「入りますよ?」
そう言ってスマルが歩き出し、その後に皆が続く。
中は一つの空間になっており、その中ほどと思われる場所には不自然なまでに頑丈な鉄格子があった。
見たところ檻のようだが扉らしきものはなく、さらには鍵や封印の札の類も見当たらない。
それを目にしたサクは、まるで吸い寄せられるように前方に進み、スマルとユウヒに並んだ。
途端、それまで何もないと思われた鉄格子の向こうで、何かが蠢くような気配がした。
「ひぃ……っ」
小さく悲鳴を上げて逃げ腰になるザラムをカロンが支える。
スマルがその手で鉄格子の一つを掴んだ。
「来たぜ、黄龍……」
鉄格子の向こうにスマルがそう声をかけた瞬間、辺りの空気が一変した。
膝から落ちそうになるサクを脇から手を伸ばしたスマルが肩を入れて支える。
頭を抱えて目を見開き、荒い呼吸を繰り返すザラムにカロンが慌てて駆け寄った。
とてつもなく強烈な気がその場の空気を支配した。
その強大な力の行き場を捜し求めるかのように、黄龍の気が渦巻いているようだった。
吹きすさぶ風のような音がひっきりなしに聞こえてきて、聴覚も少しおかしくなり始めている。
しばらくするとカロンもその場に膝をつき、崩れそうになるサクを支えきれなくなったスマルの反対側からユウヒもサクを支えた。
「黄龍、もうやめろ」
そう言ったスマルの声も風のような音にかき消されて黄龍には届かない。
スマルがもう一度声をかけようとしたその時、聞き慣れない声が辺りに響き渡った。
「鎮まれ! 黄龍!!」
それは耳に聞こえてくるというよりは、波動となって精神に直接働きかけてくるような不思議な声だった。
ハッとしたスマルが視線を横に移すと、渦巻く風に逆らうようにうねるユウヒの髪が目に入った。
それと同時にサクが気が付き顔を上げる。
「……ぅ」
「気が付いたか、サクヤ」
「ぁ……あぁ。スマル……これはいったい!?」
「さぁな。でも大丈夫になったのは、俺達だけじゃないみたいだぜ?」
サクはスマルに肩を借りてやっと立っているような状態だったが、それでも首を少し動かし後ろを伺い見ることくらいはできた。
蹲るザラムとその傍らのカロンは、渦巻く気の中、まるでそこだけ何かに守られているかのように、ぽつんと穏やかな空間に閉じ込められていた。
それは自分達も同じで、ただ一人、ユウヒだけがまだ黄龍の気の中にあった。
「弱い者に力を誇示してねじ伏せるのがそんなに楽しいか、黄龍。落ちぶれたものだな」
その声はユウヒのものであってユウヒではなかった。
誰か他の何者かの声がユウヒの声に重なるように響いている。
ユウヒの言葉を聞いた檻の中の何かが、またもぞりと蠢いて止まる。
まるでこちらの様子を伺っているかのように、強烈な気をユウヒに向かって放っている。
「……ヒ……リュウ…………か?」
突然、風の音が止む。
辺りを渦巻いていた気が嘘のように退き、体がふっと軽くなった。
「お前の目には、どう映っているのか知らないが……違う。私はユウヒ、ヒリュウじゃない。彼の魂は今、私の中にある」
檻の中の気配がざわざわと忙しなく揺れる。
「そうか、お前が……なるほど。面白い……実に、面白い……あの男、そうか……本当にやったのか…………」
そう聞こえた後、今度は小さな穴から空気が抜けるような音がして、檻の中が大きく動いた。
一同が見守る中、檻の中のものは一点に集まり始め、やがて暗闇の中にさらに黒い球体がぼんやりと浮かび上がった。
目のようにも見える二つの光がゆっくりと周りを見回すかのようにゆっくりと動き、スマルとサクの二人を向いてぴたりと止まる。
「ほぅ……」
声とも溜息ともつかぬ声が漏れる。
「お前……名は何という……」
二人に向かって放たれた言葉に、サクとスマルが顔を見合わせる。
もう一人で大丈夫だとサクはスマルから離れると、その手で丁寧に拝礼して口を開いた。
「サクヤと申します」
「サク……ヤ? そうか……あの男ではないのだな」
全身を這い回るような黄龍の視線に、サクが不快感を隠そうともせずに言った。
「あの……私に何か?」
その問いに黄龍からまた吐息のような息が漏れ、そしてまた掠れたような独特の低い声が辺りに響いた。
「お前に、よく似た男を知っている……」
「あぁ。だがこいつはザインじゃない、いくつかの転生を経てここにいるサクだよ、黄龍」
スマルが口を挿むと、黄龍の声が少し興奮したようなものに変わった。
「逃げずに来たな、器……ここにお前達が揃って来るということがどういう事なのか、よもや知らぬとは……」
「知ってるに決まってるだろう」
黄龍の言葉を遮って口を挿んだのはユウヒだった。
「だからこうやって来たんじゃないか。違うか、黄龍」
黄龍の目のような二つの光がユウヒの方に向けられる。
ユウヒはそのまま言葉を継いだ。
「お前にここから出てもらう。長い間、こんなところに閉じ込めてしまってすまなかった」
ユウヒが頭を下げると、二つの光が細くなり鈍い光を放った。
「なぜ、お前が謝る?」
ユウヒは顔を上げて言った。
「お前に謝りたいと言っている者達がいる。ただその者達は今、私が命じて外で結界を張っているからここまでは連れて来れなかった」
「……四神、か」
ユウヒは黙って頷いた。
「そういう事か……ユウヒ、と言ったな、女。お前は……今ここに『結び目』がないという事は知っているのか?」
黄龍の声色が少し変わった。
その相手の出方を試すようなその声と口調に、サクが不思議そうに黄龍とユウヒを交互に見つめる。
無意識に握り締められたユウヒの手を、サクは見逃さなかった。
――ここに『結び目』がない、って……どういう意味だ?
顔にこそ出さないが、サクは必死にその言葉の意味を探った。
だが自分の知っている情報の中に『結び目』などという言葉はなく、サクは仕方なしにスマルの方に目をやり、そして息を呑んだ。
その顔に昨晩ずっと言い争っていた時に何度も目にしたものと同じ、諦めを含んだような自嘲の笑みを浮べていたのだ。
「おい、スマル。『結び目』ってなんだ!?」
スマルの腕を掴んでサクは問い質したが、スマルは静かに首を横に振るだけで答えようとはしなかった。
――な、なんだって言うんだ!
苛立った様子で今度はユウヒの方に視線を移すと、ユウヒは寂しげな影をその顔に落とし、静かに口を開いた。
「四神も、黄龍も……クジャを守護する者達っていうのは皆、そこに住まう者達の……国を想うその念が一つの大きな思念の塊となって具現化されたようなものなんだよ、サク」
「それは俺だって知ってる!」
「つまり『結び目』は、絶えることなく流れてくるその念の流れ、気流と具現化された守護神達を文字通り結びつける繋ぎみたいなものなんだよ。それがないと、守護者達は皆、その存在を保つことはできない……そう、言われてる」
「だから?」
サクが先を促すと、今度はスマルが口を開いた。
「だからな、サクヤ。ここに閉じ込められている今はこうして黄龍も存在していられるが、結び目のない状態でここから出るためには……この檻に代わる容れ物が必要になるって、そういうことなんだよ」
「それがお前、器だって……そういう事なのか、スマル!」
「……あぁ。そういう事だ」
スマルが答えたその直後、自分を制しようとするサクの気配を察したのか、ユウヒがすぐ様口を開いた。
「すべて承知した上で、ここから出してやると……そう言ってるつもりだよ、黄龍」
「ユウヒ……お前っ」
ユウヒを止めようと一歩出たサクを、逆にユウヒが手で制する。
そしてユウヒは一呼吸おくと、黄龍に向かってはっきりと言った。
「私達は約束を果たしにきたんだよ。ずっと信じて、国を支えてくれてありがとう」
そう言って、何かを確認するかのようにユウヒがスマルの方を見る。
その視線を受けたスマルは、穏やかな笑みを浮かべ、ただ黙って頷いた。
「ずいぶん待たせてしまったが……国に帰ろう、黄龍。お前を……解放する」
ザラムとカロンはただことの成り行きを呆然と見つめ、サクは悔しそうに顔を歪めて目を閉じた。
そんな中、ユウヒとスマルは身動き一つせず、ただじっと、檻の中の二つの光を睨みつけるように見つめ続けていた。