キトの気配が消えたのを見計らって、口を開いたのはカナンだった。
「やはり、ユウヒ様は国外追放が限界だったようですね。動いたのが無駄ではなかったようですが……残念です」
「そうね、カナン。でもこれで、全て何事もなかったみたいに落ち着くのかしら」
溜息混じりにリンが言うと、カナンは苦笑して首を横に振った。
「恐れながら、私にはそうは思えません。城の重鎮達はそう思っているかも知れませんけど……ユウヒ様達が国外追放を甘んじて受け入れているのには、何か理由があるのではないかと思うのですが、いかがですか?」
カナンのいう言葉はもっともな話ではあったが、そうなると新王として即位するシムザの立場も微妙になってくるため、リンは迂闊な言葉は吐けないと苦しそうに顔を歪めた。
「ホムラ様? ここには私しかおりません。そのような顔をなさらずとも、思ったことを口にして下さっても……いざという時にはすべてこの私が引き受けます」
「カナン……ありがとう。でも大丈夫、郷に帰ってきてからいろいろと考えたの。私はたぶん、シムザの傍らにいるべきなんだと思う」
「なぜ、とお聞きしてもよろしいですか?」
カナンがリンと向かい合うように座りなおし言った。
表情は穏やかだがその口調は鋭かった。
リンは泣きそうな笑顔を浮べて答えを吐き出した。
「だって、シムザが王になろうって動き出したのは私がホムラだって事も関係しているんだもの。私が支えてあげなくちゃ……それが私の役目なんだから。シムザもそうして欲しいって思っているはずだから、私はそれに応えないとね」
そう言って俯いたリンは、小さく吐息を漏らした。
「シムザはきっと、私を付き従わせることで周りに自分が王なのだって認めさせようって思ってる。私はホムラ様なんだから王のそういう思いには応えなくちゃ。そういうものでしょう、カナン」
躊躇っているようでいて、まるで用意してあった言葉を読み上げているようなリンの言いように、カナンは少し苛立ちを感じた。
リンの言葉、そこにリンの意思というものがまるで感じられなかったからだ。
カナンは姿勢を正すと、改めてリンに向かって言った。
「ホムラ様、よくお考えになってお答え下さいませ。私はシムザ様があなたに何を望まれているかではなく、あなたがどうなさりたいかが知りたいのです。どうあるべきかではなく、どうしたいのか。他が何と言おうと、私はホムラ様の味方でございます。どのようなことを申されても、私はずっとあなたのお側にいる所存です。ですからどうか……!」
詰め寄ったりすることはないものの、勢いのあるカナンの言葉にリンは目を逸らす。
その視線は宙を泳ぎ、答えを探すというよりはむしろ逃げ場を探しているように見えた。
「ホムラ様?」
返事を催促するかのように、カナンがもう一度呼びかける。
「ごめん。カナンの言ってることがわからないよ。どうして私の答えじゃだめなの」
カナンはまっすぐ目をそらすことなく、リンの言葉を遮って続けた。
「姉君は、ユウヒ様については何も? あの方があのままで終わってしまうとホムラ様はお考えなのですか? これまでの全てをなかった事にして新王陛下に付き従うと、そういうことですか」
「カナン……そんな風に言わないで。私はそんな……それに姉さんはすごい人なんだから、私なんかがどうこうしなくったって平気よ、きっと。お友達だってたくさんいるし、助けてくれる人だっていっぱいいる」
「ホムラ様……」
「姉さんには周りの人を惹きつけるそういう何かがあるもの。今の世では決まりごとが違うんだから、王様にはシムザがなるって決まったけれど、姉さんはきっとどこかでまた違ったふうにいろいろ楽しんで生きていくんだよ、そういう人だもん」
カナンはリンの言葉に妙な違和感を覚えた。
会ってまだ間もなく、言葉を交わした時間も短い。
だがカナンの思うユウヒ像と、リンの語るそれとは明らかに大きな隔たりがあった。
「本当に、ユウヒ様はそのような方だと?」
「え? だって昔からそうだもの。どんな時でもいつも自信を持って自分の道を切り拓いていくんだよ。ルゥーンでもきっと……だから私は、ここでホムラ様として頑張るの。そうしたらシムザも安心だろうし、父さんや母さんも心配させなくってすむもの」
リンの言葉は全て自分に言い聞かせるような言葉だった。
だがリン自身がそれに気付いてはいないことがカナンにはわかった。
――この方は……他人の目を通してでないと、ご自分を見ることができないのだわ。
カナンは目の前にいるリンを視界から追いやるように目を閉じた。
――それなのに、ユウヒ様については見ようとしていない。ホムラ様の中でご自分の都合のいいように作り上げた姉君像を追いかけていらっしゃる。
ホムラ様となって城で出会う以前のリンの事をカナンは知らない。
だが、リンのこれらの物言いは全て、自分を護ろうとするあまりそうなってしまったものなのだろうという結論にカナンは達した。
いったいいつ頃からこれほどまでにリンは追い詰められてしまっていたのか。
カナンはしきりに思いを廻らせたが答えは出そうになかった。
何に対しても真正面から真摯な態度でぶつかっていくリンを危うい存在だとカナンは常に懸念していた。
だが無心になって懸命に取り組むことで、城での自分の居場所を、自分の価値を見出そうとしているリンに対して、女官であるカナンは気遣うことしかできなかった。
――もっと早く気付いていれば……そうすれば責務もさることながら、もう少しやりようがあったろうに。
カナンはそれが悔やまれてならなかった。
目を開けると、不安そうにカナンを見つめるリンがいた。
城でいつも見ていた、苦しそうに影を自らの中に押さえ込み、力なく微笑むリン。
この方が心から笑った顔を私は見たことがあるだろうかと、自分がさせてしまったその翳りのあるリンの微笑みに、カナンは自嘲するように苦笑した。
「あなたは……ホムラ様なのですね。思い悩み、自らを暗闇の中へと閉じ込めてしまう。暗闇の中で、輝く光は全て幸せに満ち溢れていると信じていらっしゃる」
カナンの言葉に、リンはわけもわからずただにっこりと微笑んだ。
その微笑が、またカナンの心を少し揺さぶった。
――光は影を生む。それを承知で光としてあろうと決めたユウヒ様の覚悟。この方がもう少し理解しようと寄り添っていたなら、お二人とももっと違う道を歩んでいけたでしょうに……。
意味ありげな顔でまっすぐに自分を見つめるカナンを、リンが不安そうに見つめる。
カナンはふっとその表情を和らげてリンに言った。
「さ、ホムラ様。出立の準備に急いで取り掛かりましょう。城でシムザ様がお待ちですよ。即位の儀を前に不安もありましょう……お側で、支えてさしあげるのでしょう?」
カナンの言葉に、リンの表情がみるみる明るくなっていった。
「えぇ、カナン。急ぎましょう」
翌朝早く、城からの迎えと共にリン達ホムラ一行は城へ向けて出発した。