黄龍解放


 カロンが戻ってきたのは、その夜から数えて九日目の早朝だった。
 寝泊りしている客室の扉を叩く音でユウヒは目が覚めた。

「はい。あの、誰ですか?」

 まだ目覚めきっていない体から振り絞るように声を出すと、人を小馬鹿にしたような小さな笑い声とともに扉が開いた。
 ユウヒは慌ててすぐ横の卓子に置いてあった剣に手を伸ばす。
 するとその笑い声の主は呼ばれもしないのに部屋の中へと入り、ユウヒの方へ迷う様子も見せずに近付いてきた。

「物騒だな、おい。剣は止せよ」

 悪びれもせずに言ってのけるその声には聞き覚えがあった。

「……ジン?」
「久しぶりだな、その間抜け面も」

 そう言ってユウヒの寝台に腰を下ろす。

「あいかわらずね、全く。寝起きの女の部屋にいきなりそれはないんじゃないの!?」

 手にした剣の先でジンのわき腹を小突くと、ユウヒはジンの入ってきた扉の方に目をやった。
 申し訳なさそうに頭を抱えたカロンが、顔を歪めて小さく頭を下げていた。

「すみませんね、ユウヒ。これでも一応止めたんですけど……」
「いえ、カロンさんが気にする事はないですよ。でもいったいなんでジンがここに?」

 ユウヒは体をずらして座りなおし、あらためてジンの方を見た。
 少し伸びた髪はいつものように無造作に後ろで一つに束ねられ、その顔には何を考えているのか読めない薄笑いを浮かべている。
 ジンは片方の眉を吊り上げて、ユウヒに向かって言った。

「情報を寄越せと言ってきたのはお前だろう?」
「それはまぁそうだけど。でもだからってなんでわざわざジンが来るの?」

 ユウヒの尤もな物言いにジンがどう出るか、カロンは楽しげに様子をうかがっている。
 ジンはユウヒの問いに答えるよりも前に、非常に判り難いがその薄笑いの顔に微かに安堵の色を浮べて言った。

「思ったよりも大丈夫そうだな」

 その言葉の意味はユウヒが一番わかっている……スマルの事を言っているのだ。
 おそらくジンは黄龍解放の際の一連の出来事を全て知っているのだろう。
 ユウヒは照れくさそうに頭を掻いて頷いた。

「闇夜の烏を明るい日の下に引きずり出したんだ。そのお前がへこたれてるようじゃ、こっちも出張ってきた甲斐がねぇよ」

 確かにジンが直接動くことは想像すらしていなかった。
 ユウヒは次の言葉をあれこれ探したが、うまい言葉が見つからず、そればかりか思わぬ言葉が口をついて出てしまった。

「……よく喋るね、ジン」

 扉の方でカロンが思わず吹き出し、声を上げて笑いそうになるのを必死に堪えている。
 ジンは一瞬だけカロンの方を睨みつけると、またユウヒに向かって言った。

「お前に会いたいって奴が来てる。急いで着替えてサクヤの部屋に来い」
「私に? え、誰?」
「それは本人から聞け」

 ジンはそう言って寝台から立ち上がり扉の方に歩いていくと、まだ笑いをこらえているカロンを軽く小突いた。

「てめぇ……覚えてろ」
「あなたが浮かれてるからでしょう」

 カロンはジンに向かってそう言うと、そのジンを押しのけるように顔を出してユウヒに言った。

「すみませんね、寝起きに。では、待ってますからね……あの、急がなくていいですからゆっくり来て下さい」

 そう言って先に行ったジンを追って部屋を出ようとしたカロンを、ユウヒは慌てて引き止めた。

「あ、待ってカロン!」
「はい? まだ何か?」

 振り返ったカロンにユウヒは言った。

「マヤンから伝言。努力はするって、無茶しないように」

 ユウヒの言葉にカロンはにっこりと笑った。

「そうですか。彼女はもうガジットへ?」
「戻りました」
「……伝言、ありがとうございます。じゃ、サクの部屋で待ってますね」

 カロンが出ていき扉が音もなく閉まる。
 一瞬前の出来事がまるで嘘のように部屋の中は静まり返った。
 放心したようにしばらく呆けていたユウヒだったが、突然ハッと我に返って寝台から転げるように下りると大きく伸びをした。
 体の中に朝の空気がすぅっと入ってきて、内側からどんどん目覚めていくようだ。
 カロンにはゆっくりと言われたが、ユウヒは気が急いて慌てて着替え始めた。

 ――ゆっくりって……そんなの無理!

 顔を洗い、髪を梳かして一つに束ねると、ユウヒは剣を手に部屋を飛び出した。