「…ということなの。何かわからない事は、ある?」
「いえ、特には。ただ一つだけ…」
朱雀が赤い髪の間から覗く瞳で、ユウヒの事を窺う。
ユウヒは首を傾げて朱雀の言葉を待った。
「カナン殿をどうなさるおつもりですか?」
ユウヒはハッとしたように身を起こし、そのまま軽く腰を浮かして椅子の向きをくるりと変えて座りなおした。
「どうもしないよ、今のところは」
「はい…」
「彼女みたいな女官がリンの側にいてくれるってのは心強い。とても頭のいい方だったから。いつか協力してもらう時がくるかもしれないけど、しばらくはね、今までどおりにリンの側でリンを護ってもらおうと思ってる」
「…わかりました。では…私はすぐにでも行った方がよろしいですか?」
そう言われて、ユウヒはジンの店の事を思い出していた。
昼には昼食を食べに来た客でジンの店は忙しくなる。
もしもいくのならば客足の途絶えた夕刻前の仕込みの時間が一番いいだろう、そうユウヒは思った。
「アカ。昼過ぎにして。で、ひとっ飛びで行ったとしても、店に入る時は人のなりをしていった方がいいかもね。ただ…その恰好じゃだめだよ? ちゃんとわからないように…」
おどけたように言うユウヒに朱雀も笑顔で返事をした。
「そうですね、この髪の色では…こ…んな感じでしょうか?」
朱雀はそう言って、その着ているものと髪の色を、ユウヒの見ている目の前でよくいるクジャの民達とおなじようなものに変えてみせた。
「うわぁ! そんなこともできるんだねぇ!」
思わず感嘆の声をあげてしまって、慌てて口を押さえてユウヒは小さくなった。
そしてあらためて朱雀を見ると、両手で頭上に大きな丸を形作った。
「ばっちりだよ、アカ。でも本当にアカはきれいだよねぇ…何か布を被るとか…どうにかしないとだめかもよ」
「え? なぜですか?」
不思議そうにそう聞き返してきた朱雀に、ユウヒは立ち上がって自分の座っていた椅子に座るよう勧めた。
わけもわからず朱雀が座ると、ユウヒはクジャの女達がよくしているように、朱雀の髪の毛をきれいにまとめ始めた。
「アカはさ、髪がすごく長いからね、えっと…ここをこうしてこのあたりで留めてしまえば…ほら、クジャの娘さんになる」
朱雀が照れくさそうに俯くと、ユウヒはサッと朱雀の髪を解き、手にしていた髪結い紐を朱雀に手渡した。
「これ、使って。今髪の毛を結ってしまうとさ、鳥に変わる時とか、大変そうだから…ジンの店の近くで下りて今の姿になったらさ、これ使ってさっきみたいに自分でやってみて?」
「はい…わかりました。まだ何か、ありますか?」
朱雀の言葉にユウヒが首を振ると、朱雀の姿がすぅっと床に吸い込まれるように消えていった。
「これでジンがどう動くか…」
部屋に一人になったユウヒは、そう小さくつぶやいて窓の外に目をやった。
もう霧もすっかり晴れて、それぞれの仕事場に向かう宮仕え達が中庭をゆっくりと歩いている。
昨日の今日ではまだ中庭で剣舞の練習をするという話も行き渡ってはいないのだろう。
ユウヒは行き交う人々をぼんやりと眺めながら、今日のところはスマルの話でも聞きながら、二つの舞をどう一つにしていくのかをゆっくり決めていくのが良さそうだと思っていた。
「さてと、朝ご飯でも食べに行こうかな…って、どこに行きゃいいんだ?」
食事の事を考えた途端に空腹を覚えたユウヒだったが、食事をどこでするのかなど基本的な事を聞き忘れている事に今更のように気が付いた。
――まずは誰かにいろいろと教えてもらわなきゃ。このままじゃ一人で何にもできないや。
思わず苦笑して頭をぽりぽりと掻くと、何かあったらこれを引けと言われていた紐を二回引っ張った。
その紐はどうやら女官達の部屋に繋がっていて、それを二回引くと部屋に来いという合図という事らしい。
ユウヒが少し緊張しながら椅子に座って待っていると、しばらくして部屋の扉を何者かがとんとんと叩いて声をかけてきた。
「お呼びでございますか?」
――本当に来てくれたよ。へぇ…なんか面白いねぇ。
ユウヒは感心しながらその声に返事をした。
「鍵は開いています。どうぞ中へ」
「はい、失礼いたします」
そう言って扉を開けて入ってきたのは、ずいぶんと華奢な体をした若い女官だった。
閉めた扉のすぐ前で膝を小さく曲げ拝礼すると、そのままユウヒの近くに歩み寄ってきた。
「おはようございます、ユウヒ様。どうされましたか?」
「おはよう。あの…朝ご飯を食べたいんです。私まだ何も聞いてなくて、どうすればいいのかちょっと教えてもらえたらと思って…」
ユウヒが照れくさそうにそう言うと、その女官の顔が一瞬にして主に染まって、突然床に平伏して謝り始めた。
「も、申し訳ございません! 昨日説明して差し上げなくてはならなかったのに…本当に申し訳ございません」
――あれ? なんか昨日の女中さん達の方がよっぽど堂々としてるぞ?
ユウヒは慌てて立ち上がりその女官に近寄ると、その体を引き起こした。
「そんなに謝らなくても大丈夫です。その…昨日は私もサクの部屋にすぐ行ってしまって、その後も戻ったのが夜中だったから」
「ですが…」
まだ主に染まったままの顔を恥ずかしそうに袖で隠しながら話すその顔は、あまり化粧気もなく、随分と幼く見えた。
「いいのいいの。そんなに恐縮しないで」
そう言って女官の腕を掴んだまま立ち上がったユウヒは、その顔に笑みを浮かべて女官にも立つようにと促した。
「挨拶もまだだったよね。ユウヒと言います。その…あなたが私の身の回りとかの、その…」
話をしながらさきほどまで話をしていたカナンの事を思い出していた。
カナンはリンの側仕えだと言っていたが、自分にもそのような女官が付くのかどうかは疑問だったし、女官を呼んではみたものの、そもそも「女官」という者が何をするのかもユウヒには見当がつかなかった。
「はい。あ、申し遅れました。私がユウヒ様の身の回りのお世話をするようにと仰せつかっております、ヒヅルと申します」
「ヒヅルさん、か。よろしくね」
「ヒヅルとお呼び下さいませ」
そう言ってまた小さく拝礼すると、指示を待っているのか、ユウヒの事をヒヅルはまじまじと見つめてきた。
「あ、えっと…お腹が空いたんで朝ご飯が食べたいの。それと、城の中の事をいろいろと教えてもらえますか?」
「かしこまりました。では調理場の方にすぐこちらへ持ってくるようにと…」
「あぁ、待って! あの、さ…ヒヅル」
急いで部屋を出ていこうとするヒヅルをユウヒが慌てて呼び止めた。
「はい?」
なにごとかと不思議そうな顔で振り返ったヒヅルに、ユウヒは言った。
「ここで私が食事をしている間にいろいろと話を聞かせてもらえるかな? それで…そうねぇ、食べ終わったら少し休憩して、その後、王宮の中を案内してもらえると助かるんだけどな」
それを聞いたヒヅルは嬉しそうに頷くと、また拝礼をして部屋を出ていった。
ユウヒはまた窓際に歩み寄ると、花のように笑う自分付きの女官が戻ってくるのを待っている間、動き始めた朝の城の風景を楽しげに見つめ続けていた。
―そうだ。あいつにもヒヅルを紹介しよう。
ユウヒは昼から会うことになっている自分の幼馴染の顔を思い浮かべ、夜更かしで少しけだるい体を奮い立たせるかのように大きな伸びを一つした。