ホムラ郷にリンが帰ってからの経緯、国の現在の状況、黒州で起こった出来事。
そしてそれに対して軍が動こうとしている事。
一通りの説明を聞き終わったリンは、説明をしたショウエイに小さく頭を下げ礼を言うと、何かを考え込むように膝においた手を組んでぐっと握り締めた。
いったい何を思ったのかと言いたげなその場の視線を一身に受けたリンは、ゆっくりと深呼吸をしてからおもむろに話し始めた。
「このような混乱の中、急遽城へと戻ってきた私に疑問を抱かれた方も多いかと思います。まず申し上げておきます。私はこのような時だからこそ戻りました。王をお支えするためです」
忠誠の礼に続いて言葉でも王、シムザを指示することを明らかにしたホムラの姿勢に少なからずと動揺が走った。
リンはかまわずに話を続けた。
「こちらへ戻る途中、国の混乱に戸惑う民草を目にしてまいりました。皆、一様にこの国の先行きに不安を抱いているようでした」
「えぇ。ですから我々はこのような場を設けて、どう対処していくかを……」
政に関しては素人であるホムラを嘲るような態度で、側近の一人が言い聞かせるように口を開いたが、その発言をリンは途中で遮った。
「対処? まずは足下をしっかりとご覧になって下さいませ。民草に煽られるように城の中まで混乱して機能していないではありませんか。政に直接関わっておらぬ私にもわかります。いったいあなた方は今まで何をなさっておいでだったのですか?」
ぴしゃりと言い放たれた言葉にショウエイが思わず顔を歪めて笑いを堪える。
先ほど口を開いた側近は、その歪めた顔を赤くして椅子にまた腰を下ろした。
「国の安定を思うのであれば、まずこの城内の混乱を鎮めて下さいませ。それぞれの場所でなずべきことをなさって下さいませ。ぐらついた足場でいったい何をなさろうというのですか。より高い場所に手を伸ばすのであれば、まずは足場を固めて下さいませ」
――なるほど。やはり姉妹、ということか。
ショウエイの視線がシュウを探す。
シュウは末席であるのをいい事に顔を背けて笑っていた。
「城の機能を元に戻してくださいませ。見えるものも見えてまいりません。まずはそこからではないのですか?」
だめを押すようにリンが言うと、その場の誰もが遠慮がちに玉座のシムザに視線をチラチラと投げている。
その様子を見てリンはさらに声を上げた。
「ここにはこの国の王がいます。そしてあなた方、この国の頭脳もあります。黒州で動きがあったというのであればなおさら、早く機能を元に戻して対策を講じなくてはならないでしょう。違いますか?」
リンのその言葉を受けてショウエイが口を開いた。
「私からもお願いします。先ほど禁軍将軍のシュウ殿より相談を受けました。朱雀省が機能しておらず黒州に対してどう動くか決めかねていると」
そう言ってその視線が王、シムザを捕らえる。
シムザは緊張に身を強張らせて顔を歪めた。
そこへリンが寄り添うように立って、その肩に手を置いた。
「皆に命じて下さいませ、我が君」
強い口調でそう言ったリンは王ではなく、戸惑いの表情を隠しきれなくなってきた面々を見つめていた。
シムザはハッとしたように双眸を瞠り、まるで助けを請うかのように側近達を見回した。
誰もが不安そうに見つめ返してくるか眼を逸らすだけだった。
――なんだよ……何なんだよ、お前は。リン!
王として言うべきであった数々の言葉は、全てホムラであるリンが先に言ってしまった。
もちろん、それらはシムザが考えたところで思いつくような類の話ではなく、それがシムザの中に大きな焦燥を生んだ。
スマルやユウヒといる時に感じた敗北感や劣等感の入り混じった焦燥。
それと同じ感情を初めてリンに対して感じたのだ。
顔を上げたシムザは一瞬ではあったが、まるで睨みつけるかのような鋭い視線をリンに投げ、すぐに正面に向き直るとおもむろに口を開いた。
「勅命をもって命ずる。皆、早急に持ち場へ戻り、城内の混乱を早急に鎮めて機能を回復せよ。その後、夏省は黒州州軍の状況を逐次報告、必要であれば中央軍を必要なだけ黒州に送ることを許す。禁軍将軍シュウには月華の帯剣を命ずる。王の名の下に、中央軍及び各州州軍を動かす権限をこれに与える」
それまでずっと言いなりでしかなかった玉座の王シムザの突然の発言を受けて、場の空気が奇妙に澱む。
それを感じ取ったリンは、心が締め付けられるように苦しかった。
つまりはその空気の澱みこそが、シムザの危うい立場を表しているからだ。
リンは祈るような思いで末席に視線を投げた。
ずっと顔を背けて笑っていたシュウはいつの間にか玉座の方に向き直り、その視線は王ではなくその少し奥、リンの方へと向けられていた。
見つめ合うように視線の絡んだ二人は、どちらからとなくゆっくりと頷いた。
シュウはリンのその視線の意味を声に出して聞かずとも理解していた。
その想いはホムラであるリンも、その姉のユウヒと同じだったからだ。
――王様を守れって? はいはい、わかってますって……。
シュウが軽く手を上げて応えると、リンは安堵の表情を浮べ、シュウに向かって頭を下げた。
そんな暗黙の了解があったとも知らず、シムザは朝議の終わりを宣言する。
皆、まるでその場から逃げ出すかのように王の退出を待たずして姿を消し、そこにはショウエイとシュウ、シムザとリンの四人だけが残った。
居心地の悪さを感じたシムザが女官を呼んで早々に立ち去り、ショウエイとリンは一番末席のシュウに近付いて行った。
リンが口を開くよりも先に、立ち上がり丁寧な拝礼をしてからシュウが口を開いた。
「姉上からも同じ事を頼まれております。王は必ずお守りするからご安心を。先ほどの視線はそういう事なのでしょう?」
リンが驚いたようにびくりと身体を強張らせる。
慌ててショウエイが背後からその身を支えると、リンは徐々に緊張を解いて二人を交互に見つめた。
「お二人のような方がいて下さって安心しました。シムザの……王の味方とまでは行かなくとも、真っ先に排除なさろうとする方々の中にあなた方がいなくて良かった」
いくらその場から王が立ち去ったとはいえ、シュウもショウエイも決して口には出せない言葉をさらりと言ったリンに二人は驚いて顔を見合わせた。
その様子を見てリンは苦笑して言った。
「先ほど申し上げた事は、全てを承知した上での発言だとご理解くださいませ。尤も、王がどこまでそれに気付いているかはわかりませんが……」
「なるほど。姉妹そろって聡明でいらっしゃる。しかし、今日のホムラ様は……こう言ってはなんだが、見違えましたよ」
シュウがそう言うと、ショウエイも頷いてそれに同意し、ふと思いついたように口を開いた。
「まぁ、あの陛下と共にいらっしゃるわけですから。普段あのように振舞っておられる理由もわからないではありませんが……今日のあなたが本来のホムラ様ご自身の姿、なのですね?」
肯定も否定もせずにリンが笑みを浮べると、シュウが呆れた顔でショウエイを見ていた。
「あまりいじめるな、ショウエイ殿」
「……これは失礼」
誰の目にも、王よりもリンの方が器も大きく聡明な人物に映ったはずだ。
リンはそれを覚悟の上で朝議の場で発言をしたのだ。
他ならぬ、シムザの命を守るために。
リンはその顔に影を落とした力ない笑みを浮かべ、静かに言った。
「姉は必ず戻ってまいります。私は、王が誰であれ、理不尽に切り捨てられるのを見過ごすことはできません。それなりの準備をしてその時を迎えようと考えております」
「そうですか……まぁ、我々はあなたが先ほど仰られた通り、自分の持ち場でなすべきことをなすとしましょう」
「ホムラ様は大丈夫なのですか? カナンがお側に仕えているでしょうが、他に必要であれば人をお出ししますよ」
「……いえ、カナンがいれば十分です。お気遣い感謝します。では私はこれで」
それ以上の会話を拒否するかのように、リンは踵を返してその場から立ち去った。
シュウとショウエイはその後姿に拝礼すると、無言のままそれぞれの場所へと戻って行った。