その日、ユウヒの一日はとても賑やかに幕を開けた。
眠っているスマルを起こさないようにヒヅルを呼び、二人分の朝食を部屋に持ってくるよう指示を出したところからそれは始まった。
二人の女官と共に戻ってきたヒヅルは、部屋の入り口のところでその女官達を足止めした。
食事を持って来させたにも関わらず部屋の中には入れようとはせず、意味ありげな含み笑いをして自分一人で準備を済ませていく。
しかし中の気配を完全に隠すのは無理というもので、というよりもヒヅル自身が黙っていられなかったと言った方が正しいかもしれない。
「これは内緒ですからね」
そう念を押すように言ったヒヅルの言葉が、決め手になった。
噂は恐ろしいほどの勢いで拡がり、それから半刻ほどの後には、下級の女官と女中達の中にスマルがユウヒの部屋に泊まったという噂を知らない者はほとんどなかった。
何も知らないスマルが目を覚ますと、やけに疲れ果てたユウヒがその視界に入ってきた。
訝しげな表情をしたスマルが、心配そうに起き上がってユウヒに声をかけた。
「おい…お前、どうした?」
「おはようございます、スマル様! お目覚めでございますね!」
「あぁ…あ? は? えと…はぁ?」
状況が掴めないまま、身体を起こしてスマルが床に足を下ろす。
大きく伸びをするその目の前に、湯気のあがる蒸した手ぬぐいが差し出された。
「どうぞ、お使い下さいませ」
「あぁ、どうも…」
ヒヅルとスマル、二人のやり取りが面白くてたまらないユウヒが、腹を押さえ、背を丸くして笑いを必死にこらえている。
スマルの顔色が変わり、その視線が上へ上へと動いていった。
「……ヒ、ヒヅル?」
「さようでございます。スマル様、お体の調子は大丈夫でございますか?」
「あぁ…おかげさんで。どうも…って、おい、お前。なぜそこで赤くなる!?」
頬を染めたヒヅルを、蒼褪めたスマルが見上げている。
ユウヒはすでに笑いをこらえきれず、それどころか笑い過ぎて涙が止まらなくなり、どうしようもなく足をばたばたと踏み鳴らし始めた。
スマルはやっと疲れ果てたユウヒの様子の意味を理解した。
「あー…あれ、俺も食っていいんですか?」
話題を変えようとしたスマルが卓の上を指差して言うと、ヒヅルは大げさに頷いてスマルを卓の方へと促した。
勧められるままに移動したスマルは、笑いが止まらず顔をくしゃくしゃにしたユウヒの前に向かい合って座ると、ヒヅルがお茶を淹れに少し離れたのを確認してすぐ、身を乗り出してユウヒに声をかけた。
「お前。俺が起きるまでずっとあれか?」
ユウヒはこくこくと何度も頷き返事をした。
「部屋に入ってスマルを見つけた瞬間の顔、見せたかったよ…何て言うか、もう、終わったって思った」
スマルが座りなおしてそれに答えた。
「…俺はもう数刻でここを少しばかり離れるからな。お前、頑張れよ」
「あ、そうじゃん! うわぁぁぁ、そりゃきっついなぁ」
ユウヒががっくりと項垂れると、スマルは引き攣った笑いをその顔に浮かべた。
お茶が入り、朝食が始まった後もヒヅルの好奇の視線といらぬ気遣いは続き、食事が終わる頃にはもう、すっかり二人は疲れ果ててしまっていた。
空いた食器は全て片付けられ、卓の上にあるヒヅルが淹れたお茶からは花の香りのする湯気が白くゆらゆらと揺らいでいた。
「あの…」
少しはしゃぎ過ぎたと自嘲し謝るヒヅルは、壁にかけられた剣を指してユウヒに言った。
「今日はその、剣舞の稽古はなさらないのですか?」
遠慮がちに言っているところを見ると、スマルが昼前には城を出なくてはならない多忙な身だということがわかった上で口にしているのだろう。
ユウヒはふと思いついてヒヅルに言った。
「ヒヅルは剣舞が見たいの?」
答えを待つユウヒとスマルの視線に、ヒヅルの頬が染まる。
思わず噴出しそうになっているスマルの脛を、卓の下でユウヒが勢いよく蹴った。
痛そうに顔を歪めてユウヒを睨みつけるスマルを見て、ヒヅルは俯き加減だった顔をぐいっとあげて言った。
「は、はい。さようでございます。お二人の剣舞が見たいのです」
思いのほか大きく答えたヒヅルの声に、一瞬面食らった二人が顔を見合わせて笑いだした。
そしてお茶をゆっくりと飲み干すと、ユウヒとスマルは二人揃って立ち上がった。
「お茶、ごちそうさま。ヒヅル」
スマルが言うと、ヒヅルが嬉しそうにちょこんと拝礼した。
「スマルはこの後の準備があるから一回通すだけね、ヒヅル。これは…美味しいお茶淹れてくれたお礼」
剣を手に取ってユウヒがそう言うと、ヒヅルの顔がパッと嬉しそうに輝いた。
「はい! ありがとうございます!」
ユウヒとスマルは、片付けをするヒヅルに中庭で待っている旨を告げて部屋を出た。
「あんな顔して言われちゃあ、ねぇ」
階段を降りながら剣を抱えたユウヒが言うと、スマルも苦笑しながら口を開いた。
「まぁ、断われねぇよなぁ」
あとの予定を考えると、階段を降りる足も自然と早くなってくる。
「ごめんね、スマル。時間、大丈夫?」
「気にすんな。1回通すだけだし…あ、先行くわ。部屋戻って剣持ってくる」
「わかった」
駆け下りていくスマルの背を見ながら、ユウヒは時折まとわりついてくる妙な視線に気付いた。
どうやらこれは想像以上に自分達の噂が広まっているらしい、そう思ったユウヒは大きな溜息を一つ吐き、その視線を振り切るかのように先を急いだ。
階段を下りきって塔の外に出ると、巻き込むような風が塔に向かって吹き上げていた。
思わず目を瞑って剣を抱きしめるユウヒの前を、忙しそうに宮仕えの人々が行き交っている。
その間を抜けてユウヒは進んだ。
いつも剣舞の稽古をしているその場所には、見慣れた顔ぶれが揃っていた。