前夜


 塔の中は静まり返っていた。
 夜も遅く皆帰宅してしまったか、既に自室で休んでいるのだろう。
 無言のままで歩く二人以外動くものは何もなく、誰に会うこともなくユウヒの部屋に着いた途端、スマルは緊張が解けたのか大きく伸びを一つした。

「そんなとこに突っ立ってないで、椅子にでも座りなよ」

 ユウヒは腰布をほどいて剣をいつものように壁にかけると、一つにまとめていた髪をおろしてスマルに声をかけた。

 スマルがこの部屋に来るのは初めてではない。
 だが、こんな夜中にここへ来ることは今までなかった。
 辺りが寝静まっているせいなのか、自分のユウヒに対する気持ちのせいなのか、妙な緊張感にスマルは襲われていた。
 ユウヒはそんなスマルを気にしながら、湯を沸かしてお茶を淹れる準備をしていた。

「お酒じゃない方がいいよね? 茶菓子とかないけど…ヒヅル呼ぶとややこしくなるから」

 ユウヒの言葉にスマルの顔にじわりと笑みが浮かぶ。

「あ、あぁ…それでかまわない」

 スマルの返事を聞いて、ユウヒは棚から茶葉をいくつか取り出した。
 あまり部屋を明るくすると、部屋の主の在室に気付いた女官が気を回してヒヅルをよこすかもしれないと、卓上の燭台以外は部屋の入口横の壁にある燭台にしか火を灯していない。
 ほの暗い部屋の中で、スマルは布張りの一人掛け用にしては大きな椅子にゆったりと座って、ユウヒが来るのを待った。

 しばらくして、部屋着に着替えたユウヒが二人分のお茶を持ってやってきた。
 卓の上に湯呑み茶碗を二つ置くと、スマルと向かいあうようにユウヒは長椅子に座った。

「さて…何から話すかな」

 ユウヒはそう言って湯呑みに手を伸ばすと、お茶を一口、喉に流し込んだ。
 スマルが静かに見つめる中、ユウヒはまずは私の話からと言って口を開いた。

「今日ね、ジンの店にサクと行ってきたの。でね…」

 ユウヒはそう切り出して、その日、ジンの店で話した事、聞いてきた事をスマルに伝えた。

 旅の一座の話。
 それによって大きなうねりが起きつつある事。
 この国の各州が抱える事情とそこから考えられる今後の動き。

 順を追ってユウヒが説明をし終えると、スマルが口を開いた。

「なぁ、今の話。王都の話がねぇんだけど…それは見た通りでわかれって事なのか?」
「そう言えばそうね。あ、そっか、私が話を切っちゃったんだ、帰るからって…」

 そう言ってからユウヒは少し考え込むような素振りを見せた後、またすぐに先を続けた。

「これは私の考えなんだけど…まぁ間違いなく敵対する事になるよね。王都はここ、ライジ・クジャがあるし、何より王がいる…人間の王がね。人間の王の力を広く全ての民達に知らしめなくちゃならない。前の火事だってそうでしょ? 逆らうなって、王は絶対の存在だってそう言いたかったんでしょ?」
「…だな。排斥うんぬんってのはここが一番ひでぇかもしんねぇ。そういうの隠そうとしてないどころか、周りへの見せしめみたいになってるから…他の四州よりも先にここが折れるってことは、まず考えらんねぇな」
「うん…私もそう思う」

 一つの考えが、どうしても脳裏に浮かんで来る。
 それを口にしたのはスマルだった。

「そうなった場合、内紛は避けらんねぇって事になるな…」

「――……」

 少しの沈黙に部屋の空気がずんと重たくなる。
 考えられる最悪の事態に、平穏な今に身を置きながら二人とも動悸が治まらなかった。

「なんか、気が付くとすげぇとこまで来てんなぁ、俺ら」

 お茶を口に運ぶ手を一瞬止めてスマルはそう吐き出し、その言葉をもう一度呑み込むかのように湯呑みのお茶を一気に飲み干した。

 さらに沈黙が続き、スマルが湯呑みを置く音が不自然なほど耳につく。
 二人でいるにも関わらず、ユウヒからは眠たそうな気配すら感じられない。
 その視線は鋭く、そして悲しげだった。
 心配そうに自分を見つめるスマルの視線に気付いたユウヒが、もそりと長椅子に足を上げて体勢を変えた。
 背もたれにだらりと身体を預けると、指を絡めた手を前に伸ばしてふぅっと一つ溜息を漏らした。

「あのね、スマル」

 ユウヒが沈黙を破り口を開くと、腕と組んだスマルがふいっと顔を上げた。

「昨日スマルを探してたのは何って用事があったわけじゃないの。ただ何となく…あ、そうそう。ヒヅルがね、私の剣の細工を見てすごい褒めてたよ。これを造った人は私の事を本当によくわかってる人だって…私の雰囲気にとてもよく似合ってるって、そんな風に言ってた」
「そっか。そりゃ嬉しいな」

 スマルはそう言って笑みを浮かべると、それをごまかすかのように身体をぱたぱたと触り何かを探し始めた。

「煙草?」

 ユウヒが聞くと、スマルは困ったような顔で首を傾げた。

「あ? あぁ、そう…どこやったっけな…」
「…部屋入ってすぐ、そこの棚に置いてたじゃない。あ、いいよ…私が取ってくる。座ってて」

 立ち上がろうとするスマルを制して、ユウヒがその代わりに動いた。
 既に空になった湯呑み茶碗を二つとも手に取り、二杯目のお茶の準備をする。
 その間にスマルの元へ灰皿と煙草を運んだ。

「お。悪ぃな…いいのか? ここで煙草…」
「だめなら渡さないよ。どうぞ…あ、窓は開けなくていい。話がしづらい」

 ユウヒはまた二人分のお茶を手に長椅子のところに戻ってきた。
 煙草の煙が薄暗い部屋に白く漂っている。
 今度はスマルが口を開いた。

「じゃ、今度は俺の話。最初にカナンさんから伝言、預かってる」
「カナンから? 何?」

 座るなりユウヒが身を乗り出して問い返すと、スマルは訝しげな表情で先を続けた。

「言えばわかるって言われたんだけど…見ました、確かに一目で違うとわかりました、ってさ」
「そっか…もう見たんだ」

 握り締められたユウヒの手にぐっと力が籠められる。
 不思議そうにしているスマルに、ユウヒはすぐ応えをだした。

「カナンはもう知ってるんだよ、私が何者か」

 戸惑いを隠さないスマルを手で制して、ユウヒはそのまま話を続けた。

「でさ、まぁ私の事はともかく、シムザや先代が本当はそうでないって一目でわかるもんがあるよって、教えたの」
「何だよ?」
「王冠」

 そう言ってお茶を一口流し込み、またユウヒは口を開いた。

「男と女でその形状は明らかに違うでしょ? そうでない国もあるんだろうけど、クジャでは正装の時の髪の結い方が男と女では全然違うからね。当然その上に乗っけるもんの形も専用のものになってくるわけよ。って、サクが教えてくれたことで私は実際に物を見ちゃいないんだけどさ」
「あぁ、それで…って、お前いつの間にそんな話をカナンさんとしたんだ?」

 驚いたように言うスマルにユウヒは苦笑した。

「シムザに会ってすぐだよ。ほら、霧の濃い朝…あんたがサクのところから朝帰りした、あの日。あの後カナンが私のところまで来たんだよ」
「そうだったのか…で、リンは?」

 言葉は短いが言いたい事はすぐにユウヒにもわかった。
 ユウヒは俯いてつぶやいた。

「…知ってるよ。でもカナンには言わなかった。だからカナンは私のところに来たんだ」