黄龍解放


 波打つ水のようにうねったかと思うと、その一部が大きく盛り上がる。
 そしてそれは高波が襲い掛かるように頭上からスマルへと覆いかぶさった。
 スマルは抵抗する様子も苦しむような様子も見せず、ただその場に立ち尽くしていたが、やがてその黒い煙に全身を包み込まれ、姿が全く見えなくなってしまった。

 一同に見守られる中、スマルに纏わりついた煙の塊はどんどん小さくなっていき、それと共にその煙がスマルの体内にどんどん吸い込まれている様子が確認できた。
 全てを体内に取り込んだスマルがゆっくりと振り返ってユウヒの方を見る。
 髪に隠れて表情がよくわからなかったが、口許が少し笑ったように見えた直後、スマルの膝ががくんと折れた。

「スマル!」

 ユウヒとサクが慌てて駆け寄ってスマルを支えたが、完全に脱力した体を支えきれず、サクとユウヒはその場に尻餅をつくように倒れてしまった。
 サクが心配そうにスマルの顔を覗きこんだのとは対照的に、ユウヒの表情は平然としていた。

「だ、大丈夫なのか?」

 サクが小さくつぶやくと、ユウヒは力なく笑って口を開いた。

「どういうのが大丈夫なのか、微妙なところだけどね……」

 その言葉の意味を図りかねたサクだったが、その次に発したユウヒの言葉で嫌が上でも全てを理解させられた。

「おい。大丈夫か、スマ……」

「起きろ、黄龍」

 サクの言葉を遮って、ユウヒは横たわるスマルに対して「黄龍」と呼びかけた。
 体を揺すぶられ、静かにスマルの瞼が動いた。

 ――スマルじゃ……ない、のか?

 心が受け入れるよりも早く頭で理解したサクの鼓動がやけに速くなった。
 戸惑いの表情でユウヒの方を見ると、ただ微笑み返してくるだった。

「黄龍。起き上がれるか?」
「……なんだ、やけに順応の早い女だな」
「何? 悩んだり泣いたりとか、そういう方が好きだった?」

 そう言って立ち上がったユウヒの手を借りて「スマル」が立ち上がった。
 そのすぐ横でまだ立ち上がれないでいるサクに「スマル」が手を差し伸べたが、サクはその手を取ろうとはせずにそのままゆっくりと立ち上がった。

「どいつもこいつも、神だの何だの言うワリには……」

 そう言って顔を歪めるように苦笑したその表情は、よく知る「スマル」のものではなかった。
 さすがにサクも全てを受け入れるより仕方がなく、小さく溜息を吐いてつぶやいた。

「黄龍、なんだな……」

 その声を耳にしたユウヒはさすがに苦笑するしかなかったが、すぐに気持ちを切り替えるかのように顔をくいっと上げ、口を開いた。

「さて、ここにもう用事はないよね? 急いで戻ろう。兵士達が待ってる」

 ユウヒの言葉にカロンとザラムが駆け寄ってくる。
 檻の外側からスマルを見つめるカロンの顔にいつもの笑みはなかった。
 ザラムはまだ思考が追いつかないのか、ただおろおろと落ち着かずその視線も泳いでいる。
 ユウヒはそんなザラムの側までいくと、檻の内側から手を伸ばしてザラムの肩に手を置いた。

「ザラムさん、大丈夫ですか?」

 ザラムはハッとしたように顔を上げ、その視線がユウヒでぴたりと止まった。
 ユウヒは小さく笑みを浮かべてもう一度言った。

「大丈夫?」

 やっと落ち着きを取り戻したザラムは、その言葉に何度も頷くことで答えた。
 ユウヒは安堵の表情でザラムの肩をぽんと叩くと、また黄龍とサクの元に戻った。

「この檻、どうすれば出られるの? 『器』に入ったんだからもう術も解けるのかしら」

 確認するようにユウヒが黄龍を見つめると、不意にその表情に影を落とした黄龍が檻に歩み寄り鉄格子を握り締めた。

「無理、なの? 私達まで入っちゃったじゃない」
「俺だけでは無理、ということだ」

 不思議そうにカロンとサクの視線が交錯し、ザラムは不安そうにユウヒを見つめた。
 ユウヒは手を腰に当てて少し考え込んだ後、檻の外にいるカロンに声をかけた。

「カロン、外の様子が知りたいの。その……問題がないようなら結界を解かせるわ。四人にここへ来てもらう」

 頷いたカロンが来た道を引き返そうとした時、黄龍がそれを制して口を開いた。

「待て! わざわざ戻ることはない。地上に送り出せばいいんだろう?」

 そう言うと黄龍は困惑気味のカロンの方にすっと手をかざした。

 特に何を唱えたわけでもなく、カロンの回りに風が起こり、つむじ風のように渦を巻いていく。
 土や砂を巻き込んだその風に包まれたカロンがゆっくりと地面から浮き上がる。
 その様子に釘付けになっている視線の先が、徐々に明るくなり、見上げると上昇していくカロンの頭上部分の天井にぽっかりと穴が開いて、そこからは見えるはずのない空がのぞき、陽の光が差し込んでいた。
 随分深く潜ってきたはずのその場所が、まるで薄い板一枚ほどしか地表と離れていないように思えるその光景に、天井が崩れてくるような錯覚を起こしてザラムは思わず数歩後ずさった。

 祭壇へ辿り着くまでの道程が嘘のように、カロンはすぐ様地表に出ることができた。
 カロンが外に出るとすぐその穴は閉じ、まるで何事もなかったかのように静寂が戻ってきた。