届かない声


 何を話すわけでもなく、若干の距離をおいて二人は階段を降りていった。

 朔と禁軍将軍という組み合わせに、行き交う者達は皆深々と礼をして通り過ぎていく。
 この二人が親友である事は周知の事で、二人の話が仕事の話であれ何であれ、皆その邪魔にならないように言葉少なに去っていくのが常だった。

 時に手を上げて、時に労いの言葉をかけながら歩いていく。
 二人が向かったのは、禁軍所有の騎獣の厩舎だった。

「何か話があるんだろ?」

 当然のようにこの場所までザインを連れてきたヒリュウが、確認するように声をかけると、ザインはハッとしたように顔を上げ、笑いながら答えた。

「まぁね。話というか…」

 ヒリュウが自分専用となっている大きな虎のような騎獣の背を撫でながら、ザインに顎をしゃくって言った。

「…まぁいい。ほら、自分でできるだろ? そのへんのどれか適当に…」
「はいはい」

 ザインは厩舎の中をサッと見渡し、金色にも見える見事な毛並みの騎獣の側に近寄った。
 背を優しく撫でてやると、嬉しそうにザインに顔を摺り寄せてきた。

「よし…お前にしよう。よろしく頼むよ…おい、ヒリュウ。この騎獣は誰のもんだ?」
「どれだって?」

 ザインに訊かれて、甘えるような声をあげながら頬ずりせんばかりに近付いてきた黒い毛並みから離れ、ヒリュウが顔を上げる。
 ひょいっと背伸びしてのぞき込むような動きをして、また自分の黒い騎獣に視線を戻した。

「そりゃケイジュのだな。そいつを選ぶとは、やっぱりお前はいい目をしてる」
「ケイジュの…どおりで…そうか、お前の主人はケイジュなんだな。あぁ、でもそれじゃこいつを借りるのはまずいかな」

 禁軍の詰所で後を任されたケイジュの顔が浮かんだ。
 何か起こった際に騎獣がいないのはまずいだろうと、ザインが名残り惜しそうに目の前の金色から離れようとすると、その気配を察したヒリュウが声をかけてきた。

「気にすることはねぇよ、ザイン。そいつを使え」
「いや、でも…これはケイジュのだろう? さっき後を頼むといったじゃないか。将軍のお前がいない時に副将軍の騎獣がないっていうのは困るだろう?」
「困るもなんも、問題なんかねぇよ」
「そうは言っても…」
「なんも問題なんかねぇって言ってんだよ」
 吐き捨てるような声に、ザインが顔を上げると、目が合ったヒリュウが苦笑しながら言った。
「禁軍が出張ってくような何が起きるってんだよ。問題ねぇ、ケイジュの騎獣を使え、ザイン」
 一瞬言葉に詰まったザインが、小さな溜息をついて頷いた。

「…今日はよろしく頼むぞ」

 ザインがそう言うと、まるで言葉がわかっているかのように金色の騎獣はザインの事をじっと見つめた。

 ケイジュは禁軍の副将軍で、名実共にヒリュウの片腕となっている男だった。
 そのケイジュが使用している騎獣の手綱をとると、ザインは先に厩舎の外に出ていたヒリュウの側へと急いだ。

「さて、ザイン。どこへ行く?」
「そう…だな、都が見渡せる場所へ」
「またか。まぁ、あの場所を教えたのは俺だけどな」

 そう言って笑うと、ヒリュウは自分の黒い騎獣にまたがり、力強く大地を蹴った。

 黒い影がふわっと宙に浮かび、その後ろを金色の影が追う。
 夕刻の橙色の空の中、二つの影はすぐに黒い点となった。

 都の上空を駆ける黒い点は内陸の方へゆっくりと動いていく。
 それから半刻ほどの後、都を見下ろす切り立った崖の上にザインとヒリュウはいた。

 二人はよくこの場所まで足を運んだ。
 都へと吹き降ろす風が、二人の間を音を立てて通り過ぎていく。
 その音に驚いたのか、背後で騎獣が脅えた様に鼻を小さく鳴らしている。 
 二人は並んで、ライジ・クジャの街を見下ろしていた。

「砂の都とは、よく言ったもんだな」
「あぁ。商業都市としても、宿場としても、よく発展はしているが…」
「目に見えて砂に覆われた範囲が拡がってる…今日明日の問題ではないにしても、街の砂漠化ももう時間の問題だろうな」

 そう言って、自分達の住む街を眺める。
 古くから、交易の場として栄えてきたクジャは、今も街の中心に大きな市場を抱え、一大商業都市としてもその名は広く知られていた。
 だが近年、拡大しつつあった砂漠が街の近くまで迫り、ついには街を砂が覆い始めた。
 まだ人々の暮らしに影響が出るほどのものではないが、こうして全体を眺めてみるとその状況はかなり深刻である事は一目瞭然だった。

「山から吹き降ろす風も、砂を追いやるよりは、むしろ砂漠化を早めてるんだろう」

 ザインがつぶやくように言うと、ヒリュウがそれに答えた。

「あぁ、だろうな。ここからの風は乾いてっからなぁ、思っていたよりずっと早く砂漠に街が呑まれてきてる。そんで…王は、どうなんだ? やはり無理か?」
「無理だろうな。この国がどうなっていようが、あの方は興味すら示さない」

 苦笑するザインに、ヒリュウがさらに問いかける。

「四神は? 四神の方々はどうしておられるんだ? あの方々はそもそも国を護る者。国のために立たぬ王を、どう思っておられる?」

 ザインは諦めたように首を振った。

「わからん。話をする機会がないのだ。王と四神は常に一緒におられる。よっぽどの事がない限り、あの四神を置いて王だけが宮を出るなどあり得んのだ」
「そうか…どうにか話ができれば、何かやりようもあるんだけどな」

 そう言って、また砂に覆われつつあるクジャの街を二人して見下ろした。
 ふと、思い出したようにヒリュウが言った。

「ザイン。前にお前、ライジ・クジャとその周り一帯はすごく肥沃な土地なんだ…って話、してくれたよな?」

 ヒリュウの言葉にザインが少し笑って答える。

「あぁ、話したな。お前、ホムラ郷の出なのに本当に郷塾で習った事を覚えてないもんだから」

 ザインに言われてヒリュウはばつが悪そうに頭を掻きながら顔を歪めた。

「いいんだよ。自分のあやふやな記憶を苦労して辿るよりか、お前に聞いた方が情報も正確だしさ。で、ザインが俺の先生みたいなもんなんだよ」
「何を言ってんだか…」

 ザインはそう言いながらもまんざらでもなさそうに話を続けた。

「もう遥か昔の話だけどな、書物に残ってるんだ。度々氾濫を起こすクシャナ川がもたらす恵み、とでも言うのかな?」
「にわかには信じがたいけどなぁ」
「まぁな…クシャナ川が上流から肥沃な土を運んで来て下流で氾濫を起こす。水の引いた後には肥沃な大地が広がっている。そこに先祖達がクジャを開いたんだ」
「自然とうまいことやってたんだな、昔の人間ってのは。今の都を見たら泣くぜ…」

 ザインの話を聞いて、ヒリュウは溜息まじりにつぶやいた。
 そんなヒリュウの様子に、ザインも溜息をつく。

「手立てはあるはずなんだよ。四神の玄武殿は水を司るお方でもある…何か手立てが……」