ヒリュウは肯定も否定もせず、ただその言葉に耳を傾けていた。
その視線の先で、蒼月は何か思案に暮れている。
そしてふと何か思いついたように、視線を自分の髪からヒリュウに移すと、またゆったりと話し始めた。
「ここで過ごす間の護衛を頼めるか? ほんの数日の事だ、どうじゃ?」
蒼月の視線に絡め取られたように呆けていたヒリュウは、その言葉にハッとして、すぐに返す言葉を探した。
「あの…えぇ、数日でしたら平時ですし、こちらも何の問題もありません。二名程、腕の達つ者をこちらによこしましょ……」
「何を言っている?」
「え? あの、どういう……?」
腹立たしげに言葉を遮った蒼月の態度に、ヒリュウはわけもわからず問い返す。
蒼月は呆れたように口を開いた。
「お前に頼むと言ったのだ、将軍」
「私……ですか」
「おぉ。どうじゃ? 私を休ませたいのであろう?」
さきほどと同じく無表情を装う蒼月の、その口許にうっすらと笑みが浮かんでいる。
ヒリュウは安心したように小さく笑って言った。
「陛下がそうお望みなのであれば、仰せの通りにいたしましょう」
その言葉に驚いたのか、蒼月は慌てて言葉を継いだ。
「本当に良いのか? その、禁軍は……」
「大丈夫ですよ、陛下。それくらいのわがまま、お付き合いいたしましょう」
「……また、私の事をわがままと言ったな。ヒリュウ」
そう言った蒼月の顔はとても穏やかで、露台で言葉を交わした時と同じように笑っていた。
しかしそれも、扉の向こうに近付いてくる小さな足音と共にまた一瞬で消える。
暗い表情で目を逸らす蒼月に、かけてやる言葉をヒリュウは持たなかった。
「では陛下。私はこれで失礼させていただきます」
「うむ。また明日、同じ時間にここへ。人払いはしておく」
「……承知いたしました。ではこれにて、陛下。失礼します」
そう退出の挨拶をするヒリュウの言葉に、蒼月からの返事はなかった。
思わず苦笑する自分に気付かれないように踵を返したヒリュウは、扉の方へと歩いて行った。
その背には蒼月の視線すら感じない。
いったい今、蒼月は何を考えておられるのか、ヒリュウにはまったくわからなかった。
扉を開けようとすると、その向こう側から女の声が聞こえてきた。
「蒼月様、ヨウカにございます。よろしゅうございますか?」
王付きの筆頭女官の呼びかけに、蒼月が一言返事をした。
「入れ!」
「失礼いたします……あっ! こ、これは……っ、申し訳ございません」
まさかすぐそこに人がいようとは思いもよらなかったヨウカは、部屋に入るなりそこに立っていたヒリュウと正面からぶつかってしまった。
よろけるヨウカの肩をヒリュウが支える。
その支えた人物の顔を見るなり、ヨウカは慌てて脇に控えて膝をついた。
「あの、いらっしゃるとは存じ上げなくて……」
「いいよ。それより、大丈夫だったか?」
鍛え上げられた武官とぶつかった女官をヒリュウが気遣う。
女官は恥ずかしそうに頭を下げて返事をした。
「はい、大事ございません。お気遣い、恐縮に存じます」
「ははは、そう恐縮しなさんなって。じゃ、俺はもう行くから」
正装をした、その精悍な若者に、女官達が一斉に頭を下げる。
ヒリュウはもう一度部屋の中の蒼月に向かって退出の挨拶をした。
「では陛下。失礼いたします」
「……あぁ」
小さく返されたその言葉にヒリュウは丁寧に礼をして、その場を立ち去った。
その後姿を見送った女官達は、それぞれに入室の挨拶をして蒼月のいる部屋の中へと入ってきた。
「将軍様がお見えになるとは存じ上げず……申し訳ございませんでした、蒼月様」
「いや、気にすることはない。約束があったわけではないのだ」
「左様でございますか。して、将軍様はどういった御用向きで?」
「……さぁ?」
興味なさそうにそう言ったきり、蒼月は黙りこくってしまった。
それもいつもの事だった。
女官達も慣れたもので、すぐにそれぞれの持ち場へと戻っていった。
蒼月はゆっくりと立ち上がると、またゆるゆると気だるそうに歩き、寂しげな表情で露台の方に出て行った。