ユウヒに一同の視線が集まっていた。
ソウケンの話を聞き終え、皆が次の言葉を待っている。
背もたれに身を預けると同時に、ユウヒはいつの間にか詰めていた息を一気に吐き出す。
ユウヒは顔を上げ、そんな面々の顔を一つ一つ見回すと、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「きっとこれと同じようなことが国中で起こってるんだよね」
その言葉に誰からともなしに皆頷くのを見て、ユウヒはソウケンに向かって言った。
「ソウケン、話してくれてありがとう。別に迷っていたわけではないけれど、これで私が進む道がはっきりと見えた気がするよ」
ユウヒはそう言ってジンの方を見た。
ジンはあいかわらずの薄笑いだったが、その視線は穏やかだった。
ジンだけではない。
そこにいる誰もが皆、ユウヒの一言を待っている。
ユウヒはもう一度そこにいる皆を見渡してから言った。
「クジャの様子を教えてジン。そして準備が整い次第ルゥーンを出る、移動する先はガジット。国境線を探って黒州からクジャに入ろうと思うんだけど……どうしたらいい?」
黒州からということは、遅かれ早かれソウケンの率いていた黒州州軍と合い見えることとなる。
だがソウケンの表情が曇ることはなく、その決意のほどが見てとれた。
ユウヒは少し安心したようにソウケンを見つめ、続けてまた口を開いた。
「これから先、全ての状況を私に報告して。そりゃいろいろ素人だけどさ、だからって私の上を情報が素通りするような事は絶対ないようにして欲しいの。私だってわからないままではいないから。聞いてりゃ理解もするし、考えもする。その程度には頭使える人間だから、そこは大丈夫だと思ってよ」
「……本当にできるのか?」
ジンが茶化すように聞くと、それには横からサクが答えた。
「大丈夫ですよ。まだ本気になってるところを見たことはありませんが、その懐の広さや大きさ、機転、考え方の柔軟さなんかも、あるいは俺以上なんじゃないかな」
「へぇ……お前がそこまでいうか、サクヤ。いいんだぜ? お前があいつの上に立って皆を動かしたって」
「……側にいたらわかるでしょう、ジン。器も何もユウヒの方が上、俺は……ついでに言ってしまえばジン、あなたも、あいつに使われる側ですよ」
サクの言葉にユウヒが驚いて目を瞠る。
続いて少し気まずそうに、ぼそぼそと小さく言った。
「実は私も……そんな風に思ってた。器とかそういうのはわからないけれど、ものの捕らえ方とか考え方っていうのかな? 私とサクなら、私が上にいた方がうまく回るんじゃないかって、ずっと思ってた」
「だろ? 俺もそう思う」
「……わかってんなら、きっちり自分の仕事をしろよ、お前ら」
そう言って笑ったジンは、先を続けるようにユウヒに向かって頷いた。
ユウヒはそれを受けてまた口を開く。
「じゃ続き。これ、すごく大切なことだから絶対に守って欲しいの。この先、どんな小さな犠牲も私は知らなかったでは済まされないと思ってるの。人それぞれ大切にしたいものの優先順位は違うのだろうけど、それでもやっぱり命は大切にして欲しい。できれば、敵味方関わらず、ね。全てを私が引き受けるから、護られるだけに存在ではいたくないから、だから私も一緒に行かせて下さい」
その言葉に返事はなく、ユウヒは申し訳なさそうに一言付け加えた。
「もっといい言葉があるのかもしれないけど……」
そう言ってばつが悪そうに髪をくしゃくしゃと弄るユウヒを、ソウケンはじっと見つめていた。
何かおかしな事を言ってしまったのだろうかと、その視線から逃げているとユウヒに向かってソウケンは言った。
「よく、わかりました。あなたの言葉で仰って下さるからこそ、伝わる真実があるのです。大丈夫ですよ」
とても穏やかなその口調は、ユウヒの心を嘘のように落ち着かせた。
「皆、そういうあなただから付いていくのだと思います。ここに来て、それがよくわかりました」
「……あ、ありがとう。あなたのような方にそう言ってもらえるなら、なんだか自分でも大丈夫な気になってきました」
ユウヒはそう言って照れくさそうに笑うと、目を瞑ってゆっくりと一呼吸おいた。
そして目を開いたユウヒは、その双眸に覚悟と決意を宿し、一人ひとりの顔を見回して言った。
「黒州の動きはもう恐らく中央にも届いてると思う。しばらくは混乱もするだろうけど、城にいる人達も馬鹿ばかりじゃない。すぐにまた機能を回復してそれなりの動きがあると思う。だからそれまでにはガジットに入って態勢を整えておきたいの。それがいつ頃になるかは私にはわからないから……皆、情報の出し惜しみはやめてね。その時期がだいたい見当ついたら逆算でここを出る日を決めて欲しい。で、決めたら何が何でも準備を間に合わせて」
カロンが呆気にとられた顔でユウヒを見つめ、ジンは何か含みのある顔で苦笑する。
ユウヒはそんなジンに向かって一言だけ聞いた。
「無理?」
やはりそう来たかとでも言いたげにジンは顔を歪めて言った。
「無理ってのは無しなんだろ? いいよ、そこいらは任せとけ。あ、でもお前も俺達の話は全部聞いておけよ?」
「……わかった」
ユウヒは頷いて、しばらく何か考えるような素振りを見せてからまた口を開いた。
「わかっているとは思うけど、一応言っておく。私が王になったからと言って何か便宜を図ってやれるわけでもないし、特別に何か褒章を与えてやれるわけでもない。そういう事をするつもりもないよ。それでも、私だけじゃ無理なんだよ。だから……皆さん、力を貸して下さい」
そう言って、膝においた手をユウヒはぎゅっと握り締めて深々と頭を下げた。
その様子を部屋の隅の方からずっと窺っていた黄龍が、すっとその視線を逸らす。
何か得体の知れない、それまで感じたことのない感情が内側に溢れ、黄龍の手は少し汗ばんでいた。
――なんだ?
自分の掌をじっと見つめていた黄龍だったが次の瞬間、まるで何かに驚いたかのように、黄龍の心臓がいきなりどくんと大きく脈打った。
思わずふらつき、それに気付かれないようにと無意識に柱の影に隠れた黄龍は、胸を押さえて呼吸を整えた。
耳鳴りがして、それはどんどん大きくなり、はっきりと言葉として黄龍の内側に響き渡った。
『聞け! 黄龍!!』
驚きに黄龍がその身体をぴくりと強張らせる。
その声は他でもない、自分の全てを受け入れ、その身を器として差し出したあの男の声だった。
――なんだ、お前か。いきなり脅かすな……。
脂汗の浮かぶ額を手の甲で押さえ、黄龍はその場に崩れるように腰を落とした。
『憶えているだろうな。ヒリュウとの約束……』
何を今さらと黄龍が顔を歪める。
『どうなんだ、黄龍!』
頭の中に怒気を含んだ声が響く。
黄龍は苦笑して、その内なる声に話しかけた。
――俺を受け入れて魂が消滅しないとは……たいした奴だな。あぁ、憶えてるよ。何も心配することはねぇ。
長い長い溜息を一つ。
――託されたあいつの全てを、この国の未来のために……憶えちゃいるが、使いどころがわからんだけだ。約束は必ず守る。
黄龍のその言葉を聞いて、その内側から聞こえていたもう一つの魂の声は聞こえなくなり、またその気配すらもすっかり消えて行った。
すっかり落ち着きを取り戻した黄龍は、立ち上がるとまたユウヒの方をじっと見つめた。
その視線の先に向かってゆっくりと近付いていき、気配に気付いて顔を上げたユウヒに黄龍は静かに言った。
「おい、女。その話、俺も入れてくれ」
ユウヒは静かに微笑んで、話の輪に黄龍を招きいれた。