足音で気が付いたのだろう。
扉の前にユウヒが立った途端、その扉は内側から開けられてサクが顔を覗かせた。
「おはよう、ユウヒ」
「あ、おはよう。その……入っても?」
「いいよ。どうぞ」
サクに促されてユウヒが部屋の中に入ると、黄龍が部屋の端の方でめんどくさそうに頭を掻いているのが目に入った。
ユウヒは黄龍に手を上げて簡単に挨拶をして、部屋の中央にある卓子に歩み寄った。
扉を閉めたサクがユウヒの横に並び、向かい側にはジンとカロン、そして見知らぬ男が一人、思い詰めた顔で座っていた。
ユウヒはそれが誰かと問うようにサクを見たが、サクは特に何も言おうとせず、ユウヒにも座るようにと椅子を勧めただけだった。
「ジン。黄龍とはもう話をした?」
椅子に座るなりユウヒが訊くと、ジンはちらりと部屋の隅の黄龍を一瞥してから首を横に振った。
「まだだ。あぁ、やっぱりあれがそうなんだ。見た目はほとんど変わってねぇのに、随分と雰囲気変わるもんだな」
「……まぁね」
ユウヒはそう言ってから、いきなり立ち上がったカロンを目で追った。
その視線に気付いたカロンが振り返る。
「あぁ、お茶の用意でもお願いして来ようかと……あと話が長くなるようなら、別室で朝の食事でもとりながら話ができないものか、ちょっとお願いしてみます」
「あ、そっか。私からヨシュナに話そうか?」
「いえ。あなたにはここにいてもらわないと困ります。話が進まなくなっちゃいますからね。まぁ、サリヤさんでも探してお願いするから大丈夫ですよ」
ユウヒはそれ以上何も言えずにここはカロンにまかせることにした。
「そう。じゃ、お願いします」
「はい、かしこまりました」
そう言っていつもの微笑みを湛えて丁寧に拝礼すると、カロンは部屋から出て行った。
「さてと……お待たせしました。あの、ジン? こちらの方がそう?」
早速本題を切り出したユウヒにジンがにやりと笑みを浮かべる。
ユウヒは不思議そうにその男の方に目をやった。
優しそうな眼差しに意志の強さを秘めた瞳が、ユウヒの方に向けられる。
ユウヒは軽く会釈をしてから口を開いた。
「はじめまして、ユウヒです。私に会いたいという方はあなたですね?」
「……はい。ソウケンと申します」
穏やかな声だった。
「ソウケンさん、ですか」
「ソウケンでけっこうです」
ソウケンと名乗ったその男は穏やかな声をしていたが、どこか独特な雰囲気を持っていた。
ユウヒがよく知っているその空気は、シュウ達、禁軍の武官、武人達が持っていたそれと同じものだ。
「あの……失礼ですがあなたは武人さん、ですよね?」
ユウヒが訊ねると、ソウケンは驚いたように顔を上げて、帯剣していた自分の剣を卓子の上に無造作に置いた。
「今は無官であるばかりか職すらもありませんが……仰るとおり、つい先日までは黒州軍将軍の任に就いておりました」
「こ……っ、黒州軍、将軍? そんな方がどうしてここへ?」
そう言ってユウヒが驚いて立ち上がると、ソウケンはそれを待っていたかのように椅子から立ち上がりすぐ横の床に片膝をついた。
「え? 何!?」
戸惑った様子のユウヒの前で、ソウケンは躊躇う様子もなく右手を左胸に当てて頭を下げた。
「私の持っている全てをあなたのために、ユウヒ。そのために……ここまで来ました」
そう言って体を起こし、卓子の上の剣を握り抜刀する。
「え?」
事態が飲み込めずにさらに戸惑うユウヒのすぐ横で、ソウケンは再度膝をついてその剣を高く、ユウヒに向かって掲げた。
「この剣を、あなたの為に振るうことを、お許しいただきたい」
ユウヒは腰を抜かすようにすとんと椅子に腰をおろした。
「あ、あの……それは嬉しいんですけど、その……将軍までやっていらっしゃった方にそこまでさせちゃって……あの、顔を上げて下さい」
椅子に腰を下ろしただけではまだ視線は高い位置になり、ユウヒはソウケンの目の前に膝をついた。
剣を掲げた腕を下ろさせると椅子に座るよう促し、自分もそのまま椅子に座りなおした。
ソウケンは剣をまた鞘に納めると、あらためてユウヒに向かって言った。
「軍を抜けてしまった私がどこまでお役に立てるのかは甚だ疑問ですが、私はあなた方と共に進みたい。そのためにここへ来たのです」
ユウヒの胸の鼓動が高く大きくなる。
恥ずかしいくらいに気持ちが昂揚しているのが自分でもよくわかる。
また一つ自分の使える札が揃ったのだ。
だがユウヒは将軍まで務めていた人間がなぜこうしてここまで来るに至ったのか、同時にとても知りたいと思った。
「あの……訊いても、いいですか?」
「何なりと」
ユウヒは一つ深呼吸をしてからソウケンに質問した。
「どうして、ですか? 私達は助かりますけど……なぜ、と思ってしまうんです」
「なるほど。確かにそう考える方が自然です」
そう言ったソウケンの表情はとても優しく、州軍の将軍を務めていたような、そしてその軍を抜けてまで何かを貫こうとするような人物にはとても見えなかった。
そんな穏やかな笑みを湛えたソウケンからユウヒは目が離せなかった。
「良かったら、聞かせていただけますか?」
ユウヒがそう声をかけると、ソウケンはゆっくりと頷いて口を開いた。
「全てをなげうってでも、どうしても護りたいものがあるからです。全くの私事となりますが、それでも構わないようでしたらお話します」
ユウヒは躊躇いもせずにすぐ様答えた。
「聞かせて下さい」
ソウケンはまた頷いて、そしておもむろに話し始めた。
ユウヒは身動き一つせず、ソウケンの話にただひたすら耳を傾けていた。