「ハァ…」

 座るなり盛大に溜息を吐いたサクに、ユウヒが思わず苦笑する。

「どうしたの?」
「え? いや、別に。あ、そうだ! あれ、ユウヒだよねぇ?」
「はい?」

 サクの話が見えずにユウヒが不思議そうに聞き返し首を傾げると、サクはハッとしたようにやっとユウヒに視線を向けた。

「ほら、書類。えらく仕事がしやすいように整理されてたけど、ユウヒじゃないの?」

 そう言われてユウヒはやっとサクの言葉を理解した。

 王宮へ来てからというもの、剣舞の稽古以外は特にこれといってやる事がないユウヒは、空いた時間の多くをサクの執務室で過ごしていた。
 呼ばれていたわけでもないが、動悸がするわりに慣れるとその場所はとても居心地がよく、何より誰かにいちいち気を遣いながら過ごすということもしなくてすむ。
 そのうち、手持無沙汰だったのもあって、ユウヒは執務室でサクの仕事を手伝うようになった。

 一緒に仕事をしてみると、不思議なことにサクが何を考えているか、どうして欲しいのかがユウヒには面白いようによくわかった。
 そのうち、サクよりも先回りして仕事を段取りしておいたり、書類も処理しやすいように整理しておくようになったのだ。
 ほんの数日しかいないとは思えないようなユウヒの仕事ぶりに、女官達もいつの間にかユウヒに指示を仰ぐようになり、サクの仕事の効率も格段に上がってきた。
 サクはその事を言っているのだ。

「やりやすいなら良かった。何となくあんな感じだろうって勝手にやっちゃったからさ、どうかとは思ってたんだよ」

 ユウヒは笑みを浮かべて頷いて言った。

「いや、助かってるよ。女官達も驚いてたな、なんでわかるんだろうって」
「そりゃわかるでしょ、見てれば。みんなわかんないの?」

 笑いながらユウヒが言うと、サクは足を卓の上に投げ出して言った。

「俺は何考えてるのかわかりにくいらしいよ。みんな妙に緊張してるし」
「だね、えらい怖がられてるもんね。って、ここに足あげない!」

 卓の上で組まれた足とユウヒが指差して言ったが、サクはそこには触れずにぼそりと言った。

「怖いかな、俺…」
「怖いっていうよりさ、頭の回転速すぎて言葉が足りないからわけわかんなくてびびってんでしょ。いいんじゃないの、別に。びびられてるくらいの方が仕事は進めやすいし。それよりも…」

 長椅子から足を下ろし、座りなおしたユウヒの顔から笑みが消えた。

「食事の用意とかって人払いまでして…何?」
「ありゃ、わかっちゃった?」
「わかるでしょ、そりゃ。それで?」

 ユウヒが再度問いかけると、サクも投げ出した足を下ろして座りなおし、ユウヒの方へ身を乗り出すようにして小さく口を開いた。

「ジンからの連絡です。何やら気になる動きがあるそうで」

 二人だけしかいない奥の間の空気が一瞬で張り詰めた。
 ジンからの連絡となると大きな声では話せない内容が多い。
 サクは立ち上がり、長椅子に座るユウヒのすぐ隣に腰をおろした。

「気になる動きがあるんだそうで…そんな噂、耳にしたことない?」

 組んだ腕を膝につき、前屈みの姿勢で話すサクが、すぐ右隣にいるユウヒに視線を投げる。
 目が合ったユウヒの脳裏には、風呂場で女中達から聞いた話がすぐさま浮かんだ。

「あるんだね…それ、どんな話?」

 わかったように話を続けるサクにユウヒが苦笑して言葉を返す。

「まだ何も言ってないよ。まぁいいけどさ。さっき聞いたばかりの話だけど、聞く?」

 その言葉にサクが小さく頷いたのを確認して、ユウヒはまた口を開いた。

「旅の一座の話だよ。風の民らしいんだけど、四神連れた娘が女王になってどうとかって芝居をやってるって。それの事?」
「当たりかな。誰から聞いた?」
「風呂場の女中達からだけど、彼女らは女官達が話してるのを聞いたんだって言ってる。なんでも実家に帰ってた女官が持ち込んだ話とか…まぁ噂の中心はもっぱら主役の娘をやってる男の役者の事だけどね」

 ユウヒが言うと、サクは苦笑して少し考え込んだ。
 手を頭の後ろに組み、膝を立てたユウヒが背もたれに寄り掛かると、サクは身体を起してユウヒの方を向いて言った。

「ジンからの連絡もその一座の話だった。どうやら同じような芝居をやる集団がいくつかあってね、それが国中を旅しながら公演してるらしい」
「へぇ…それで?」
「うん。こんなご時世だろ? 人間以外の民達はもちろん、神話伝承を真実だと思ってたり、この国の今の在り方に疑問を抱いてたりする連中を中心にかなりの支持を受けているようでね。それが一つの動きになりつつあるらしい」
「動き?」
「そう。新王はこの国の真の王にあらず…っとか何とか?」

 そう言ったサクと目が合ったユウヒの動きが止まる。
 ユウヒは腹の底まで見透かすようなその視線から思わず逃げた。
 サクは訝しげにユウヒを見ているが、その様子から、すべてを知った上でこの話をしているわけではないとユウヒは判断した。

 ジンには知られてしまった自分がこの国の真の王、蒼月であるという真実を、ユウヒはまだサクに告げていない。
 その方がサクが王宮内で動きやすいだろうとジンと決めた事だったが、サクに知らせずに動くという事は、近くにいるユウヒには想像以上に大変な事だった。

「…ジンは何て言ってきてるの?」

 気を取り直し、顔をあげたユウヒがサクを見て言うと、サクはまた何かを考え始めたらしく、その手で髪の毛を弄りながら話の先を続けた。

「思ってた以上に支持者が多くて驚いてる。あとは、人間至上主義みたいな人々の間にも、うまいこと疑問を投げかけてるらしいね。あんまりうまいこと浸透し過ぎてるから、おそらく大臣達に目を付けられるのも時間の問題だろうって言ってきたよ」
「そっか。あ、あれ? 女中達はその一座が都に来てるって言ってたけど?」
「うん。だから呼んだの」
「あ、そう。で、どうしたいの、サクは」

 ユウヒが切り返すと、サクは少し考えてから口を開いた。

「今日、空いてる? ジンとも話したいんだけど、全員集まった方が話が早いだろう? 同じ話を場所と人だけ変えて何度も繰り返しても…ね」
「…わかった。実はさ、例のその芝居なんだけど…ヒヅルが見たいって言ってるもんで連れてってあげる約束なんだよ。サクはどうする?」

 その誘いにサクは即答した。

「俺はいいよ。芝居とか、そんなに興味もないし」
「そっか。じゃぁ報告だけするね。ジンの店には夕方頃に行くのかな?」
「あぁ、そのつもり。騎獣には乗れるよね?」
「大丈夫だけど…」

 ユウヒはサクとスマルがものすごい量の酒を飲む事を思い出した。
 酔って騎獣に乗るのは危険だが、サクはどうするつもりなのかユウヒは気になった。

「一頭で行くの? 帰り、危ないでしょ」

 サクにはその質問は意外だったようで、驚いたように顔をあげた。

「いや、もう面倒だから俺はあっちで一泊してくるつもりだよ」

 ユウヒは納得して頷くと、ふと思い出してサクに尋ねた。

「そういえば、スマルがカナンに呼ばれたって聞いたんだけど、どうしてか知ってる?」

 サクの執務室に来る前の女官とのやり取りを思い出しての質問だった。
 質問の内容よりも、サクはユウヒが女官の名をカナンと呼び捨てにしている事が気になったようで、すぐに問い返してきた。