届かない声


 王の間の奥にある控えの間に朔はいた。
 疲れ果てた様子で、窓際の椅子にもたれかかって物思いに耽っている。

 朔とは王に仕える側近の称号で、この男の名はザインと言った。

「いったい王は何を考えておられるのか……」

 もう溜息をつくのが癖になってしまいそうだった。

 自分にできる事は全てやった。
 考えられる限りの手は尽くした。
 国の有識者を王宮に集め、幾度となく事態の打開策を話し合った。
 実際に国中を廻って、今この国が置かれている深刻な状況を王に直接見せることもした。

 しかし、国民の貧困も、妖魔妖獣達による被害も、国境で繰り返されている隣国との戦でさえも、王の心を動かすことはなかった。

 この国は、すでに倒れ掛かっている…――。

 ザインはそう考えていた。

「はぁ…考えてても、仕方がないか……」
 大きく伸びをして、ザインは立ち上がった。

「誰か! 誰かいるか?」

 王の朱印を待つ書類の束をトントンと揃えて机の端に置くと、ザインはまとめていた髪を下ろし、後ろで1つに束ねた。

「お呼びでございますか、朔様?」

 戸口の所に女官が1人姿を見せた。
 袖に隠れた両手を合わせて顔の高さまであげると、膝を少しまげて軽く頭を下げる。
 朔がそれを確認して頷くと、女官はもう一度礼をして、部屋の中に入ってきた。

「いかがなさいました?」

 女官が再度訊ねると、ザインはくいっと顎をしゃくって広間の方を指した。

「王が朱雀殿とお出かけになられた。おそらく今日はもう遅くまでお帰りにはならないと思う」
「承知いたしました。朔様は、どうなさるのですか?」
「今日はこれで上がろうと思う。朱印を頂かねばもう何もできないし、話をしようにもあれではな」

 そう言ってザインが苦笑すると、女官の顔にすぅっと影が落ちる。

「王にも何かお考えがおありなのでは?」

 女官が表情を曇らせ、訝しげに聞き返してきたが、ザインは眉を上げて首を振った。

「さぁね。何か考えておられるのであれば、私も少しは報われるのかもしれないが…」
「朔様…」

 口調に諦めの感情が混ざっていたのを感じて、女官の顔がいっそう曇ってしまった。
 ザインはそれを苦笑して見つめて、わざと明るい声で言った。

「まぁここで愚痴を言っていても仕方がないな」

 女官は慌てて言葉を返す。

「朔様のなさっている事は、間違っておりません。王もいつかはきっとわかって下さると、真摯に向き合って下さると信じております」
「…だといいんだが。では、私これで…何かあったら、明日の朝にでも話を聞かせてくれ」
「承知いたしました。お気を付けてお帰り下さいませ」
「ありがとう。あとは頼んだよ」
「はい」

 女官に残った雑務をまかせて、ザインは控えの間を後にした。

 ザインの歩く足音が、誰もいない廊下に響き渡る。
 執務の時間は過ぎているとはいえ、まだ日も高い。
 こういった時間にこうも城内が静まり返るようなことはこれまでなかった。
 どこの部署でも、王の朱印や承認を待っていて、仕事を続けようにも手詰まりを起こしてしまっているのだ。

「…どこも同じか」

 溜息と共にそう吐き出すと、ザインは廊下を抜け、階段をゆっくりと降りて行った。