リンとカナン


「はい?」

 カナンが返事をする。
 ホムラであるリンの声を聞ける者は城内でも限られていた。

「王の遣いの者だ。カナン殿はご在室か?」

 そう言われてカナンは立ち上がり、扉の前に立った。

「カナンです。なにごとですか?」
「これより半刻ほどの後、こちらに王がお見えになる」
「半刻? それはまた慌しい…こちらにも準備というものがあります。また何ゆえそのような…?」

 カナンは常にホムラの側に立って物を言うため、王の遣いといえども遠慮するような素振りは少しも見せない。
 少し苛立った様子を感じ取ったのか、扉の向こうの返事が少し遅れて聞こえてきた。

「ホムラ様と話がしたいとの事。ホムラ様のご予定は…」

 その声を聞いてカナンがリンの方を振り返ると、リンは申し訳なさそうに頷いた。

「わかりました。半刻ほど、ですね。お待ちしておりますと王にお伝え下さいませ」
「承知。では、失礼する」

 衣擦れの音がして、遣いの者の気配が扉の向こうから消えた。
 カナンが吐息を漏らして振り返ると、リンがお茶を注ぎ終えてカナンが戻るのを待っていた。

「まぁ…ありがとうございます。お茶が冷めてしまいますね」

 カナンは急いでリンの許に戻り、腰を下ろした。

「お待たせして申し訳ございません。さ、お茶の続きを…」
「そうね。ねぇ、カナン。王は何の話をなさるんだと思う?」

 唐突に切り出したリンを少し驚いたようにカナンは見つめると、お茶で少し喉を潤してから口を開いた。

「さぁ、私には…ただ王となられてからはいろいろとお忙しいご様子。空いた時間は少しでもホムラ様と共にお過ごしになりたいのでは?」
「…そうかしら? 私にはそんな風には思えないのだけど」
「さようでございますか?」
「王には内緒にしてね。こんな事思っていると知ったら、きっと王はお怒りになるから」
「承知いたしました」

 リンとカナンは顔を見合わせて笑うと、そのまま王が来るまでの時間を他愛もない話をしながら楽しく過ごした。

 セイが持ってきた焼き菓子の皿が空になった頃、扉の向こうの廊下が騒がしくなってきた。

「あらあら、半刻ほどと申していたはずなのに…まだ何の準備もできていませんね。ホムラ様いかがなさいましょう?」
「とりあえず器は全部下げてちょうだい。王にお出しするお菓子やお茶は、またあとで用意しましょう。用向きがわからないから、お茶をいただくような雰囲気ではないかもしれないしね」
「わかりました。では私は急いでこちらを片付けますので、ホムラ様には申し訳ありませんが、ご自分で御髪を…」
「そんなに恐縮しないでカナン。私だって、自分でできる事は自分でしたいもの」

 そう言って鏡の方に向かうリンの背中を、カナンは片付けをしながら目で追った。

 ――私だって、とおっしゃった。他にそう言った者がいるという事か?

 カナンは茶器類をすべて盆に乗せると、手早く卓の上を拭き、控えの間に下がった。
 自分の事は自分でしたいという主張をリンがしたのは、カナンがホムラ様であるリンの身の回りの世話をするようになってから初めての事だった。

 ――ユウヒ様の影響、か…。

 カナンはあらためて姉ユウヒの妹への影響の大きさを感じた。

 自身も妹のいるカナンは、妹達が何かにつけ姉であるカナンと自分を比較して、無意識に張り合うような態度をとっていたことを知っている。
 すべての姉妹がそうとは限らないが、ひょっとするとリンにも同じようなところがあるのかもしれないとカナンは思った。

 ホムラ様であるリンには、剣舞の舞い手として城へ来たユウヒに比べて自由が少ない。
 今の自分とユウヒとでは比較しようがないという事をリンが気付いているのかどうか…これまで以上にリンの言動に気を付けなければ、おそらくリンは自分自身の手で自分を追い込むことになってしまうとカナンは少し不安になった。
 ふっと息を吐き自分に気合いを入れると、カナンはリンのいる居間に戻った。

「そろそろいらっしゃいますね。ホムラ様、準備はよろしいですか?」
「えぇ、私は大丈夫。カナンは?」
「私の事など王は気にもしませんよ、さぁ、そちらで…」

 王を迎えるために、カナンが脇に控えて両膝をついたその時、扉の向こうがなにやら騒がしくなり、扉を叩く音が聞こえたと同時に、中の返事を待とうともせずに部屋の扉が勢いよく開いた。

「失礼する! ホムラはいるか!?」
「王! どうなさったのですか、返事も待たずに…」

 リンの驚きの声もかまわずに、王であるシムザは部屋の中にどかどかと入ってきた。
 側仕えの者達は皆例外なく扉の外に追い出され、王単独での訪問だった。
 なにごとかと言葉を失い、呆気にとられているリンに気付くと、シムザは嬉しそうに笑ってリンに近付きその手を取った。

「座って話そう、リン」
「王…」
「シムザでいい。カナン、お茶の用意をしてくれ」
「かしこまりました…」

 困ったような顔でカナンが返事をして立ち上がると、シムザが控えの間に行こうとしているカナンを呼び止めた。

「カナン。それが終わったらお前もはずしてくれるか?」
「ホムラ様がお許しになるのであれば…」

 振り向きもせずにカナンが答えると、シムザはリンの方を向いて言った。

「どうする?」

 リンは少しだけ考えてから口を開いた。

「できれば…出て行ってしまうのではなく、控えの間にいてもらえると安心します」

 それを聞いたシムザは、その答えが気に入らなかったのか少しだけムッとしたが、すぐにカナンに声をかけた。

「ではそうしてもらおう。聞いていたか、カナン」
「はい。かしこまりました」

 今度はきちんとシムザの方へ向き直り、丁寧に拝礼し、カナンは控えの間に姿を消した。