――リンがどうして?
もしも本当にリンがそうカナンに言ったのだとして、いったいどういうつもりでそれを伝えたのか、何をどうしたかったのか、ユウヒは必死に答えを探した。
視線を合わせる事も最早躊躇われ、俯いたままで思いつく限りの理由を並べ立てるが、リンの行動も、今のこの状況も、何がどうなってしまっているのかさっぱりわからなかった。
何も言えなくなったユウヒに向かって、カナンはそのまま話を続けた。
「ホムラ様は今、心に深大な闇を抱えておいでです。昨日、その心の闇を私も共に背負うことをお許しくださいました。ですから私は今ここでこうしてあなたとお話をしているのです、ユウヒ様」
「カナンさん…」
「カナンとお呼び下さいませ、ユウヒ様」
「では…カナン。そのリンの心の闇というのは、今日の体調不良と何か関係があると思っていいんですね?」
少し的外れではないかとも思ったが、ユウヒはまず自分の頭の中を整理したかった。
思っている事を伝え、聞きだせる事は聞いて、早急に何がどうなっているのかをはっきりさせなくてはならないという妙な胸騒ぎがあったからだ。
ユウヒはじっとカナンの答えを待った。
するとカナンは予想に反して、何の躊躇もなくユウヒの問いに答えを返してきた。
「関係があるというか、そのものだと思っています。ホムラ様は私に言ったのです、神の声など聞こえないと」
「あぁ…それで神託などないと、さっき言ったんですね」
「そうです」
リンが弱音を吐ける人間が近くにいるというのは姉としては喜ばしい事だった。
だが、素直にそうも言ってられない事情がユウヒにはあった。
カナンがいったい何をどこまで知っているのか、だいたいリンはあの祭の本当に意味に気付いているのか、考えれば考えるほどユウヒは嫌な予感がしてならなかった。
そしてそれは、カナンの次の言葉で現実のものとなった。
「ホムラ様に神託が下ったのはただの一度だけと聞きました。ホムラ郷での神宿りの儀の夜、ホムラ様の身に神が降りてこられたその時に、ただ一度だけ神の意思を確かに受け取ったと、そうおっしゃっておられました」
――まずい!
ユウヒの背中を冷たいものが走った。
リンは知っている、ユウヒは直感した。
――カナンは? カナンはどこまで聞いてるんだ?
そう言いたくても言葉が出ない。
そんなユウヒの様子を確認するかのようにカナンはずっとユウヒを見つめ続けている。
そのカナンの深呼吸するゆっくりとした呼吸の音をユウヒの耳が捉え、またカナンが何かを言おうとしているのだと気付く。
ユウヒの身体が無意識に強張った。
「ホムラ様は、私にこうおっしゃいました。今の王は、この国の本当の王ではないと…真の王は他にいるのだ、と」
ユウヒは心臓を鷲掴みにされたような気がした。
しかしユウヒ平静を装い、カナンがどこまで知っているのか確かめようと口を開いた。
「他にいるって? シムザは本当の王ではないと、リンがそう言ったんですね?」
「そうです。ただそれ以上は何も…頑なに言う事を拒まれるのです…聞かせてはいただけなかったのです」
カナンはリンが言った真の王の正体までは知らされていないのだとわかり、ユウヒはとりあえずホッとした。
だがそれを人目を避けて祠に籠もってまで自分に伝えに来たカナンの意図はまだわからない。
気を抜くにはまだ早すぎるとユウヒは考えていた。
「ユウヒ様」
「…はい」
普通に返事をしたいのに、どうしても声が震えてしまう。
ユウヒはいつになく緊張している自分を持て余しながら、一瞬も気を抜けないこの状況をどう切り抜けようかと必死に逃げ道を探っていた。
「ユウヒ様にお願いしたい事がございます」
「え…何? 何をいったい…っ!!」
思わずユウヒは一歩後ずさってしまった。
カナンがいきなりユウヒの足下に平伏したからである。
「ちょっ…何をいきなり…っ」
「お願いでございます。私に、その祭の夜、何が起こったのかお教え下さいませ。あのお方が何を一人で抱えておられるのか、何を一人で苦しんでおられるのか、私は知りたいのです。闇の中から光を探すあの方に、手を差し伸べて差し上げたいのです。ユウヒ様、どうか…どうか……」
それまでの気丈な態度が嘘のように、肩を震わせ必死になって平伏する姿はまるで別人のようだった。
何か声をかけようにも、どうにかごまかしてやり過ごそうにも、カナンの懇願するその姿に完全にユウヒは押されてしまっていた。
「ユウヒ様、お願いします。どうか、真実を私に教えて下さいませ!」
「カナン…」
手詰まりだった。
ユウヒは本当に、どうしたらいいものかわからなくなってしまっていた。
かと言ってうかつに真実を口にする事はできない。
――どうしたらいいんだろう…。
そう思ったユウヒの脳裏に、前日の夜、サクの言った言葉が浮かんできた。
即位式がどういったものであるのか、その段取りなどを話していた時の事だ。
その時の会話の内容を思い出した途端、ユウヒはハッとして迷いが消え去り、その思考に冷静さが戻ってきた。
――真実を…私の正体を伝えるわけにはいかないけど…この人に嘘はつけないよ、私は。
ユウヒはカナンのすぐ側に腰を下ろし、その手を取った。
「カナン。もうやめて…どうか顔を上げて下さい」
ユウヒが声をかけると、カナンはゆっくりと身体を起こした。
その額は、床を薄く覆っていた小さな埃で汚れている。
リンの力になろうとここまで必死になってくれる人がいるのだと、ユウヒは姉として心から嬉しく思った。