「じゃ、ちょっくら陛下んとこ行ってくるわ」
そう言ってヒリュウは踵を返し、元来た方へ戻っていった。
ザインはそれを黙って見送った後、自分の執務室のある方へ歩き出した。
そのままずっと考え事をしながら回廊を進んでいたザインだったが、人気のないある一角にさしかかった時、姿のない『声』に呼び止められた。
「朔様」
ザインは腕を組み、その声のした方の壁に寄りかかって小さく返事をした。
「ザザか?」
「はい」
ザザと呼ばれたその声の主は、いったいどこに潜んでいるのか、姿を見せないままに話を続けた。
「ヒリュウ殿の行動について、ルゥーンにおります私の羽根より連絡がありました」
自分にしか聞こえないその声に耳を傾けながら、ザインは眉間に皺を深く刻んだ。
「やはりあいつは国境を越えてルゥーンまで足を伸ばしていたんだな?」
「はい」
「単独か」
「単独です」
「そうか……続けろ」
「はい」
ザザはそう返事をして、報告を続けた。
朔には王の直接干渉を受けない漆黒の翼という組織を動かす権限を持っている。
いわば諜報機関とも言える活動もこなし、表舞台に出てくることはほとんどない少数の精鋭からなる朔の手足である。
王の四神と、朔の漆黒の翼を国の両翼と例える者も多いが、後者について詳しく知る者はほとんどいなかった。
ザインは朔の権限で、漆黒の翼に属しているザザという男を遣って、ここしばらくのヒリュウの行動をずっと監視していた。
いくらこれといった仕事がないからとはいえ、禁軍本来の勤めである王、並びに王宮の警護という責務を放っておくような、ヒリュウはそんな人間では決してなかった。
白州の国境付近は小競り合いの多い地域とはいえ、最近のルゥーンとクジャの関係はそれなりに落ち着いてはいるのだ。
このような平時にも緊張感を持続させるために、国境の警備に喝を入れにいくというのも別におかしな話ではない。
おかしくはないが、そもそも禁軍自体が武官案の中でも選りすぐりの者達の集まりなのである。
上官を送り込むにしても禁軍の部隊長級の武官を派遣すれば、それで十分な効果は得られるというものだ。
そこを将軍自ら出向いていくというのは明らかにおかしい。
普通に考えても、他に何か目的があるとした方が自然なのである。
そう言った理由からザインは、ヒリュウの行動にはずっと疑問を抱いていたのだった。
「え? 神殿、と言ったか?」
「はい」
ザザの報告のある言葉にザインが口を挿んだ。
「神殿といえば、ルゥーンにおいてクジャの社ようなものであると記憶しているが」
「左様でございます。件の神殿は、現在は国境よりルゥーン側、西方へかなり進んだ砂漠の中にあり、なんでも現地の者の話によると砂漠の龍が封印されているという話なのでs」
ザインの顔色が変わる。
「砂漠の龍だと?」
「はい」
「黄龍か?」
「おそらくは……」
ザザの返事にザインは黙り込んだ。
黄龍といえば、土を司り、その力は土使いであるヒリュウに引き継がれている。
土使いであれば黄龍との意思の疎通も可能で、会話すらも可能であるとザインは聞いていた。
ヒリュウが黄龍の神殿を突き止めたとしても何ら不思議はなかった。
だが、そこへ出向いていく理由がわからない。
ザインは身を起こし、顔を上げた言った。
「詳しく聞きたい。執務室の奥の間で待つ。人払いはしておく」
「わかりました」
そう答えた瞬間、ザザの気配は跡形もなく消え去った。
ザインは一つ溜息を吐くと、力なくつぶやいた。
「いったい、何をしようっていうんだ、ヒリュウ?」
無意識に振り返り、さきほどわかれたばかりの友へと思いを馳せる。
――まったく、お前はいつだってそう。肝心な事は最後の最後まで俺には言わないんだ。
悔しそうに顔を歪め、ザインは踵を返し、自分の執務室へと急いだ。