土使い


「あ、今のうちに……」

 誰の目もなくなった時、そう唐突に切り出したのはスマルだった。

「サクヤ、カロンさん。王様と交渉すんの、俺にやらせてもらえませんか?」
「お前に?」

 スマルの言葉に驚きの声をあげたのはサクだった。
 カロンも呆気にとられて言葉を失っている。
 だが、二人ともスマルがこのような局面にあって、冗談でそんな事を言う男ではない事ぐらいさすがに承知している。
 口を開いたのはサクだった。

「何か考えでもあるのか? それは…お前の力や黄龍が関係しているのか?」

 スマルは一瞬顔を曇らせたが、そのまま頷いてまた口を開いた。

「あぁ、そうだ。で、サクヤに頼みたいんだけど、いいかな。もしも国にとって何か都合の悪いことでも俺が言ったら、いや、言いそうになったら横から割って入ってもらえるか?」
「それは構わないが……何を言おうとしているのか、もうちょっと詳しく教えておいてもらうと、かなり楽なんだがな」
「……ユウヒと黄龍を使ってクジャに圧力をかけようとしているのはまず間違いないと思うんだ。俺は……この国の王がいったいどれくらい黄龍についてわかっているのか、そこが知りたい。それによってこっちも出方を考える。だから……」

 スマルが言いよどむと、サクが大きく溜息を吐いてスマルの肩をぽんと叩いた。

「出たとこ勝負ってことか。勝算はあるんだろうな? でなきゃそんな無謀な真似、許すわけにはいかない」

 その声は政に関わってきた者だから言える、強く厳しい、スマルの覚悟を見極めようとするような声だった。
 スマルは聞きなれないサクの声に、一瞬の間を置いてから力強く頷いた。

「もちろん。交渉の決裂すらあり得ない、絶対だ」

 カロンの顔からすっと笑みが消えて、その視線がサクへと移る。
 サクはその視線を受けてゆっくりと頷くと、スマルを正面から見据えて言った。

「そういう事なら……お前にまかせるよ、スマル」

 スマルが緊張した面持ちでサクとカロンを見て何か言おうとした時、それを遮るように王の到着を告げる声が広間に響いた。

「ルゥーン王国国王、ヨシュナ・サラン・ダラ・ルゥーン陛下、御入殿にございます!」

 その声を聞き、三人はゆっくりと横一列に並ぶと、特別に所持を許された剣を各々床に置いて膝をついた。

 手を掲げて拝礼をするが、敬意と忠誠を誓う礼は行わない。
 その礼は、自分が主君だと心に決めた人物に行う礼であるから、いくら相手が王であっても他国の王に対して行うことはないのである。

 王の入殿を伝えた者の合図で三人は顔を上げて立ち上がり、それぞれに再び帯剣し直した。
 見上げる位置にある玉座には、煌びやかに宝飾品で着飾られ、様々な青を重ねたルゥーンの正装に身を包んだルゥーン王、ヨシュナが足を組んで座っていた。
 頬杖をつき、まるで訪問者達を値踏みでもしているかのようにスマル達を見下ろしている。
 その瞳には、大人びた怪しい翳りと少年のような純粋で強い光が共存していた。

 ――これが……この方がルゥーンのヨシュナ国王陛下か。

 年のころは十八か、十九歳というところだろうか?
 幼い少年の面影をまだ少しだけ残したその顔立ちはすっきりと整い、生まれながらにしてこの国を統べるべく育てられた王族らしく自信に満ち溢れている。
 とても力強い光を放つその深海の蒼の双眸は、隣国からの訪問客をまるで射抜くかのようにまっすぐに見据えていた。

 急逝した父、先の王に替わりこのヨシュナが王となったのはもう数年も前の事だ。
 年若い王の即位にも関わらず国内が混乱する事もなく今日のルゥーンがあるのは、王と、その側近達の政治手腕のみがその理由ではない。

 市井から王が選ばれるクジャ、あくまでも人間の頂点として皇族が存在するヒヅ皇国と違い、この国の王族の扱いは神に近い。
 もちろんこの国の民も、当の王族自身も、王族が神の子孫などとは思っていない。
 だが、この荒れた大地の上に建つ国家を牽引する王とその一族に対するこの国の人々の信頼と忠誠心は、他のどの国の民のそれよりも厚く、危ういほどに純粋で、それは既に信仰にすら近いものがあった。

 臣下、そして全国民の期待と信頼の心を一身に浴びて育った王が、年若いとはいえ一国の長としての威厳と風格を既に兼ね備えていたとしても、ここ、ルゥーンではなんの不思議もない。
 そして他の王族達もまた、国民のそんな想いにその存在全てで応えようとしている。

 この国の王族は、その頭を布で隠すことが慣例となっている。
 他者に頭を下げる時、人は他者の前にその頭を無防備に晒す。
 王族がその頭を隠すように纏う大きな布は、何者にも屈しないというこの国の決意の証なのだ。

 目の前にいるヨシュナも、王族を意味する高貴の青と、王の色、群青に染め上げられた大きな布で頭部全てを覆い隠し、その上に王冠を戴いていた。