その翌朝、ユウヒはいつもより少し早めに目が覚めた。
日はもう昇ってはいるが、辺りはまだほんのり薄暗い。
眠気のせいか、少しだけ気だるさが残っているのは、前日の夜遅くまでサクの執務室で即位式の話をしていたからだろう。
サクがいうところの「魂の記憶」のせいで感情を制御できずに情緒不安定となったユウヒが、どうにか落ち着くまで何という事のない話をしながら時間をつぶした。
その時間が思った以上に長かったために肝心な話を始めるのが遅くなってしまったのだ。
結局その日の夕食すらも、その執務室の奥の間でとることになり、酒も入って話は必要以上に盛り上がった。
スマルとサクの二人にまともに付き合っていてはユウヒの身がもたない。
途中で抜けて自室で眠ったが、サクとスマルがその後どうしたのかはユウヒは知らなかった。
「んん…っ!」
身体を起こしたユウヒは大きく伸びをして、寝台から降りた。
窓を開けて朝の空気を思い切り吸い込むと、寝ぼけ半分だった頭もすっきりして一気に目が覚めた。
「へぇ…これが王宮からの眺めか。壮観だねぇ」
窓の外の景色を見て、何となくユウヒはつぶやいてみた。
少し気温が高いのか、霧がかかっている。
ところどころ見え隠れする王宮内の建物が、かえって幻想的な風景を作り上げていた。
霧に吸い込まれているのか、なんの物音もしない静かな朝。
ユウヒの城での生活第一日目はそんな風に始まった。
――よしっ!
ユウヒは窓を閉めると急いで着替えて、顔を洗った。
髪を梳かして後ろで一つに束ねると、剣を手にユウヒは部屋を出た。
まだ寝ている者も多いだろうとなるべく音を立てずに階段を駆け下りていく。
塔の一番下まで降りると、四神の天井の下を通ってユウヒは外へ出た。
「うわぁ…」
驚きが思わず声に出る。
霧が晴れ始めた王宮の中庭は、塔の上から見ていた時以上に幻想的で不思議な空間となっていた。
――なんか…祭の夜を思い出すなぁ。
ホムラでの最後の祭の夜、同じように霧に包まれてユウヒはリンと共に剣を手に舞った。
その時から自分の運命は大きく動き始め、今、ユウヒはここ、王宮にいる。
城にいるとはいえ、自分に与えられた使命とはずいぶんかけ離れた場所に立っている。
自分で歩く道を探りながらやっとここまで辿り着いたが、先はまだまだ気が遠くなるほど長いように思えた。
――だめだめ。焦っちゃだめだ。
ユウヒは迷いを断ち切るかのように自分の頬をぴしゃりと両手で打つと、手足の筋を伸ばすなど、体をほぐし始めた。
まだ誰も中庭にいないこの時間であれば、何も気にすることなく剣舞の稽古ができるのではないかと思ったのだ。
一通り身体を動かし準備が整ったユウヒは、辺りをぐるりと見渡した。
人影は見当たらないが、まだ霧が少し濃い。
いつもの調子で剣を振り回しているところに誰かが現れないとも限らない。
ユウヒは剣を抱えて、側にあった大きな石の上に腰を下ろした。
「あともうちょっとなんだろうけど…早く霧、晴れないかなぁ…」
ユウヒは座ったままで鞘に納まった状態の剣を手にすると、空中に円を描くようにぐるりと剣を回した。
そのままぼんやり物思いに耽っていると、前日、王の間でシムザに言われた言葉が耳の奥に蘇ってきた。
――ユウヒ姉さんの剣舞、リンと一緒にっていうのはどうだろう?
とんでもないと思った。
シムザにはどうにかうまくごまかして納得してもらったが、本当の理由はホムラ様であるリンに怪我をさせたらいけないなどというものでは当然ない。
リンと二人で舞うことで、またあの祭の夜のような事が起きてしまったら…そう考えるとおそろしくなったのだ。
それよりもユウヒが気になっていたのはサクの事だった。
シムザのように、すんなり納得したとは思えなかったが、即位式の話をしている時にそれを確認してくるようなことは一切なかった。
それが逆に不自然にも思えたが、そこを突っ込まれても返事ができない。
ユウヒはただ黙って、話題がそちらにいかないようにと祈るしかなかった。
――まぁ、考えても仕方がないか。あっちが何考えてんだか、まだわかんないんだから。
霧がだいぶ晴れてきて中庭全体が見渡せるようになったのを確認して、ユウヒは腰布に剣を二本固定し、特別に細工された紐の輪に手を通すと、鼓動が一つ大きくどくんと打った気がした。
呼吸を整えて神経を研ぎ澄ます。
逆手に握った右手の剣をゆっくりと抜くと、ぶんと大きく振り回して手首の紐をくいっと引く。
剣の柄が右手にしっくりと納まったところで左手でも同じ事を繰り返す。
思えば久しぶりの剣舞であった。
いつもよりもゆっくりとした動作で、一つ一つの動きを確かめながら舞う。
剣の先、そして足の爪先まで神経を行き渡らせながら、その繊細な動線を目で確認する。
ユウヒ一人、霧の晴れ始めた中庭で、足下の砂粒を踏みしめるじゃりっという音すらも聞こえてくるほどに静かな剣舞だった。
二本の剣が、朝日を受けて時折きらりと銀色の光を放つ。
その光に誘われるように何者かが近付いてくる気配を感じ取り、ユウヒは舞うのをやめ、どちらの剣もその鞘におさめた。