心の支え


 奥の部屋の入り口まで来たユウヒは、思うところがあってその足を止めた。
 そのまま中には入らずに部屋をそっと覗いてみると、サクが頬杖をついて、煙草の灰をとんとんと灰皿に落としていた。

 さっき言っていた言葉とは裏腹に、目の前に置かれた料理はほとんど減っていない。
 ただ一本開けられた酒の瓶が、もうほとんど空に近い状態になっていた。
 その様子を見て我に返ったユウヒは、どかどかと勢い良く部屋の中に入っていき、サクに近付いておもむろに言った。

「お客さ〜ん、ちょっと飲み過ぎじゃないッスかねぇ…空きっ腹にそんな飲み方してちゃ酔いの回りが早いッスよ?」

 ふざけた口調で話しかけられ、いかにも機嫌が悪そうに顔を向けたサクだったが、ユウヒと目が合った途端にそれは驚きの表情に変わった。
 口調とは裏腹に、まっすぐに自分を見つめてくるユウヒがそこにいた。

「どうした?」

 そう返事をしてきたサクに、ユウヒは呆れたように言った。

「それはこっちの台詞でしょう。どうしたの、サク。朝からずっと様子がおかしいとは思っていたんだけど…」

 その言葉に、茶碗に残っていた酒を飲み干そうとしていたサクの手が止まった。

「俺、おかしかった?」
「私にはそう見えたけどね」

 ユウヒはそう言いながら、卓を挟んだサクの向かい側に腰を下ろした。

「ほい」

 ユウヒが座るなり自分の前にあった茶碗を持ってサクの方に向けると、サクは自分の前にあった残り少ない酒を自分の茶碗に注ぎ、新しく開けた瓶の方をユウヒの茶碗に半分ほど注いだ。

「お疲れ様!」

 ユウヒは手にした茶碗とくいっと掲げてから、それを口に運んだ。
 程よく冷やされたその酒は、ジンの店に置いてあるものの中で、ユウヒが一番気に入っているものだった。

 ――ジン、ありがと。

 ユウヒはジンの心遣いに感謝しながら、さらにもう一口、美味そうに口に含んだ。
 茶碗を置き、目の前にある料理をサクの取り皿に取って無言で渡し、自分の皿にも少しだけ取り分けた。

「いただきます…」

 手を合わせてそうつぶやいた後、ユウヒは久しぶりにジンの作った料理を口にした。
 店に出すものよりも少し薄味なのはサクの好みに合わせてあるからだろう。
 いつも素っ気無い態度な上につかみどころのないジンの、こういった無言の小さな心遣いがユウヒは好きだった。

「そういやさ、すっごく話が戻るんだけど…蒼月楼に泊まる時、なんで私とスマルを同じ部屋にしたの?」

 何の脈略もなくいきなり切り出されて、向かい側に座るサクが驚いたように顔を上げる。
 やはり元気がないようにユウヒには見えたが、顔を上げたのならこのまま関係ない話でもしていこうと、ユウヒはそのまま話を続けた。

「いやね、剣舞の稽古を中庭で始めてからこっち、すごいのよ、噂が。女官達も女中達も、そりゃもう人の顔見ればスマルスマルって…」

 不思議そうな顔をしているが、また俯くような素振りは見せない。
 少し前、この部屋を覗いた時の、あの一人で何か考え込んでいたサクの姿がユウヒの脳裏に浮かぶ。
 事情はわかるはずもないが、あんなサクを見たのは初めてだったユウヒは、何を抱えているのか心配でならなかった。
 サクとの付き合いの深さを考えれば、いつもなら様子を気にしつつも放っておくようなユウヒなのだが、なぜかこの時は不思議とそうしようとは思いもしなかった。
 少しでも気が紛れるならば、聞いていようが聞いてなかろうがかまわないとばかりに、ユウヒはサクの様子を気にしながら話し続けた。

「私達、そんな風に見えるのかねぇ。確かに誰よりも近くにいて、お互いにとっての一番の理解者だとは思うけどさ。大切な幼馴染みなんだよね…あいつがいなくなるとか考えられないくらい。でも最近の皆の盛り上がりっぷりはさ、なんだか奇妙な気分なんだよね」

「え…そうじゃないの?」

 サクが思わず口を挟むと、ユウヒはにこっと笑ってそれに答えた。

「やっぱりそうか。まったく…寝室が一つだって気付いた時は本当に驚いたんだよ」
「違うのか…そっか、なら、その…悪かったね。ユウヒ、大丈夫だった?」

 そう確認するサクがあまりに心配そうにしているので、ユウヒは思わず噴出してしまった。

「寝室が同じになったくらいで何かあるくらいなら、郷を出るより前にどうにかなってるって! その辺は心配しないで、サク」
「そ、そっか…あぁ、びっくりした。俺はてっきり二人はそういう仲だと思ってたから…いや、申し訳ない。悪い事しちゃったね」

 そう言ってサクはばつが悪そうに笑った。

「いいよ、気にしなくても。郷にいる頃からそんな噂ばかりだからね、間違えても仕方ないさ」

 ユウヒはそう言って笑うと、ジンの料理をまた皿に取った。

「やっぱりおいしいよねぇ、ジンの料理は。あんな薄笑いのおっさんなのにさぁ…」
「薄笑いのおっさんで悪かったな。ほら、料理の追加だ!」

 ずっとそこにいたのか、偶然か、ジンが料理を三品ほど持って部屋に入ってきた。

「俺をおっさん呼ばわりする女には食わせねぇぞ。サク、取り合いになったらお前が食えよ」

 そう言って手早く皿を並べると、空になった酒の瓶を持ってジンは早々に部屋を出て行った。
 やはりジンもサクの様子がおかしいと思ったのだろうとユウヒは感じていた。

 ジンが出ていき、何となく部屋の空気が沈みかけた時、サクが新しく並べられた料理を取り分けてくれと言わんばかりに、自分の取り皿をユウヒの方へ差し出した。
 ユウヒがそれを何も言わずに受け取り、三品の料理を少量ずつ皿に取っていると、向かい側でサクがまた煙草に火を点けた。