約束の地


「そんな走んなくったっていいだろ、お前」
「まったくだ。スマルの言う通りだよ」
「ぃやっ、まぁ……ねっ、そ、そりゃ……そうっ、なんだけど……っ」

 膝に手をついて肩で息をするユウヒを、安堵の表情で二人が見下ろす。
 視線を感じたユウヒが、顔だけ上げて二人を見た。

「……ごめん。心配かけた」
「いや。そっちこそ、大丈夫だったのか?」

 スマルが言うと、呼吸を整えながらユウヒがゆっくりと頷いて笑った。
 ユウヒの様子を見る限りその言葉に嘘がないだろうと、サクが今度は口を開いた。

「ずいぶん遅かったね。何かあった?」
「ん? あぁ……ヨシュナとちょっと話をしててね」
「ヨシュナ……って、あの王様か!?」

 驚いたようにそう言われて、ユウヒは首を傾げている。

「そうだよ? ヨシュナ陛下。朝みんなのところに行こうとしてたら呼び止められてね」

 どれだけ思い切り走ってきたのか、呼吸は整ったもののまだ少し苦しそうに手を腰に当てて話すユウヒはスマルとサクを交互に見た。

「……何かあった? 二人ともなんか……怒ってる?」
「明け方近くまで仲良く喧嘩してたみたいですよ」

 背後からの返事にユウヒが振り返ると、カロンがいつもの笑顔で立っていた。

「おかえりなさい、ユウヒ。大丈夫でしたか?」
「カロン! あの、いろいろありがとう。マヤンから聞きました」
「そうですか。で、王様の方は大丈夫だったんですか?」
「たぶんね、まだわかんない。それより奥さんだったなんてびっくりだよ!」
「隠してたわけじゃないんですけどね……じゃ、そこの二人はユウヒに頼みますよ」

 どうやらユウヒの様子を確認しに来ただけだったらしく、カロンはそれだけ言うとまた自分の準備に戻っていってしまった。
 カロンの言葉を受けてユウヒが二人の方に向き直ると、サクとスマルは二人揃ってばつが悪そうな顔をしてユウヒの視線から逃げていた。

「ねぇ。喧嘩? 珍しいね、そういうの。二人ともぶつかる前に回避する方向に持ってく性質だと思ってたんだけど……」

 そう言って二人の顔をのぞき込むと、スマルはさらに目を逸らし、サクは大きく溜息を吐いて顔を歪めた。

「へぇ……いつの間にそんな仲良くなったんだか」

 ユウヒはそう言ってサクとスマルの肩をどんと順に小突いた。

「まぁいいけどね。周りに気を使わせるような態度しなけりゃさ、喧嘩くらい。とりあえず早く準備を手伝いにいきたいし、私の方の話をしちゃうよ?」

 問い詰められるかと思っていたのがあっさり流されて、サクとスマルは思わず顔を見合わせた。
 その様子を見て思わず笑みを零したユウヒが、そのまま話を続けた。

「まず土使いの話はヨシュナから聞いた。私も初めて聞く話だったけどだいたいわかったよ。で、即位後は私もこの国の建て直しに協力するってことになった。あとは、ゴタゴタが落ち着くまではおとなしくしといてって頼んで了承してもらったよ。もちろん、マヤンのガジットにもね」

 そこまで一気に言うとユウヒはサクの方を見た。

「何か質問は?」

 そう聞かれてサクは少し驚いたような顔をしてから、思い出したように口を開いた。

「内政の干渉はないって事だね。交換条件みたいなものはなかった?」
「ん? んー、言われなかったな。スマルが頑張ってくれたみたいじゃない。それでとりあえずは大丈夫みたいだよ。サリヤもスマルの話を裏付けるみたいに星読みの調査結果を報告してくれたみたいでね」
「サリヤさんが?」
「うん。それでそっちは大丈夫。黄龍の解放に来たいって言ってたらしけど、それも何だかもういいみたい。話を信じてくれたというか……あ、でも大丈夫なの、スマル?」

 なにが、とは言わずにそう言ったユウヒに、スマルは躊躇う様子すら見せずに言った。

「問題ない」
「……そっか」
「スマル! またお前はそんな事を……」

 サクが苛立ったように二人の会話に割って入ったが、それを制したのはユウヒの方だった。

「いいの、サク。私達が何を思おうと、これはたぶん、スマルにしかできない事だから。だったら、そうと腹を括ったんなら、私達が周りで騒いでスマルの心を揺らそうとするのは迷惑にこそなっても、意味なんてどこにもないよ」
「……お前はそれでいいのか、ユウヒ」

 サクがユウヒに問いかけると、ユウヒは力なく笑って言った。

「私にも、他にやる事がある。でしょ? どうする事もできない事、いつまでも考えてても前に進めなくなるだけでしょう。私には今、そんな時間はないよ……」

 サクが言葉を失い、スマルは俯いて黙ったままだった。
 ユウヒは思わず苦笑して、二人の肩を勢いよく叩いた。

「はいっ! 話はおしまい! すぐに出発するんでしょう? ヨシュナが来ない分、出発も早まるはずだよ。私も急いで準備しなくちゃ……じゃ、またあとで!」

 そう言うだけ言って、自分のためにと用意された馬のところに行ってしまったユウヒの背中にサクがこぼした。

「いっぱいいっぱいって顔してるくせに。なんであぁも頑張り過ぎるかな……」
「そりゃ、頑張りすぎだってわかってくれてる人間がいるから突っ走れんだろ、あいつも」

 隣でそう静かに言ったスマルの言葉に、サクが苦笑する。
 スマルも自嘲するように笑うと、サクに向かってまた幾度となく言った言葉を繰り返した。

「なるようにしかなんねぇんだよ。だからサクヤ、あいつの事、頼んだからな」

 昨晩から繰り返されるスマルのこの言葉に、サクヤはついに感情的になることなく返事をした。

「俺も……腹括れってことか。まったく、どいつもこいつも……わかったよ。万が一お前に何かあった時には、な」
「そう言ってもらえると安心だよ」
「だがギリギリのところまでは、お前がお前のままで留まれるように力を尽くすんだぞ? それは、絶対だ」
「わかってるよ。当たり前だろう? でも……どうなんだ、実際。その、あいつの事」

 準備に戻るため、また歩き出した二人だったが、スマルの言葉にまたサクが立ち止まった。

「ユウヒの事? またなんでそんな事……言っただろう? 考えたこともない」
「そうか……」
「ただ、俺のことを一番わかってくれているとは思う。似てるんだろうな、たぶん」
「…………」
「だからって違うぞ、スマル。正直なところ、女だとか、そういう目では見ていないんだよ」

 そう言ってまた歩き出したサクにスマルが並ぶ。

「それはそれでどうなんだ?」
「問題か?」
「いや、正直わからなくもない」

 二人は思わず顔を見合わせて笑うと、持ち場に戻り、自分の準備の続きを急いだ。