国内旅行 高級賃貸 マンション 4.リンとカナン

リンとカナン


 天井にまで届く大きな扉が、重々しい音を立てて一筋だけ残っていた光の筋を消し去った。

 広い王の間に残ったリンとシムザの二人は、特に言葉を交わす事もなく静かに立ち上がった。
 ユウヒ達が外に出たことで戻ってきた宮仕えの者達が、その二人の周りを慌しく囲む。
 二人の身に何ごともなかった事を確認すると、たくさんの女官達と護衛に囲まれたリンの方から先に王の間から退出となった。

「リン!」

 その背中に向かって、突然シムザが声をかけた。
 シムザが王になってからというもの、この二人以外の人間がいる時にシムザがリンを名前で呼ぶ事などほとんどない。
 その場の視線が一斉に王、シムザに集中した。

「あ、いや…ホムラ」

 シムザが言い直すと、リンが少し寂しげな笑みを浮かべて振り返った。

「なんでしょうか、王」
「後ほどそちらへ遣いを送る。部屋で待て」
「仰せのままに…」

 リンは軽く会釈をすると、王の間をあとにした。

 王の間から出ると、その造作、装飾からして他とは明らかに異なる廊下に出る。
 時の王とホムラのみ通ることが許されている特別な通路だ。
 その廊下を進んだリンは階段を降り、王の間のすぐ下の階層にある自室に戻った。

 護衛の男たちは部屋の中までは入ってこない。
 部屋に入る事を許されている周りにいた女官達は、少し誇らしげな顔をしてササッとリンの側に近寄ると、ホムラが正式な場でのみ身に着ける装飾や装束を手馴れた様子で次々に解き、日常過ごす時に着用しているもう少し機能的で動きやすいものへと着替えさせ始めた。
 ずいぶんと伸びた黒い髪もまた、それに合わせて結いなおす。
 リンはされるがままに、ただぼぉっと立ち尽くしていた。

「少しお疲れになりましたか?」

 リンの様子を心配そうに見ていた女官の一人が気遣って声をかけてきた。

「大丈夫。ありがとう」

 そう言って微笑むリンの表情はどこか影がある。
 やはり少し様子がおかしかった。

「あとでとても良い香りのするお茶と、何か甘いお菓子でもお持ちいたします。ホムラ様の御気分も、きっとよろしくおなりでしょう」

 そう続けた女官に、リンは黙ったまま微笑みかけた。

 脱いだ装束をそれぞれひとまとめにして抱えた女官達がばたばたと慌しく出ていくと、部屋の中にはリンともう一人、カナンという名の女官の二人きりとなった。

 カナンはリンがホムラとしてこの城に来た時に初めてその身の回りをの世話した女官で、以来ずっとリンの側仕えをしている。
 宮仕えの女官達の中でもその経験と知識において彼女の右に出るものはいないと言っていいほど、最上位の女官のうちの一人だった。
 齢はすでに四十に近く、一緒に暮らしてはいないようだが娘がいるという噂だった。
 母であるという事が関係あるのかどうか、その懐はとても大きく、その判断は常に冷静だが、情に厚く温かみのある女性だった。

「姉君…ユウヒ様とおっしゃいましたか…お元気でしたか? 少しくらい…お話は出来ましたか?」

 カナンは主のホムラであるリンに話しかける際にも、娘か妹にでも話しかけるような優しい表情で声をかける。
 またリンと二人きりになった時に限り、必要以上の敬語は使わない。
 母か、姉であるかのように温かく見守り、傍らに寄りそうようにしてリンの事を支えている。
 城へ来てまだ間もない頃、自分の居場所が見つけられず不安に押しつぶされそうになっていたリンを見かねて、カナンの方から無礼を承知で申し出たのだ。
 どこにも拠り所のなかったリンは、それを喜んで受け入れた。
 それ以来、カナンは公私両面においてホムラであるリンの事をしっかりと支えており、シムザが王となった今でもそれは変わらない。

 とはいえ、神の声を伝えるホムラに対してそのように接する事を、おそらく他者は認めない。
 だからこれは二人だけの秘密だった。
 普段着に着替え、身が軽くなったのを満喫するかのように、リンは大きく伸びをした。
 そしてカナンの温かな視線に応えるかのようにリンは微笑んで口を開いた。

「ふぅ…話はできたよ。少しだけだったけど」
「そうですか…その、ユウヒ様はお変わりなく?」
「うん。そうね。姉さんはあいかわらず…やっぱりすごい人だったよ」
 そう言うリンの顔を覗きこみながらカナンは言った。

「何かありましたね? とても浮かぬ顔をしていらっしゃいますもの」

 リンが驚いたように顔を上げてカナンの方を見ると、カナンは静かに笑っていた。

「そのようなお顔をなさっていると…」

 カナンが何か言いかけたところで、戸口の方から扉を叩く音がした。

「はい?」

 カナンが返事をして扉の方へ近寄ると、その向こう側から先ほどリンに話しかけていた女官の声がした。

「あの…ホムラ様にお茶とお菓子のご用意を…」
 遠慮がちに吐き出される言葉に、カナンは笑顔で扉を開けた。
「あ、あの…これを……」
 少し前にホムラであるリンに直接お茶の用意をすると話しかけた者とは思えないほどに、その女官は扉の前で恐縮して小さくなっていた。
 心なしか、茶器や菓子を乗せた盆を持つ手も震えているように見える。

「それはきっとホムラ様もお喜びになる。お前があちらまで持って行って差し上げなさい。あとは、私が引き受けましょう」

 カナンがそう言うと、女官は照れたような笑みを浮かべてちょこんと礼をすると、そのままホムラの部屋の中ほどへと進んだ。

 リンは革張りの長椅子に座ったまま、その女官を迎えた。
 女官は茶器などが乗せた盆をそのままリンの前の細長い卓に置くと、両膝を床につき、両手を顔の高さまであげてリンに拝礼した。