『少年を連れた身重の女性』
そう聞いた時点で、訪問客の正体がオウカにはだいたい予想がついていた。
そして予想通りであって欲しいと思うと自然にその歩みも速くなっていく。
いつも落ち着いた物腰でゆったりと構えている城の主の見慣れぬ慌てた様子に、擦れ違う者達は礼を尽くしながらも振り返ってその様子を伺っている。
客の待つ部屋に通された時、小さく息が上がっている自分に気付いてオウカは人知れず自嘲の笑みを浮かべた。
オウカの入室した入り口とは反対側にある入り口の壁際で、不安そうに寄り添っていたその親子はオウカの姿を見るなり慌てて床に膝をついて伏礼した。
立ち会っているシキら、州軍兵士達もオウカに対して拝礼したが、オウカはそんな事は気にも留めない様子で兵士達の前を早足で通り過ぎ、平伏している二人の親子の前に屈んで床についた女の手をとった。
「顔を上げて立ちなさい。ほら、君も……構わないから。私が許したのだから、他の者には何も言わせない。さぁ、立ちなさい」
親子はそれでもなかなか顔を上げようとはせず、下を向いたまま、視線だけでお互いにどうしたものかと確認し合っているようだった。
オウカはそれでも手をとったままで声をかけ続けた。
「そのお腹でその態勢は辛いはずだ。以前……っと言ってももう随分昔の話だが、私の妻が同じような態勢をよくしていたからわかるんですよ。尤も彼女の場合は逆子を直そうとしていたわけなんですが……」
居並ぶ兵士の中から小さな笑いが漏れる。
その笑いの起こった方向を確認してオウカはまた口を開く。
「ほら、今笑った彼。彼の奥方も逆子で苦労してね。だから知っているんだよ。ほらほら、いいから立ちなさい。いいかげんに顔をあげてくれないと、私が無理矢理に引っ張り上げますよ? さぁ、どうしますか?」
優しく穏やかな声ながらも拒否を許さないその言葉に、親子はおずおずと顔を上げた。
「母ちゃんの腹ん中の子は逆子じゃねぇぞ」
その言葉に母親の顔に朱が入り、すっと伸ばした手がその声の主の尻をぱんと叩く。
ぼそりとこぼしたその少年の顔には、やはり見覚えのある面影があった。
「そうでしたか。それは一安心です。そうだ、君は甘いものは好きですか?」
母親に横から尻を叩かれ、自分が何やらまずい事を言ったらしいとぎゅっと目を瞑り、怒られる覚悟をしていた少年が驚いたように目を瞠る。
その表情を見てオウカは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「寒い中わざわざ来てくれてありがとう。お母さんに付き添ってくるなんて、君も立派な男だね。ご褒美をやらなくてはいけないね」
目を細めてそう言うと兵士の一人呼び、お茶と子どもに良さそうなお菓子を適当に見繕って女官に持ってこさせるようにと指示を出した。
その何もかもに戸惑った様子で、不安そうな眼差しを自分に向けている母親に、オウカは静かに言った。
「会うのは初めてですね。話は彼からよく聞いていましたから、お会いできて嬉しいですよ」
そう言ってオウカは手をとったままで立ち上がり、二人に長椅子に腰掛けるように促した。
お腹の大きな母親に手を貸すなど、まだ幼い少年が立派に母の手助けをしている様子は何とも微笑ましい光景だったが、その母親の表情は沈んだままで一向に晴れる様子はなかった。
二人が座るのを見届け、その向かい側にオウカが腰を下ろす。
オウカに言われてその隣にはシキが腰を下ろした。
そのシキが戸惑いを隠せない様子でオウカに訊ねた。
「失礼ですが、こちらの女性は?」
その言葉にオウカは話しても良いのか確認するかのように向かい側に視線を投げた。
そしてその女がゆっくりと頷くのを確認すると、オウカはまるでもったいぶるかのように運ばれてきたお茶を啜って口の中を潤してから、おもむろに口を開いた。
「紹介しましょう。こちらはあなた達の上官、州軍将軍ソウケンの奥方と、彼の息子です。そう……ですね?」
オウカがそう言ってまた視線を移すと、女は小さく頷き頭を下げた。
「ランと申します。これは息子のクウです。主人よりお噂はかねがね……あの、お目にかかれて光栄に存じます、オウカ様」
「ほぅ。私の名前をご存知でしたか。それはそれは、こちらこそ光栄です」
二人の会話を聞いて、頬張ろうとしていた菓子を慌てて皿に戻してクウも頭を下げる。
だがオウカに食べても良いと言われてすぐに、クウはむさぼる様に菓子を食べ始めた。
「で、ラン殿。今日はどういった御用向きでこちらへ? この様な時ですから、さぞ不安だったでしょう」
オウカがそう言うとランは首を横に振り、そして袂から一通の書簡を取り出して卓子の上に置き、オウカの前にすっと差し出した。
「主人がオウカ様にと置いていったものです」
ランの言葉にオウカはその書簡に手を伸ばした。