「黙れっ!」
ヨシュナの声が広間に響く。
「おい、スマル。もうよせ」
サクヤがスマルの腕を掴んだ。
だがスマルはサクに向かって寂しげな笑みを小さく浮かべただけで、また正面のヨシュナを睨みつけるようにして言った。
「ヨシュナ陛下。俺は嘘は言っていない。このまま蒼月を伴って交渉に行ってもルゥーン側に不利になるのはまず間違いない。ただ……あなたは先ほど、自分に尽くしてくれる民に応えたいと仰った。その言葉を俺は信じようと思う」
「……何が言いたい?」
ヨシュナがスマルを睨みつけ、サクとカロンも不安そうにスマルを見つめる。
スマルは静かに話し始めた。
「蒼月を我々にお返し下さい。その見返りは……実りある豊かな緑の大地。いかがですか?」
「何の話だ、それは……」
サクとカロンは黙ってスマルの言うことを聞いている。
スマルはその二人をちらりと見て頷くと、またヨシュナに向かって言った。
「白州をもしも手に入れたとしても、その土地を巡ってまた戦が起こる、血が流れる。あの土地に住む者達をもう苦しめたくないのです。その代わり白州とは比べ物にならないほどの広大な土地を用意します。収穫量が元通りになるまでには少し時間をいただくことになりますが……」
「……そんな土地がどこにある?」
ヨシュナの声にはまだ怒気が含まれているが、スマルは構わず続けた。
「あなたの国、あなたの力の及ぶ大地全てです、陛下。かつてこの国はとても豊かな国だった。それを取り戻して差し上げます。元々の目的が白州だと言うのであればまた別ですが、白州ではなく豊かな大地だというのであれば問題はないはずです」
「この国を蘇らせるというのか? 歴史書の中の記述にあるのみで、誠にここが豊かな土地であったのかどうかわからんのだぞ」
ヨシュナの顔に当惑が混ざり始める。
スマルは怯まずにそのまま話を続けた。
「大丈夫です。この国はクジャやヒヅよりも豊かに恵まれた土地でした。ご覧になった歴史書に嘘偽りはございません」
「ふん、まるで目で見てきたような調子の良いことを言う。それを信じて良いという判断材料はどこにもないではないか」
そう言って、ヨシュナはまた玉座に腰を下ろした。
「見てきましたよ、陛下」
スマルが言うと、ヨシュナは驚きと怒りに目を瞠った。
「ご存知ないでしょうが、クジャの土使いはその宿命を背負い自覚した後、何段階かにわけてあるものを引き継ぐのです。一つはその力、そしてもう一つが……記憶です」
「記憶?」
サクが思わずつぶやき、カロンと不思議そうに顔を見合わせた。
「歴代の土使い達が見てきたクジャの歴史、黄龍が見守ってきたクジャの記憶。主観を除かれたそれらの全てが受け継がれます。今の俺の中にはクジャとそこに関わったあらゆる事象、歴史がある。俺が引き継いだのはクジャを守護する力と、建国からのクジャの記憶なんです」
スマルは成り行きを見守る二人を見ようともせずにヨシュナを見ている。
ヨシュナは何かを言おうとして口を開きかけたが押し黙り、しばしの沈黙の後、口を開いた。
「今の……今の話を信じろと?」
「信じる信じないは陛下次第です。ただ、悪い話ではないはずです。どうしますか? 蒼月を解放して下されば、この国は豊かな土地を手に入れられるんです」
ヨシュナが息を呑む気配が三人にまで伝わってくる。
少し躊躇うような様子を見せた後、年若き王はスマルに問いかけた。
「……黄龍の解放後、どうする? 国に王と共に帰って終わりか?」
「いえ。他の守護者、四神達にも何かしら頼む所存です。あなたが捕らえている蒼月であれば、何の躊躇いもなく陛下に力をお貸しすると思います。もちろん俺も、国が落ち着くまではお手伝いをさせていただくつもりでおります」
「……黄龍の解放に余が立ち会うことは可能か?」
「可能です」
スマルはヨシュナから目を逸らさずに言い切った。
ヨシュナは顔を歪ませ考え込んでいる。
「お前達がそれほどまでにあの女に、月の王に拘る理由はそれか?」
突然に話の中心がずれたが、それにはサクが口を開いた。
「我が国クジャは様々な種族が共存している国です。そしてその種は必ずしも人とは限らない。だが長い歴史の中、どこかで歪みが生じたらしく、人以外には大変住みづらい場所となってしまいました。その歪みを修正できる者、国をあるべき姿に導くことのできる唯一の存在、それが蒼月なのです」
サクの言葉にスマルとカロンが大きく頷いた。
玉座の王は大きな溜息を一つ吐いた。
「それほどの使命を背負った月の王が、他国のために尽力すると、本当にそう思うのか?」
「……はい。数百年も前にした約束ですら守ろうとなさる方ですから」
スマルがそう言うと、ヨシュナの顔がクシャッと歪んだ。
「足許を見られている交渉というものが、これほどに腹立たしく憎らしいものとはな……」
ぼそりと玉座でつぶやくと、またその場で立ち上がり言い放った。
「いいだろう。一国の王がつまらん民草と対等に交渉などという屈辱、余に味わわせたことを後悔する日が来ぬように、せいぜい無い知恵を出し合って尽力するといい」