中にいるのはチコとキト、そして長老の三人だけだ。
目を閉じて、腹を括ったキトは大きく息をしてからチコを見て言った。
「なんでしょうか、チコ婆様」
感心したように小さく笑いを浮べてチコが答える。
「確認じゃキト。お前、どこまで知っている?」
生唾を飲み込む音がキトの耳の奥でごくりと鳴る。
キトは慎重に言った。
「どこまで、と言うのは……ユウヒの事でしょうか?」
キトはまっすぐにチコを見ている。
長老の手に汗が滲んだ。
「……誰から聞いた?」
チコの視線もキトから動かない。
キトはこれならば大丈夫だろうと、少し安堵して言った。
「本人から聞きました。でもユウヒがあるものに選ばれたって事くらいですかね。詳しく聞いたわけじゃありませんが、腕に浮かび上がる蒼炎の痣を見せてもらいました」
「選ばれた、か。何に、というところまでは、どうだ?」
キトは小さく息をしてから答えた。
「知っています」
チコと長老は顔を合わせて頷き、長老はそのまま立ち上がると部屋を出て行ってしまった。
引き戸の閉まる音がして、部屋にはキトとチコ、二人になった。
「秘密を抱えておるのはつらいだろう。ニイナには、話したのか?」
チコ婆の声は穏やかだが、発せられる気はとても鋭く研ぎ澄まされている。
緊張感の漂う中、キトは首を横に振った。
「いえ、妻も含め、誰にも話してはおりません。話を聞いた後すぐに城を離れましたし、それ以降、誰ともその話はしていません。軽々しく口にしていい話題とも思えませんでしたから」
「そうか……わかった」
チコがキトから視線を逸らし、大きく一つ息をした。
そして緊張した面持ちのキトを一瞥して笑みを浮かべると、チコがまた口を開いた。
「即位する王はシムザだ。まぁいろいろとあってな……噂で聞き及んでいるかもしれないが、ユウヒは今、王を騙った罪人として囚われておる。通常であれば即刻問答無用で死罪のところをどうやらリンの、ホムラの実姉ということで特別処置となったようでな。国外追放処分と決まったそうじゃ」
「ユウヒが? 国外追放、ですか」
「あぁ、そうだ。何やらどんどん、ややこしい事になっておるようじゃな」
チコはそう言って大きく溜息を吐いた。
キトはそのまま、チコの次の言葉を待った。
「なぁ、キト」
「……はい」
そう呼びかけたチコは、少し間を置いてまた話し始めた。
「リンを城に返す。王の即位式にホムラ様がいないなんてのぁあり得ないからね。ここから何がどう動き始めるかはわからないが、この先、我々はその立場を明らかにするわけにはいかん。どちらにもつかず、事の成り行きを見守っていくしか他はあるまい」
「承知しております」
「うむ。なぁ、キト。お前は幼い頃からユウヒと一緒だったよな、いろいろと辛い思いをさせるやもしれんな」
チコの言葉にキトは首を横に振った。
「お気遣いありがとうございます、チコ婆様。ですが……私は護衛などという任にはついておりますが、武人ではありません。身の程は弁えているつもりです。下手に動くよりも何もせずにいた方が、かえって助けになるということもあるというものでしょう」
「そうだな。そういうことだ」
「はい、わかっているつもりです」
「……すまんな、キト」
チコはそう言って、キトに向かって頭を下げた。
「チコ婆様、やめて下さい。それに俺は、そんな悲観的に考えてもいないんですよ」
キトの声はその言葉の通りに思いのほか軽やかで、チコは驚いたように顔を上げた。
食い入るように見つめられたキトは、照れくさそうに頭を掻きながら言った。
「あいつ……いつも本番に強いでしょう? ここだって時には絶対にはずさない。今回のことがいつもと比べ物にならないくらい大変なことだってのはわかってます。でもね、チコ婆様、あいつなら大丈夫って、そう思っているんです」
チコの視線が縋るような弱気なものに一瞬変わる。
キトはそれに気付かないふりをして、さらに続けた。
「根拠なんてない。でもいつもと同じように、あいつなら大丈夫って思えるんですよ。どちらかと言えばスマルの方が心配なくらいですよ。ユウヒの側で、無茶しなければいいんですが……」
「そうか……そう思うか」
まるで自分に言い聞かせるように言うチコに、キトはゆっくりと歩み寄ってすぐ目の前に腰を落とし、笑顔で言った。
「チコ婆様の孫でしょう? 大丈夫ですよ、腹括ってかかった時のユウヒは本当にすごい。それに、スマルもついてるんです。受け皿がずっと側にいるんですから、ユウヒは……ね、チコ婆様」
チコはキトの手をとって、声にもならない御礼を何度も繰り返した。
キトはそのまましばらくチコの背を擦ってやっていたが、落ち着いてきたのを見計らってその場を辞し、すぐにリンのところに向かった。