FX 比較 札幌 賃貸 9.前夜

前夜


 夜のクジャに、ぼんやりと浮かび上がる灯。
 騎獣で宙を駆けるユウヒに王都ライジ・クジャがどんどん近付いてくる。
 眠ることを知らない町は夜と言えどもその人通りが絶えることはない。

 昼間の喧騒とはまた違う、しっとりと落ち着いた雰囲気の都にあって、他とは明らかに異質の空気を放っているのがこの町のほぼ中央に位置している「城」と呼ばれるこの国の王宮だ。

 近付いていくとゆらゆらと揺れる篝火の炎に、風ではためく王旗が暗闇に照らし出されていた。
 ぐるりと壁に囲まれた王宮にはその上空にまで及ぶ結界が張られている。
 ユウヒの姿を確認した術師により結界が弱められたのを感じ取った騎獣が、その敷地にある中庭に向かってゆっくりと下降し始めた。
 夜露に濡れる柔らかな草の上に着地すると、青々とした草の臭いがユウヒの鼻腔をくすぐった。

「ありがとう…お疲れ様」

 騎獣から飛び降りたユウヒは、ここまで運んでくれたその大きく賢い獣を労い、背を優しく撫でてやった。
 ユウヒの言葉を理解したその獣は、首をひょこりと傾げ、嬉しそうに喉を鳴らした。

「厩舎に、仲間のところに戻ろうね」

 そう言ってユウヒが歩き出すと、そのすぐ横に大きな塊が並んで歩き出す。
 ユウヒが妖獣と意思疎通できるのは、ユウヒこそが蒼月である事の証しの一つと言っても良い。
 そんなユウヒには手綱を引いて騎獣を誘導する必要などなかった。
 もとよりその知能が非常に優れている妖獣でなければ騎獣にはなり得ないのだ。
 ユウヒの呼びかけに従って、手綱を牽かれているわけでもないのにおとなしく横を歩いているのは当然の事であった。
 時折甘えるように擦り寄ってくる巨体に押されながら、ユウヒは厩舎へと向かった。

「あれ…どの舎にいたんだろう、この子」

 いくつか並ぶ厩舎の前でユウヒが途方に暮れながら騎獣を撫でていると、その気配に気付いた宿直の厩番が慌てて走り寄ってきた。

「申し訳ございません! 騎獣はこちらでお預かり致し…あ、あれ? ユウヒじゃないか」

 その声はジンの店で何回か会った事のある馴染みの客のものだった。

「あれ? あんた…そうか、ここの厩番だったのか。えっと…」
「エンウだ。エンって呼んでくれ」
「エンウって言うのか。エン、この子をよろしくね」

 そう言ってユウヒが騎獣の背に手を置くと、それに促された獣がエンウの方へと歩みを進める。
 手綱を渡されるとばかり思って差し伸べていた手でエンが慌ててその手綱を取ると、騎獣は名残り惜しそうにユウヒの方を振り返った。

「だめだよ、今夜はもう散歩は終わり」

 ユウヒの言葉に騎獣が項垂れると、エンウが驚いたように口を開いた。

「へぇ…ちゃんと通じてるみたいだ」
「まさか。偶然でしょ」
「そうかな? でもすごく慣れてる感じだよ。こいつ、ユウヒの事が好きなんだ」

 エンウがそう言うと、ユウヒは微笑んでそれに答えた。

「そうか。じゃぁ今度何かあったら、またその子をお願いしようかな?」
「…サク様の許可が下りたらな。これはサク様所有の二頭のうちの一頭なんだから」
「じゃ問題ないな。サクが良いって言うまで頼みこむから」

 皆が怖れるサクに対してのユウヒの態度に、エンウは引き攣ったような笑いした。

「サク様をそんな風に言えるのはすごいな…あ、そうだ。悪いけど俺、今夜のうちに何頭か騎獣を手入れしとかねぇとなんないからさ、そろそろ戻るよ。おやすみ、ユウヒ!」

 そう言って騎獣を連れて厩舎の方へ歩き出したエンウに向かって、ユウヒが声をかけた。

「え? 何かあるの?」

 エンウが足を止めて振り返った。

「あれ? 聞いてないのか? ホムラ様が少しの間だけど郷に戻ってお休みになられるそうなんだよ」
「リンが? い、いや、ホムラ様だったか。え? 今夜中って事は明日行くって事?」

 ユウヒがホムラ様、リンの実姉だという事は周知の事実であり、どうやらエンウもその事は知っているようだ。
 そのユウヒが驚く様子を見て、エンウは事情を説明してやった。

「何でも体調がよろしくないとかで…お籠もりの前に少し休養されるんだそうだよ。即位の儀までもう余り時間もないからね、明日の昼前にはホムラ郷に向けて発つそうだよ」

 それを聞いたユウヒは、スマルがカナンから呼び出しを受けていた事を思い出した。

「そっか…今夜は忙しいんだね。じゃお仕事の邪魔をしちゃ悪いし、もう行くとするよ」
「あぁ。悪いな、ユウヒ。また今度ゆっくり…」
「そうだね。今日は久々にジンの店に行ってきたんだよ。今度は一緒に行こうか?」
「ぜひ!」
「じゃ、またその時にね。おやすみ、エン」
「おやすみなさい」

 そう言って微笑むと、互いに背を向けて二人は歩き出した。

 騎獣に乗るからと酒の量を控えていたせいか、ユウヒはほとんど酔ってはいなかった。
 それでもまだ少しだけ火照った身体に夜風はひんやりと冷たく、ユウヒはぶるっと一つ身震いをして、腕を組み足早に自室のある塔の方へと急いだ。

 身体を丸くして俯き加減で歩くユウヒの前を、どこからか現れた黒い影が塞いだ。