黄龍解放


 その夜、ユウヒはさすがになかなか寝付けなかった。
 寝台から起き出して部屋の窓から外を眺めていると、どこからともなく物悲しいような不思議な音色が聞こえてきた。

 音に誘われるように部屋を飛び出したユウヒは、回廊にむやみに響く靴音に慌てて履物を脱ぐと、そのまま裸足でその音のする方へと駆け出した。

 どこをどう進んでも何故か警備の者に呼び止められることはなく、それを不思議に思いながらもユウヒは廊下を走り、階段を駆け上がり、ただ音のする方へひた走る。
 大きな吹き抜けのある広い場所に出た時、外にはり出した大きな露台のその手すりに腰掛け、見た事もない楽器を手にした男の姿が目に入った。

「来たか……」

 そう言って男の手が止まると、ユウヒが辿ってきた音も止まった。
 ユウヒはゆっくりとその男に近付いて行った。

「あなただったの、ヨシュナ」

 ユウヒが声をかけると、ヨシュナは小さく頷いた。

「お前が眠れないでいるのではないかと思ったのだ」

 多くは語らずにただそれだけ言って、ヨシュナはまたその楽器を弾き始めた。

 切ない音色が夜の闇の中に染み渡って響く。
 ヨシュナの左手が弦を器用に押さえ、右手に持った弓がその弦の上を滑る様に動く度、生み出される様々な音が折り重なり美しい旋律となって流れていく。
 ユウヒはヨシュナのすぐ隣に腰かけると、ただ黙ってその音色に耳を傾けていた。

「お前はこういう時、いつもどうしていたのだ?」

 中低音のヨシュナの声が、甘く、優しくユウヒに問いかける。
 言わんとするところが見えず、問い返す代わりにユウヒが小首を傾げると、ヨシュナは小さく笑って右手の弓を大きく動かした。
 艶を含んだ音色が鼓膜を直接刺激する。

「余はいつもこれだ。ここでこうして……」

 曲調が変わる。
 月夜を思わせるその曲を、ヨシュナは目の前にいるユウヒのためでも誰のためでもなく、ただ黙々と無心に奏でていた。

 そこで初めて、ユウヒはヨシュナの想いに気が付いた。
 城に戻り、全てを報告した時にはそんな素振りも見せなかったが、おそらくその時からずっと気にかけていたのだろう。
 ヨシュナは王の孤独を知っている。
 だからこそ、ユウヒの側から欠け落ちたものの大きさが痛い程にわかるのだ。

「私は……そうね、剣舞かな? 真っ白になるまで、ずっと剣振り回して……」

 演奏を止めることも、顔を上げることすらもせずに、ヨシュナはユウヒの言葉に耳を傾けている。
 ユウヒはそんなヨシュナの優しさに甘えて、ただ溢れてくる言葉を溢れるにまかせてぼそぼそと話し続けた。

「クジャで王様が即位したでしょ。あれ、私の友達なんだけど……即位式で本当は剣舞を披露するはずでさ。私と……スマルで。ずっと一緒に稽古してたから、今独りで剣舞なんてやったら逆に打ちのめされそうでさ。情けないよねぇ、全く」
「あぁ……」
「でもやっぱり落ち着かなくて、いつもみたいにできない自分に何か理由が欲しくなってきてさ。今日は疲れたなぁっとか、剣の形変えちゃったからなぁっとかいろいろ言い訳探して、あれこれ考え出す前に寝ちゃえって思ったんだけどね。やっぱ……眠れなくってさ」
「……そうか」

 ヨシュナは一言だけ言ってその手を止めた。

「お前の剣舞か。余もいつか見てみたいものだ」

 ヨシュナは手にしていた楽器を床に置くと、少しだけユウヒの近くに寄って座りなおした。

「すまぬ。何か言ってやれれば良いのだが……」

 ヨシュナは生まれながらにして王となる運命のもとに生きてきた。
 おそらく友を慰めるなどという機会はこれまでなかったであろうし、おそらく慰めてやりたいと思う相手すらいなかったのだろう。
 ユウヒはそんなヨシュナの不器用な優しさをとても嬉しく思った。