入ったみたいよ。

 心の中でユウヒが無意識に話しかけると、驚いたように騎獣がユウヒの方を向いて耳をしきりに動かし始めた。
 なにごとかと獣達を宥めるシュウを見て、ユウヒはまた静かに話しかけた。

 ――驚かせてごめんなさい。私には、あなた達に思いを伝えることができるみたいなんだ。

 そこだけ時間がゆっくりと流れているような、そんな不思議な感覚を覚えながら、ユウヒは騎獣達に語りかける。
 シュウを待たせているという事もなぜか全く気にならず、好物を頬張りながら美しい騎獣達の姿にユウヒは見惚れていた。
 大急ぎで食べ終わった焼き饅頭の串を広場の片隅の屑篭の中に放ると、ユウヒは手ぬぐいの布で口の周りについた味噌を拭き取った。
 そしてゆっくりと騎獣に近付くと、その顎に手を添えて話しかけた。

「お前達は本当にきれいね」

 その様子をシュウが黙って見つめている。
 ユウヒはシュウが立っている側とは反対にいる騎獣の首に腕を絡ませ、抱きしめるようにして頬を寄せた。
「私はこの子にします」
 体を離して、ユウヒがその獣の背をゆっくりと撫でる。
「よろしくね」
 ユウヒの声に答えるかのように、獣は甘えたような声で小さく鳴いた。
「お前は…本当に不思議な奴だな」
 ぼそっと言ったシュウの言葉にユウヒが顔を上げると、一瞬笑みを浮かべたシュウがそのまま勢いよく獣に騎乗した。

 それを見たユウヒも慌てて騎乗する。
 自分の背丈よりももっと高い位置に視点が上がり、思わず背筋をしゃんと伸ばしたくなる。
 ユウヒは自分を乗せた騎獣の背をいたわるように撫でると、シュウに向かって言った。

「寄り道って…どこに行くんですか?」
「あぁ、ちょっとな。来た道を戻ることになるが…まぁ気にするな。ついて来い、ユウヒ」

 そう言ってシュウが手綱をくいっと引くと、カッと蹄の音をたてて跳び上がった騎獣がそのまま空へ向かって駆け出した。

「さぁ、私達も行こう」

 ユウヒが声をかけると、その騎獣はユウヒが振り落とすことのないよう気遣うように優しく跳び上がり、ゆっくり空へと駆け始めた。