胎動


 嫌な沈黙が続き、重たい空気が漂っている。
 玉座の王から目を背けるように皆俯き、誰かがこの場をどうにかしてくれないものかと黙ったままただ様子を窺っている。
 これが本当にこの国を動かしている人間達の実情なのかと思うと、シュウは心の底から情けなくなった。
 臨時に召集された朝議ではあったが、欠席は愚か混乱に収拾をつけるのが忙しいからと遅れてくるような者すら一人としておらず、まるで各々の持ち場から逃げてきたかのように定刻に全ての部署からその筆頭が顔を揃えた。

 王直属の禁軍、その将軍を務めているとはいえ、武官であるという立場から一番末席にいるシュウは溜息をついて腰を下ろした。
 背もたれに身体を預けて腕を組み、行き場のない不満につい溜息が漏れる。
 シュウによりもたらされた黒州州軍将軍ソウケンに関する情報は、ただでさえ混乱で手一杯となっていた者達の思考を完全に止めさせた。

 武官であるソウケンについての情報はほとんどないに等しく、皆の脳裏に浮かんだのはその上にいる人物、黒主オウカ、その人であった。
 これをきっかけにオウカが何を思うのか、その目に何が映るのか、皆は恐れているのだ。
 オウカの人となりについては周知のとおりで、一見大きく道を外れているように思える英断も、あとになればその判断が間違いではなかったと周囲を納得させる事のできる人物。
 先見の明を持ち、いかなる状況でもその真を見極めることのできるオウカがどう出るか、己の保身の道だけを探っているような今この場にいる面々には到底想像のつくものではなく、ただただ不安と焦燥に駆られてその脳が思考することを放棄してしまったというところだろう。

 オウカを知らない玉座の王は、居並ぶ面々の異様な様に首を傾げている。
 そのすぐ側で、半分だけ広げた扇で表情を隠した春大臣ショウエイは、その全ての様子をじっくりと観察していた。

 ――なるほど。シュウ殿の言葉ではないが……駄目だな、これは。

 既に自ら手を回してはいたが、夏省を建て直して機能を回復させ、即刻数名の兵士を黒州に送るよう王に進言しようとショウエイが小気味いい音を立てて扇を閉じた時、玉座の背後、左後方に何者かの気配がして、なにごとかと集中した視線の先に一人の女性が現れた。
 その姿のさらに奥の方から女官の声が微かに聞こえてきた。

「ホムラ様、御入殿にございます」

 その声に王以外の人間が一斉に立ち上がり拝礼する。
 王はその様子を満足そうに見渡すと、ゆっくりと立ち上がって背後から近づいてくるリンの方へと手を差し伸べた。

「どうしたホムラ。今は臨時の朝議の最中だぞ。お前の来るような……」
「いいえ、我が君……この様な事態だからこそ参ったのでございます。私もこの場に同席すること、お許しいただきたく……」

 そう言ってリンは王、シムザの手をとることなく、その目の前に両膝をつき、重ねた両手を左胸にあてて深々と頭を垂れた。

 ――リン?

 聞いたこともないその口調、明らかにいつもと違うその態度にシムザは動揺した。
 しかしその動揺を悟られないよう、差し伸べた手をぐっと握っておろし、小さく息を吐いて自分を落ち着ける。
 意識を臣下の者達に移すと、聖なる存在であるホムラが王に忠誠の礼を捧げたことで少なからず驚いている様子だった。
 この場で王を玉座から下ろす事を匂わせるような発言をした場合、それはホムラの認めた王を否定するに等しい。

 特にこれという教義のある宗教というわけではないが、この国での鳥獣信仰は生活習慣といってもいいほどに人々の生活に馴染んだ常識となっている。
 そこまで浸透しているものであるこそ、実体がないものに対する畏怖の念は自覚の程度に差はあれどそこに確かに存在し、不安定な時期であるからこそ、それをないがしろにする態度を示せる者はほとんどいないのだ。

 リンがそこまで考えた上で行動を起こしたかどうかは知る由もないが、少なくとも今まで自分が接してきた人物とはまるで別人のように見えるホムラのその表情に、居並ぶ面々はただただ驚きに絶句するより他なかった。
 無論、その時一番驚いていたのは、忠誠の礼を捧げられた張本人である王、シムザだった。
 ショウエイは扇を広げてその表情を隠し、王の出方を伺っている。

「……ゆ、許す。顔を上げよ、ホムラ」

 動揺に震える声を低く抑えたシムザがリンに声をかけると、リンはゆっくりと顔を上げ、その口許だけに微かな笑みを浮かべて用意された椅子に腰掛けた。

 それまでとはまた違った緊張感がその場を支配して、さらなる沈黙が降りてきた。
 シムザは困ったような顔をして、その視線はきょろきょろと落ち着きがない。
 末席にいるシュウは大きく溜息をついて、上座にいるショウエイの方を窺った。
 シュウの視線に気付いたショウエイは意味ありげに目配せしてにこりと笑う。
 どうやら誰がどう出るかを様子見を決め込んでいるらしく、シュウは呆れたようにまた大きく溜息を吐いた。

「どなたか、この沈黙の意味を私に説明していただけませぬか?」

 その言葉で俯く面々の顔を上げさせたのはリンだった。
 誰もが顔を見合わせながらも、滅多な事は言えないとばかりにリンからは視線を逸らす中、一番近くにいるショウエイが顔を覆っていた扇を下ろして口を開いた。

「ホムラ殿におかれましては今回のこの事態、引き金となりましたのが貴女の姉上の行動であることを承知した上で御質問なさっていると、そう理解してもよろしゅうございますか?」

 切れ長の目の奥が意味ありげに光を放ち、ショウエイの視線がリンの方に流される。
 リンはそれを真っ向から受け止めて静かに頷いた。

「当然、承知しております。追放された罪人が私の姉であるからと言って発言に遠慮など必要ありません。どうぞ、続けて下さい」

 常に発言の際には王の許しを請うかのようにシムザを一瞥してから口を開くリンが、今日はそんな素振りすら見せずに自分の言葉で発言していた。
 王は戸惑いに顔を歪め、ホムラであるリンは努めてそれを気にしないようにした。
 ショウエイはそんなリンの態度に応えるかのようにの身体の向きを変えると、王を一瞥して発言の許可を得て口を開いた。