即位


「ショウエイ殿、お疲れになりましたか?」

 サクが少し顔色の優れないショウエイに声をかける。
 ショウエイも感じるところがあるのだろう。
 少しだけ開いた扇で顔を隠すようにして、小さく溜息混じりに言った。

「そうですね、少し疲れているかもしれません。このところ本当にずっと忙しかったからね。それはあなたも同じでしょう、サク」

 そう言われてサクが自嘲するように笑う。

「それはそうですが……すみません。もう少しお役に立てれば良かったのでしょうけれど、力が及ばず」
「サク。それは本心で言っているの? かなり無理をさせたと申し訳なく思っていますよ。いや、君がいなかったらどうなっていたか、考えるだけで私は背筋が寒くなるよ」

 そう言って、ショウエイは扇を閉じてサクの肩をとんとんと叩いた。

「だけど、我々にはまだ仕事が残っていますからね。持ち出したものを宝物殿や私の部屋にまた戻さなくてはならないし、女官達に手配して、ホムラ様には先読みの儀の準備に入っていただかなくてはならないしね」
「それですが、ホムラ様についてはカナン殿と偶然お会いしました時に手筈を伝えておきましたから、おそらく今頃はもうすでに準備を始めている頃ではないかと思います」

 その言葉にショウエイが驚いたようにサクの顔を見つめる。

「仕事が早いですね、サク。助かりますが……なぜカナン殿と? あぁ、偶然と言っていましたね」

 探るようなショウエイの問いにサクは思わず苦笑する。
 だが隠すようなことは何もなく、そのまま正直に答えた。

「取り忘れた宝飾品を取りに宝物殿へ行かれたようで、そこからお戻りになるところに私が通りがかったのです。別に何も含むところはありません」
「そうですか。私はまたホムラ様の姉君について、何かお話でもされたのかと思いましたよ」

 悪びれもせず、隠そうともせずに踏み込んでくる遠慮のないショウエイの言葉に、サクは首を横に振って答えた。

「本当に何もありません。確かに彼女の事は心配ですが……ここにいる自分にできることなどありませんしね」

 その言葉にショウエイからは何もなかった。

 五階層目まで上がったところで、ショウエイはサクに露台の方を片付けるように指示して、ショウエイ自身は即位の儀の執り行われた王の間へと向かった。
 扇を振って柔らかく微笑んで立ち去るショウエイを、拝礼してサクは見送った。
 そしてサクは露台に向かうと、観音開きになっている扉を勢いよく開け放った。

 まだほんの少し祝砲の余韻を残した風が真正面から吹き込んでくる。
 その風は中庭で楽士達の奏でる演奏の音も運んできた。
 サクは露台に手をかけて、そっと下を覗き込む。
 高い所が苦手ではあったが、中庭の様子が少し気にはなったからだ。

 本来であればスマルとユウヒが剣舞を披露していたであろう場所で、女官達がくるくるとその袖を靡かせて舞い踊っている。
 サクは剣舞の稽古をしていた二人の姿を瞼の裏に思い浮かべ、悔しそうに顔を歪めた。

「ユウヒ……」

 言うともなく口をついてでたその名前に、サク自身が驚いてその双眸を瞠る。
 だがショウエイに言った自分の言葉を胸の奥で繰り返して、サクは一人、片付けを始めた。

 ――ここにいる俺に、できることなんてないんだ。

 サクは耳に届く音楽を楽しむ余裕もなく、目の前の扱いの難しい品々に集中した。
 もう一度封印し直す必要があるものの前では手早く印を切り、一つ一つ、丁寧に露台から運び出した。

 結局、手配した官吏や術師などの手を借りても、全ての品を元通りに戻した頃には宴も何もすっかり終わり、日付けはすでに翌日のものとなっていた。
 いつの間にか眠ってしまったようで、サクはショウエイの部屋、青龍殿の春大臣執務室で朝を迎えた。
 差し込む朝日で目を覚ましたサクは、誰もいないはずの部屋に何者かの気配を感じた。

 ――ん? なんだ?

 寝ぼけた頭も一気に冴えて、辺りの気配に集中する。
 小さな物音が一瞬して、その気配はすぅっと消えてしまった。
 サクは長椅子から体を起こし、その物音がした方を振り返る。
 そこには小さな紙切れが落ちていた。

「なんだ?」

 サクはそう声に出して立ち上がると、その紙切れを拾ってまた椅子に座った。

 ――ジン、かな?

 サクは自分の膝の上にその紙を置くと、手早く印をきって封印を解いた。
 紙の表面に短い文章が一瞬だけ浮かんですぐに消える。
 あとには何の脈略もない、買い物の覚書のような落書きが残った。
 その残った文字の内容とは裏腹に、小さな紙を見つめるサクの顔はみるみる蒼褪めていった。

 ――いったい何があった?

 そこにはユウヒがルゥーンの王により拘束された事と、スマルがサクを寄越せと言っている旨が手短に書かれていた。

 詳しい事情の説明などは何もない。
 やっと即位の儀が終わり緊張感から解放されたばかりのサクの顔に、また別の緊張が浮かび、それと同時にサクの頭脳がこれ以上はない勢いで働き始める。
 無意識に髪に手が伸びる。
 無理に一つにまとめた宮勤めにしては短めの髪から後れ毛がぱらぱらと落ちた。

 そこへ同じように泊まりで後処理をしていたショウエイが顔を出した。