「どういう事だ?」
スマルが短くなった煙草を揉消して新しい煙草に火を点けた。
その香りがつんと鼻をついて、白い煙が静かな部屋の空気に溶けていった。
ユウヒが顔を上げてスマルを見る。
その顔に涙がない事に安堵したスマルは、優しく笑みを浮かべ、煙草を持った手をちょいちょいと動かして話の先を促した。
ユウヒはそのまま、俯くことなく話し始めた。
「自分の恋人と姉が対立する構図なんて、そこだけでも辛いのに…あの子は、リンはまっすぐな子だからね。間違いを間違いのままで見過ごせないんだよ…でも今回はそれが簡単にはいかない。シムザを想う気持ちが、リンを押しつぶそうとしてる…んだと、思う」
小さくじじっと音を立てて、煙草の葉が灰になっていくのをスマルはぼんやりと見つめながらユウヒの話を聞いていた。
長くなった煙草の灰を、落ちる前に灰皿にとんとんと落とす。
ユウヒもその様子を見るともなしに見ていた。
「あの子はさ、自分がどうしたいかっていう事よりも相手がどうして欲しいかって事を真っ先に考えちゃうんだよ。あれはもう性格的なもんで、どうにもなんない。それがさらにあの子を追い詰めてる。いっそシムザがリンを利用して玉座を狙うような男だったら、また違ったんだろうけどさ」
「うん…」
漂う薄い煙の向こうでスマルが頷く。
「シムザは…良くも悪くも馬鹿な男だよ。自己顕示欲強いのはまいるけど、リンを愛してくれてて、本当にあぁする事がリンのすぐ側でリンを支えていける事だって信じて疑わない。ちょっと足りないけど、ずれてるけど、姉としちゃ…まぁ…うん」
「そうか? 思い込みで愛されてもなぁ。そんなん押し付けだろ、リンは辛いんじゃないか?」
思わず口を挿んだスマルの言葉にユウヒが驚いたように目を見開くと、スマルが逆に不思議そうな顔でユウヒを見返してきた。
「なんだよ? 俺、変な事言った?」
「い、いや…何も。えっと、男のあんたから見てもそんな風に見えるんだなっと思って」
スマルが納得したように頷き、また口を開く。
「そういう事か。まぁ、シムザみたいな男は多いと思うけどな。ただ相手がリンだろう? 芯の強い子だ、ついて来いって引っ張らなくても自分自身の足で歩いていける」
「そうね。ただ…そこいらがリンの難しいとこでさ、シムザがそうしたいんだったらって、シムザの面子を潰さないように気遣ってかリンがそう思わせてるとこもなくもないんだよね。結局あの子は、自分本位では生きられないんだよ、困った事に。そこへ…」
「シムザが王になっちまって…ってか?」
「うん…」
ユウヒが自分を落ち着かせるかのようにお茶を口に運ぶ。
スマルもお茶を口にしながら、ユウヒの頭の中が整理されるのを無言で待った。
「リンはたぶん、いろいろ考えないようにすることで自分を守ってきたんだと思うんだよ。そこへさ、私が呼ばれちゃっただろ? 私への気遣いとシムザを想う気持ちは…ここじゃ両立できない。リンは見ないようにしてた現実に目を向けちゃったんだ」
「それで体調を崩してホムラに帰るのか?」
スマルが聞くと、ユウヒはその表情に暗い影を落として首を横に振った。
「シムザの近くにいれば、聞きたくない話も耳に入る。あの子は蒼月以外が王でいる事の弊害に気付いちゃったんだよ、たぶん。ここを離れることが、唯一自分にできる事なんだって思ったんじゃないのかな」
「…お前に動け、って事か?」
スマルの声が、心なしか少し震えている。
ユウヒは身に憶えのあるそのスマルの言葉に思わず顔を歪めた。
「私も…そう思ってさ。ジンに相談したんだよ」
「ジンさんは何だって?」
思わずスマルが身を乗り出す。
ユウヒは苦笑して、自嘲するように言葉を継いだ。
「何をするつもりだって言われちゃったよ。頭挿げ替えるだけじゃ意味ないって、何も変えられないって」
「……」
「大丈夫だから焦るなって。ジン、そう言ってた」
「うん…」
「状況は何も変わってないのに、お前の妹が動いたからって準備もなしに動けるかって、怒られちゃったよ」
ばつが悪そうにそう言って笑うユウヒを、スマルは複雑な気持ちで見つめていた。
祭の夜に事が動き始めてから、何度も繰り返し味わってきた焦燥感が、スマルの内側で渦を巻いて澱んでいる。
ユウヒの一番側にありながらも事態はあまりにも重大で、無知で無力な自分をスマルが思い知らされる瞬間をこれまで何度も味わってきた。
スマルが思うよりずっと、ユウヒにとってスマルは心の支えとなっている。
だが、ジンやサクが現れてから、二人がその知識や経験でユウヒを今いる場所から前へ前へと引っ張っていくのを目の当たりにしているスマルは、比べても仕方がない事とはいえ、どうしても言いようのない焦燥感に駆られてしまうのだ。
「いるだけでいいってのも…案外きついもんなんだな」
思わず口をついて出た言葉に、スマルは自ら顔を歪ませた。
「え? 何!?」
「…いや、別に。何でもねぇ」
不思議そうに訊ねるユウヒに、スマルは首を振ってその場をごまかした。
そして煙草を灰皿に押し付けると、スマルはユウヒに言った。
「そういうわけなんで、ちょっくらリンの護衛で城を空ける事になる。ホムラまで送り届けたら後はすぐ戻るつもりだけど、守護の森を夜抜けるのはな…俺だけならともかく、やっぱまずいから。明後日には戻る」
「そっか。もっとゆっくりしてくればいいのに…弟や妹と遊んできなよ」
懐かしい郷に思いを馳せてユウヒの顔が思わずほころぶ。
スマルはそれを嬉しそうに見つめながらも、そうゆっくりもしていられない現状を思って気を引き締めた。
「そうもいかねぇよ。あっちじゃキトが中心になって動いてくれるが…キトが働いてるのに俺が遊んでるわけにもいかんだろ?」
「そっか…いつかゆっくり帰れるといいんだけど…」
曇ってしまったユウヒの顔を見ていられず、スマルは思わず目を逸らした。
「…まぁ、いつか、な」
張り詰めた空気はないが、その場は静まり返っていた。
また昔のように二人が故郷、ホムラ郷に帰れる日など来るのだろうかという気持ちからだった。
言うべき言葉が見つからないまま、二人の間に時間だけが通り過ぎていく。
だがユウヒは無理のない自分でいられるこの時間が好きだった。
安心感がユウヒを一気に眠りの淵へと追いやっていく。
スマルが慌ててユウヒに寝室へ行くよう声を掛けると、ユウヒは言われるがままに寝室へと足を運び、そのまま寝台へ倒れこむとすぅっと意識を手放した。
ユウヒが眠ったのを見届けたスマルはまた居間へと戻り、自室に帰ろうとしてふと気付いた。
――誰がこの部屋の鍵をかけるんだ?
先にユウヒを寝かせてしまった事の意味に今さらのように気付いてスマルは苦笑する。
――こりゃ明日は朝からあのヒヅル攻撃かな…。
スマルは長椅子に横になると、明日の任務の事を考え、早々に眠りについた。
安らかな寝息をたてている二人はまだ何も知らないまま、ただ穏やかな時間が優しく二人を包み込んでいた。
だが静かな夜は、運命の日の朝に向かってすでに動きだしていた。
準備が出来ていなくとも、覚悟が出来ていなくとも、運命の歯車は時として容赦なく噛み合って時間を刻んでいく。
夜明けはもう、すぐそこまでやってきていた。