「お帰りなさい、将軍!」
「お疲れ様です!」
兵士達から口々に労いの言葉が飛び交い、その中を先ほど顔を覗かせた男がゆっくりと歩いて自分の席まで来た。
「俺の机に座るな、ザイン」
「机なんてどうせ使ってないんだからいいじゃないか。まったく使われないくらいなら俺に椅子として使われた方ましだって、この机だって喜んでるさ」
「なんだよ、それは。だいたい出先から戻ったばかりの人間に、労いの言葉もねぇのかよ」
ヒリュウが呆れたように言うと、ザインは兵士が用意した水をヒリュウに手渡しながら、笑みをこぼした。
「お疲れ様。おかえり、ヒリュウ」
「おう! まったく、最初にそれを言えよ、お前」
そう言って、自分の椅子にドカッと腰掛けると、渡された水をいっきに飲み干した。
「で、何のようだ? 朔殿はなかなかお忙しい御身であらせられるのでは?」
にやりと笑ってヒリュウがザインの顔を見上げると、ザインはそれを横目で見ながら溜息交じりに答える。
「まぁ禁軍将軍の暇つぶしの外出に気付かない程度には、俺も確かに忙しいけどね」
皮肉っぽくいうザインの言葉に、ヒリュウが思わずむせ返る。
「あ? なんだそれ? おい! ザインに何を言ったんだお前達!?」
ヒリュウがそう言って身を起こすと、禁軍の兵士達の間に笑いが起こった。
「いやいや、こいつらは何も…」
ザインが涼しい顔で兵士達を見回すと、兵士達もつられて頷いた。
「まったく。どいつもこいつも、俺を何だと思ってんだよ」
「暇だと命が縮まってしまう、得意体質の将軍様だと思ってんだよ」
「だってよー、近隣諸国との小競合いだって絶えないし、問題は山ほどあるっていうのに…禁軍の出る幕ではないんだろ?」
そのヒリュウの言葉に答えるザインの顔に、笑みはなかった。
「気持ちはわかるが、禁軍には近衛部隊としての役割も大きいからな。たかだか小競り合い程度の争いでここを離れてもらっちゃ困るんだよ」
ヒリュウは不機嫌そうな顔をして話に耳を傾けている。
そんなヒリュウの態度も無理からぬ事と、ザインは誰よりも理解している。
しかしそうは言っても今の状態ではそうしてもらうしかなく、ザインも思わず苦笑しながらも言葉をさらに続けた。
「それにだ。後ろに国一番の兵力を誇る禁軍が控えているという事自体が、近隣の国への圧力にもなっているんだ。だから…」
「はいはい、わかっておりますよ、朔殿。我々は不測の事態に即対応できるように、いつでも万全の態勢で…だろ?」
「つまらんだろうが、それも仕事だ」
溜息があちこちから漏れた。
ザインとヒリュウも、思わず顔を見合わせて苦笑した。
王が王としての役目を果たしていないという事は、当然この禁軍の間でも問題となっていた。
禁軍将軍であるヒリュウも、朔を通して何度となく王に様々な進言を行ってきたが、その結果はやはり散々なものだった。
王の側近で文官の長である朔と共に、武官の頂点に立つヒリュウはこの国の二本柱として誰からも一目を置かれている存在である。
この二人があらゆる手を尽くしたが、王の態度が変わることはなかった。
重く沈み始めた詰所内の空気を察して、ヒリュウが口を開いた。
「で、ザイン。俺に何か用があったんじゃないのか?」
ふいに切り出されて、ザインも我に返った。
「あぁ、そうだ。お前の予定を聞きに来た。俺はもう今日は上がりなんだ」
「そうなのか? ん〜、じゃ俺ももう帰るわ」
「え?」
裏返った高い声がザインの口から飛び出した。
ヒリュウは笑いながら立ち上がり、禁軍の装束を脱ぎ始めた。
「いいのか、おい…」
いきなり帰り支度を始めたヒリュウに、ザインは戸惑いながら兵士達を見回したが、兵士達は顔を見合わせて笑っていた。
「ザインさん、将軍のこれはいつもの事ですよ」
「そうそう。仕事はきちんとやってるんですから、文句は誰もいいませんって」
ヒリュウがしたり顔でザインを小突く。
「ほらな。人望の厚い将軍様なのよ、俺は」
「まったく…お前ら将軍に甘すぎだぞ。調子に乗るから、もっと締めてやらないと…」
呆れ顔でザインが笑った。
「大丈夫だって。俺はやるときゃやるんだから」
笑って言うヒリュウの言葉に兵士達が頷く。
「ほらな」
「わかったわかった。じゃ、悪いけど、将軍は連れて帰らせてもらうよ」
「はい、ザインさん」
「何かあったら副将軍のケイジュが指揮をとれ。どうにもならないようだったら…」
兵士達が固唾を飲んで、将軍の次の言葉を待った。
「ま、気合い入れて俺を探してくれ」
詰所の中に、兵士達の笑い声が広がった。
「じゃ、後は頼む!」
そう言ってヒリュウは片手を上げて詰所を出て行った。
「悪いな。じゃ、あとはよろしく」
「はい。お二人とも、お気を付けて」
「お疲れ様でした」
ザインは軽く頷いて返事をすると、ヒリュウの後を追って詰所を後にした。