胎動


「ついに軍の方からもあちら側に付く人間が出ましたね、シュウ将軍」

 ショウエイが扇を少し開いてその口許を隠して話しかける。

「ソウケンか……痛いな」

 シュウは珍しく怪訝そうな顔をごまかそうともしないでそれに答えた。
 その顔が見られた事に満足したのか、ショウエイは扇で隠して小さく笑うとまた口を開いた。

「文官ではサクを持っていかれましたしね。まぁ……彼は最初からあっち側だったんでしょうが。サクが抜けたのはうちもかなり痛いですよ、おかげで余計な仕事が増えて忙しくてたまらない」
「でも穴は空いていない。ショウエイ殿は忙しいかもしれないが、機能していないのは頑なな馬鹿が指揮をとっているところだけだ。そうでしょう?」

 シュウが言うと、ショウエイは驚いたようにシュウの方を見た。

「……? 何かおかしな事を言いましたか?」

 それまではそこまで辛辣な物言いをするシュウを見た事がなかったショウエイは、珍しいものでも見るような顔でシュウをまじまじと見つめた。

「いえ。少し……意外でしたから。で、そのソウケンという人物は?」

 シュウはショウエイの様子の変化はさらりと流して、その問いに答えた。

「将軍と言ってもその気質は軍師向き、頭の良い男だ。武術もさることながらその聡明で温厚な人柄から人望も厚い。思慮深く、決して軽はずみな行動に出るような人物ではない。その彼が抜けたというのは、それだけの理由があるということだ。思わぬ波紋が広がらなければ良いのだが……」
「そうですか……」

 そう言ったショウエイが、ぱしっという音を立てて扇を閉じ、自分の膝をその扇でとんとんと叩きながら何かをしきりに考え始めた。
 シュウは腕を組み、どんな答えが出てくるのか、ショウエイの次の言葉を待った。

「まぁ、心配はないでしょう」

 ショウエイは言った。

「その人物についてはよく知りませんが、使える頭がそう多くあっては逆に従う者達は混乱しかねない。こちらにはあなたがいるでしょう、シュウ将軍。その頭、今回ばかりはきっちり使ってもらいましょうか」
「へぇ……随分と買ってくれているようだ」
「買い被りだったとがっかりさせないで下さいね」
「努力はしますよ。あともうちょっとうちの連中を信じてやって欲しい。頭が多かろうがどうだろうが、そんな事で混乱してしまうような柔な神経してる奴らじゃないよ」
「……そうであって欲しいと、思ってはいますよ」

 そう言ってショウエイは立ち上がると、扇でとんとシュウの肩を叩いた。

「行きましょうか、夏省。どうも嫌な予感がします」
「嫌な予感?」

 シュウが怪訝そうに問い返すとショウエイは珍しく苛立ったように手にした扇でシュウの胸を突いた。

「薄々わかっているでしょう。黒州、ですよ? 黒主殿は何事にも惑わされずに物事の本質、真を見抜く眼を持っておられる方だと聞いています。そんな人物の元で、こちらもまた一方ならぬ人物と評判の将軍がその責務を放棄してまであちらに付いたのでしょう?」
「やはりそのようにお考えになるか、ショウエイ殿」
「当たり前です。いや、それより……さっきからどうしてわかりきった事をいちいち確認するような真似をするんです? 手の内にある情報から答えを導き出すところまで、全てお見せしなければ信用するに足る人間だと思ってもらえませんか、私は」
「……正直に言おう。どうもあなたは底が知れない。申し訳ないが国益や民の安寧、そういったもののために動くようには見えない。無礼を承知で言ってしまえば、仕事熱心ということでもないように見える。いったい何を考えここに留まり何のために動くのか、俺は量りかねている。だからどうしても出方を伺ってしまう」

 シュウの胸に当てていた扇がすぅっと引き、ショウエイは驚いたような顔でシュウを見つめた。

「驚いた……本当に正直だ」

 ショウエイはそうつぶやいて、その途端表情が豹変した。

「そこまで私に言ったのはあなたで二人目ですよ。そんな人間はもういないだろうと思っていたのに……」
「……一人目は?」
「さぁ? 誰だったか……そろそろ夏省にいきましょうか、将軍」

 歩き出したショウエイの背に、シュウが一言だけ言った。

「ショウエイ殿、あなたはどちら側だ?」

 くるりと振り返ったショウエイは口許だけに笑みを浮かべて答えた。

「察しのとおり、私は私の都合で動いています。ただどちらに転んだとしても、私があなたと敵対することはありませんよ。それだけは確かです」

 ショウエイの視線は明らかにシュウの出方を伺っていた。
 シュウは肩を竦めて苦笑すると、溜息混じりに返事をした。

「自分の都合ね、喰えない人だ。まぁ……それでもいい。俺も好きにやらせてもらう、とりあえず夏省をどうにかしてくれ」
「……わかりました。行きましょうか」
「あぁ。それともう一つ頼みがある」

 ショウエイは首を少し傾げて先を促した。

「ジジイ達のところにはあなたも一緒に来ていただきたい、ショウエイ殿。同じ言葉なら武官の俺より春大臣の言葉の方がジジイ達は素直に聞く。どうだ?」

 シュウの言葉にショウエイは静かに笑みを浮かべた。

「構いませんよ。まったく……人遣いの荒い方ですねぇ」
「まず夏省に寄って、それからジジイ達のところだ。使えるものは使う。あんただってそうだろう? 」
「……行きますよ」

 ショウエイはその問いに応えることなく、すたすたと先を歩き始めた。

「やれやれ……」

 シュウは溜息混じりにつぶやくと、先を行くショウエイの後を静かに追った。