ユウヒは、その一座の芝居を一日でも早く見に行かなくてはならないと思った。
 そして思っている以上に速く動きだした事態に対応しきれていない、自分の心をどうにかする必要があると考えていた。

 すべてはシムザが新王に即位してからだろうとユウヒは考えていた。
 そこへ、何もかもが示し合わせたかのように動き出したのだ。
 ユウヒはユウヒ自身が自覚している以上に、内心かなり焦っていた。

 それが顔に出てしまっていたのだろう。
 心配そうに顔を覗き込んだ女中の一人がユウヒに話しかけてきた。

「ユウヒ、大丈夫ですか? 湯あたりでもしてしまいましたか?」

 その言葉に我に返ったユウヒは、女中に笑みを浮かべて言った。

「そんなんじゃないよ、大丈夫。ありがとう。支度は、終わったかな?」
「はい、終わりました」
「そっか。ありがとう。それじゃ…」

 ユウヒは立ち上がり、出入口の方へと歩いていく。
 用意されている履物をササッと慣れた手つきで履くと、振り返って女中達に手を振り、大浴場の外へ出た。

 そこにはヒヅルが嬉しそうな顔をして待っていた。

「お疲れ様でございました」

 その笑顔、女中達から芝居の話を聞いているのだろう。
 ユウヒもつられて笑みを浮かべると、早速ヒヅルを芝居に誘った。
 ヒヅルはもうこれ以上はないのではないかと思うほどの満面の笑みを浮かべて、ユウヒの横で踊るように弾んで歩いた。

「ありがとうございます! あの、お邪魔にならないようにお供しますので、あの・・・本当にありがとうございます!」
「邪魔? あぁ…いや、別に…」

 ユウヒは手をぶんぶんと振って気にするなと言ったが、ヒヅルの耳には届きそうにもなかった。

 ――あぁ。あいつに何て言えばいいんだよ、この状況!

 ユウヒは女中達が丁寧に梳かしてくれたその髪を、風呂へ向かった時と同じように、またぐしゃぐしゃと掻きながら歩いていった。

 塔の外に出た。
 風呂上がりの火照った体に通り過ぎる風が心地良い。
 ふと見ると、どこかで見たような女官が一人、ユウヒに気付いて近づいてきた。
 何事かとユウヒが足を止めると、その女官はユウヒのすぐ側で小さく拝礼し、声をかけてきた。

「ユウヒ様。サク様がお話したい事があるとのことなのですが…この後のご予定は?」

 そう問われてユウヒはヒヅルと顔を見合わせた。
 特にこれという用事があるわけではないが、スマルの所に一度寄ってからサクの執務室に顔を出そうと思っていた。
 その旨を伝えると、女官は少しだけ考えてからまた口を開いた。

「スマル様は先ほど執務室の方に…ですがホムラ様付きの女官よりお声がかかりまして、今はそちらの方にいらっしゃるかと…」

 ――カナンが? どうしたんだろう?

 ユウヒが訝しげな表情を浮かべると、女官は困ったような顔をして少し目線を下に落とした。

「あぁ、ごめん。ちょっと考え事っていうか…えっと、そういう事ならそちらにお伺いします。一度自室に戻りますから、そのようにお伝え願えますか?」

 ユウヒが言うと、女官は安心したように微かな笑みを浮かべて丁寧に拝礼した。
 ヒヅルがそれに応えるように拝礼し、そこでその女官とは別れた。

「サク様からお話って、何の話でしょうか?」
「さぁね。何を考えてんだか、不思議な人だからね、サクは」

 ユウヒはそれよりもカナンの行動の方が気になっていた。

 カナンとユウヒがホムラの神託の祠で話をしたのはつい先日の事だ。
 答えは濁したものの、ユウヒはカナンに自分がこの国の真の王だという事を伝えた。
 そしてカナンの言葉から察するに、ホムラ様であるリンもまた、その事実を知っているらしい。
 リンは郷の祭「神宿りの儀」の本当の意味に気付いていた。
 自分は王を選んだ、つまり実姉のユウヒこそがこの国の王であるとわかっているということだ。
 そこへシムザが新王に選ばれてしまった事で、リンは現実と真実との間に挟まれて思い悩み、ついには体調を崩してしまっている。
 ホムラ様であるリンの側仕えの女官カナンは、誰が王であるかは関係なく、ただリンを護りたいのだと言っていた。
 そのカナンがスマルを呼びつけた目的が何か、ユウヒは知りたかった。

「…ヒ様? ユウヒ様!」

「ぇえっ!? あぁ、はい…何?」

 名前を呼ばれている事に気付き、ユウヒは顔をあげてその声の主、ヒヅルの姿を探した。
 ヒヅルはユウヒのすぐ横にいて、困惑した顔でユウヒの事を見上げていた。

「どうなされたのですか? お部屋にはお入りにならないのですか?」
「え? あぁ、あれ?」

 いつの間にかユウヒは自室の前に立っていた。
 すでに開かれた扉は、ヒヅルの腕が押えている。

「ユウヒ様?」
「あぁ…ごめんごめん。入るよ」

 ユウヒはばつが悪そうに急いで部屋の中に入った。
 その後ろで扉の閉まる音がして、ヒヅルが歩く衣擦れの音が足音の合間に聞こえた。