リンとカナン


「まぁ…ホムラ様。そのような…」

 カナンが慌てて駆け寄ると、リンは首を振って、カナンに座るように言った。

「だってこのお菓子、本当においしいのよ。カナンも一緒にいただきましょうよ? お茶の相手をして欲しいの」

 少し上目遣いに相手の様子を窺いながら話すリンの様子は、いくらリンがホムラ様といえども、極普通の若い娘のそれとなんら変わりはない。
 カナンは笑みを浮かべて頷いた。

「では、お言葉に甘えて…」

 リンは嬉しそうに、自分の向かい側の椅子へとカナンを促した。
 カナンが遠慮がちにリンと向かい合って座ると、リンはお茶を一口だけ口に運び、おもむろに口を開いた。

「私はそんなに落ち込んでいるように見えた?」

 カナンは受け皿ごと茶器を持った手を一旦おろし、リンの言葉に返事をした。

「はい。とても浮かない顔を…あのままでは、王からの遣いの者が何ごとかと不安になるのではないかと思うくらい、悲しそうな、どこかとても寂しそうなお顔をしておいででした」
「そうか…うん、そうだね」

 リンはそう言って自分の頬をぴしゃぴしゃと両手で軽く叩いた。

「よろしければ…」

 カナンの言葉に、頬に手をやったままでリンの動きが止まった。
 カナンはそのまま言葉を続ける。

「もし私でよろしければ、お話を聞かせていただけませんか?」
「カナン?」
「何があなたの顔をそのように曇らせているのか知りたいのです。久しぶりにユウヒ様に会えるとあんなに楽しみにしていたのに、やっと会えたと…やっと話ができたとどんな嬉しそうな顔でお戻りになるだろうかと思っていたら、あなたはずっと泣きそうな顔をしていらっしゃいます。それはいった何故なのですか?」

 リンは驚いたように目を見開いてカナンを見つめた。
 こういう時のカナンは決まってとても優しい顔をしていて、リンはいつもそれに癒されてきた。
 リンはふっと力なく笑うと口を開いた。

「本当に…子ども染みてて、自分本位な話なんだけどね」

 戸惑いながら話すリンの言葉に、カナンは微笑みを浮かべたまま、静かに耳を傾けている。
 リンは照れくさそうに話を続けた。

「さっき、即位式の話をしたの。その時に奉納される剣舞の話を…姉さん達としたんです」

 リンの顔に、また影が落ちた。
 しかしカナンはさっきと全く変わらない微笑のままで、じっとリンを見つめている。
 リンは小さく呼吸をして、また口を開いた。

「王が…シムザが私と姉さんとで剣舞をやってはどうかと、そう提案したんです。郷での祭の時の剣舞が見事だったからって…そしたら、ほとんど悩むことなく姉さんに断わられてしまったの」

 一気にそう吐き出すと、リンは少し落ち着いたのか小さな溜息を一つ吐いた。

「わかってるの、頭では。姉さんの剣は真剣。ホムラである私の身に何かあったらと気遣ってくれるのも、私の存在がどんなもので、昔のようにはいろいろといかないっていうことも。でもやっぱり…姉さんにはただの妹として見て欲しかったな…」

 そう言ってまた寂しそうに笑うと、焼き菓子の乗った皿を手に持って甘い欠片を口に運んだ。
 カナンはまだ何も声をかけようとはせずリンを見守っている。
 リンの中で、答えが出るのを待っているのだ。

 焼き菓子の甘さに頑なだった心も少しずつ溶かされていく…そんな感覚を覚えながらも、リンはもやもやした気持ちがどうしても消えない自分に気付いていた。
 無意識に何かを避けようとしている自分がいる、それがわかっていたからだ。

 ――いったい自分は、何から目を背けようとしているのか?

 それを考えようとすると、リンはいつも目がまわる様な感覚に襲われていた。
 カナンの顔からいつの間にか笑みが消え、心配そうに自分を見ている事に気付くと、リンは慌ててお茶と一緒にお菓子をのどの奥に流し込んだ。

「あらあら、大丈夫ですか?」
 カナンが声をかけると、リンが恥ずかしそうにそれに答える。
「大丈夫。あの、その…私は何かずっと、大切なことを忘れてしまっている気がするの」
「大切なこと、ですか?」
 今度はリンの言葉にカナンが反応した。
「そうなの、大切なこと。でもそれを考えようとすると眩暈がするというか、私は無意識にそれを考えないようにしている気がするんです」
「…それがどんな事なのか、想像もつかないんですか?」
「それも…考えられないの。さっきも…姉さんとの剣舞の話をしていた時にもね、同じような眩暈がしたわ」
「そうですか…ちょっと、失礼しますね」

 カナンはお茶のお替りを入れにいくからと言って席を立った。
 考え込んでいる顔をリンに見られないようにするためだ。

 ――ホムラ様があのように寂しげな笑みを浮かべるようになったのはいつ頃からだったか…?

 最近カナンがずっと考えている事だった。
 今日はそれがいつも以上にひどい事も気になっていた。
 お茶の葉を入れ替え、熱いお湯を注ぐと湯気がふわっと立ち上る。
 その香りに鼻腔をくすぐられながら、カナンはあれこれと思いを巡らせていた。

 お茶の香りが部屋の中にもほのかに漂い始め、その葉が程よく開き始めた頃、カナンの表情にはまたいつもの優しい笑みが戻ってきていた。

「お替りはいかがですか?」

「ありがとう、もらいます」

 リンの言葉に微笑み返し、カナンが席に戻ろうとした時、何者かが扉を叩く音が部屋に響いた。