その日の朝議は奇妙な緊張感に包まれていた。
もう空席であるのが常となりつつあった一番上座にあるその席、玉座。
今日はそこにあるべき人の姿がある。
いったいいつ以来の事であったろうかと思う居並ぶ面々の心中も無理からぬことだった。
その場にある全ての視線がその一点に集中している。
かくいう玉座の人はそんな視線を気にする様子すら見せず、ただただ退屈そうに時が過ぎるのを待っている様子だった。
聞いているのかいないのか戸惑いながらも、各省大臣達を始めとする大官達が順に報告や要望などをここぞとばかり王に伝えるのだが、王はその一つ一つに返事程度の反応は示すものの、きちんと理解した上で返事をしていないのは明らかだった。
久々の列席に淡い期待を抱いた者達は、そうして皆、溜息とともに自分の発言を締めくくって席に着くよりほかなかった。
――期待した分かえって逆効果だな、これは。
熱心に弁を振るった者達の顔に諦めの色が浮かんでいるのがわかる。
ザインは内心そう思いながらも、朔として、ただ坦々と朝議を進行させていった。
ほんの数刻前、王がこの場に姿を現した時に湧き上がった溢れるような期待感はいったいどこに行ってしまったのか。
今はただ、皆いつも以上の焦燥と諦めの表情を浮かべ、空気の重く沈んだ朝議の場をさらに澱ませているだけだった。
そうこうしているうち、事前に朔のもとに届けられている予定していた議題は全て、議論されることなく王の気のない返事と共に打ち切られて終わった。
これ以上は時間を無駄に浪費するだけで意味はなかろうと、朔がそろそろ朝議を終わりにしようかと頃合いを見計らっていると、朱雀省、通称夏省の夏大臣のすぐ隣に列席していた大将軍が動いた。
大将軍ホウエン。
すでに第一線からは退いてはいるものの、禁軍を含めたこの国の全武官の頂点、大将軍職にある重鎮の一人、ホウエン。
その豊かな経験と知識から、文武の別を問わずに多くの官吏から慕われており人望が厚い。
実質、武官達を動かしているのは各軍の将軍達だが、その全ての動向をホウエンは常に把握していると言われる。
後進を育成することにも熱心で、よほどの間違いでない限りは助言を与える程度で表舞台に出てくる事はほとんどない。
そのホウエンがゆっくりと立ち上がった。
「ホウエン殿、いかがなされた?」
驚いたように声をかけたのは、青龍省、通称春省の大臣タキだった。
タキの言葉と集まった視線に応えるかのようにホウエンはゆったりと頷くと、そのすぐ後ろに控えている若者を一瞥してから口を開いた。
「そろそろお開きかという時に朝議を長引かせるようですまんのだが、実はうちの若いのが何やら言いたい事があるらしくてな」
そう言われて朔の視線がホウエンの背後へと移る。
そこにあったのは他でもない、随分目にしていない正装に身を包んだ親友の姿だった。
――ヒリュウ、か?
ザインは内心驚きつつも、王の方をちらりと見やってからホウエンに向かって言った。
「禁軍将軍ヒリュウ殿。どうぞ、発言を」
朔が促すと、ホウエンが脇に少しだけ寄って、後ろから精悍な顔立ちの男が現れた。
丁寧に拝礼すると玉座の方へと視線を泳がせ、そしてそれはゆっくりと移動して朔で止まった。
「発言の機会をいただきありがとうございます」
禁軍の将軍がいったいこの場で何を言おうというのか。
場の注意が一瞬でヒリュウの方に集まった。
ホウエンは愉快そうに笑みをかみ殺し、ヒリュウは掲げていた手を静かに下ろすとその顔をくいっと上げて朔を見据えた。
「この場で申し上げる事が妥当であるかどうか迷うところではあるのですが、ホウエン様よりむしろこの場でお伝えするべきだとの助言をいただきました。無礼を承知で申し上げます。陛下はお疲れでいらっしゃるのではありませんか」