国が、荒れていた。
王はその役割を忘れ、その持てる力の全てを自らのためにしか行使しなくなっていた。
無論、その王も最初からそうだったわけではない。
民のため、良き王であろうとしていた王が変わってしまったのはいつの頃からだったろうか。
いったい何が王をそうしてしまったのかを知るものはおらず、憶測から出た噂だけがどんどん膨らんで国の隅々まで拡がっていた。
民意はすでに王からも国からも離れ、皆、希望を失い、疲れ果てていた。
クジャ王国の都、ライジ・クジャ。
古くから交易の町として栄えてきたこの町も、近年は違う名前で呼ばれる事が多くなってきた。
『砂の都 ライジ・クジャ』
砂の都と言われるのにはわけがあった。
この国の西側は、砂漠の国ルゥーンと面している。
国境近くにはクシャナ川という大河が流れているのだが、この川は数年に一度「クシャナの怒り」と呼ばれる大きな氾濫を起こしている。
その対策としてこの川の上流を中心に治水工事が数度となく施され、氾濫による被害はなくなっていった。
だが、自然の驚異には悪い面だけではなく、必ず何かしらの利点があった。
「クシャナの怒り」は下流域に肥沃な土を運びこみ、豊かな実りをもたらしていたのだ。
治水がほぼ完了すると時を同じくして、下流域は少しずつ渇き始めた。
残されたわずかな農地をめぐって、国境を挟んだ両国はいがみ合いを始める。
戦でさらに土地は荒れ、国境もその都度変わる。
何もかもが安定しきらないその土地の荒廃は加速していった。
混乱の中、長い年月を経てついには西側から砂漠が街を呑み込み始める。
クジャ王国の都ライジ・クジャは、交易の町としての繁栄を残してはいたが、それと同時に少しずつだが確実に砂漠の砂によって脅かされ始めていた。
そうしていつしか、砂の都の異名をとるようになったのである。
ライジ・クジャの町のその中央には、三つの塔を備えた王宮があった。
荒れていく街を見下ろすその塔に、この国の王、蒼月はいた。
「朔!」
身分によって段差の設けられた王の間の最上段にある玉座から苛立ち混じりの声が響く。
「朔! 朔はいないのか?」
少し間をおいて、王の声に静かに答える声があった。
「こちらに控えております、王」
朔と呼ばれた男が玉座から一段下がった場所に歩み出て、その中央に肩膝をついた。
深々と一礼し、そのままの姿勢で顔だけを上げて言葉を継いだ。
「なにごとですか?」
「おぉ、いたか朔。顔を上げなさい。私はもう退屈でならん。なんぞ、面白い事はないかぇ?」
足を組み、肘掛に頬杖をついた体勢で言うのは蒼月、この国の女王だ。
その苛立った様子を目にしても、顔色一つ変えずに朔が口を開く。
「面白いと思われるような事は何も…それよりも王。先日から申し上げております通り…」
「通りに、なんだ? また国がどうこう言うつもりではあるまいな?」
もううんざりだとでも言いたそうに、玉座からはよりいっそう苛立った声が降ってきた。
「朔、お前はもういい! 朱雀! 出て来い朱雀!!」
王の呼ぶ声に反応し、その声の主の影の中からスーッと黒い靄のようなものが湧き上がった。
黒い靄は徐々に人の形をなし、赤い髪をした女の姿となった。
「お呼びですか? 蒼月」
「朱雀、出かけるぞ。ここはうるさい輩ばかりで鬱陶しゅうてならぬ」
「…その者の話を、蒼月はお聞きにならないのですか?」
「かまわぬ。どうせまた治水がどうとか、そんな小難しい話だろう。もういい、うんざりじゃ」
朱雀は苦笑して、朔の方に目をやった。
朔は諦めたように首を振り、一礼すると立ち上がって、そのまま広間の奥へと姿を消した。
その様子を見送った朱雀が、視線をその主人に戻して口を開く。
「…わかりました。今日はどちらまでお連れすればよろしいのですか?」
「おぉ! やはりお前は話がわかるな、朱雀。そうじゃな、今日は……」
暗い表情のままの朱雀に気付こうともせず、王は嬉しそうに朱雀の側に駆け寄った。
軽やかなその足音とはずむような声を背中に聞きながら、朔は退室の礼をするのも忘れて、静かにその場を後にした。