記憶


「…っ! あ…の、馬鹿女!」

 スマルは小走りに回廊を階段の方へと進み、最下層まで一気に駆け下りた。
 入り口の前を横切ろうとすると、戻ってきたサクが顔を覗かせた。

「あぁ、スマル! どう? ユウヒは来ましたか?」
「たった今見つけたところです。あいつはたぶん禁軍の詰所ですよ」
「はあ!? 何だってまたそんなところに…」

 呆れたように言ったサクと共に、スマルは左側の階段を駆け上り、禁軍の詰所へと急いだ。

「スマル、ユウヒに何かあったんですか?」
 戸惑った様子で訊ねるサクに、スマルが答える。
「いや、わかんないけど…金属音がさっき聞こえたもんで」
「金属…剣ってこと? 詰所に迷い込んで、からかわれたりしてるんじゃないよね?」
「そんなんわかんないっすよ。まったく、何やってんだか…」

 二階層目に着いた二人は、着衣を簡単に正して禁軍のいる詰所の入り口に立った。

「お、これはサク殿。いかがした?」

 入り口の近くにいる兵士の一人がサクに気付いて声をかけた。
 サクは両手を掲げて頭を下げると、スマルと共に詰所の中に入ってその男に訊いた。

「いや、人を探してまして…」

 どう言ったものかと思案していると、兵士達の人垣の向こう側から探し人の声が聞こえてきた。

「はぁ…、あんた達、禁軍だったんだねぇ! こんなところで会うなんて驚いたよ」
「そりゃこっちも同じだぞ、ユウヒ。化粧までして…見違えたぞ」
「あぁ…それは言うなって言ったじゃない! 女官達がさぁ、このままでいろって許してくれなかったんだよ」

 気落ちしたように言うユウヒの言葉に、兵士達の間から笑いが起こる。

「いいじゃねぇか。うっかりするとお前が女だって事を忘れそうになるからなぁ! それくらい主張しとけば、俺達も間違わんぞ」
「勘弁しとくれよ、もう…」

 親しげに交わされる会話に、スマルとサクが驚いて顔を見合わせる。
 すると先ほどの兵士が笑いながらまた声をかけてきた。

「なんだ…探してるのはユウヒの事か」
「え、えぇ…そうなんですが…あの、ご存知なんですか? 彼女のこと」
 サクが聞くと、今度はその兵士の方が驚いたような顔をして言った。
「俺達がよく出入りしてる店にいたんだ。舞いも見事だが、剣を振るわせてもなかなかの腕だ…手合わせした者も何人かいる」
「そうでしたか。いや、即位式の時にユウヒが剣舞を披露するもので…その段取りやなんかをね、話そうと言っていたんですよ」
「なるほど。そちらに向かう時にここへ迷い込んだんだろう…今、呼びましょう」
 そう言って兵士は立ち上がり、人垣をかき分けて詰所の奥へと入っていった。

 話し声が聞こえ、それに続いて兵士達の愉快そうな笑い声がどっと沸きあがる。
 その間を掻き分けて、ユウヒがひょこっと顔を出した。

「あ、ごめん…探しに来てくれた?」

 ばつが悪そうに頭を下げるユウヒに、サクが溜息混じりに言った。

「まぁ、何ごともなくて良かった。執務室は反対側ですよ。案内の女官はどうしたんです?」
「その…どうもあぁいうのには慣れなくてさ。自分で行くからって案内を断ったんだよ」
 それを聞いたサクは、もう一度小さく溜息を吐いた。
「中に入ったら右側の階段を上るようにって、言われなかった?」
 確認するようにユウヒにそう言うと、サクは禁軍の兵士達に軽く頭を下げ、廊下を階段の方へと歩き出し、スマルもそれに続いた。

 ユウヒは挨拶もそこそこに詰所を賑やかに飛び出すと、サクとスマルの後を追った。

「ごめんなさい。場所はちゃんと聞いてからここへ来たんだけど…」
 申し訳無さそうに言うユウヒに、サクが笑いながら答える。
「間違えちゃいましたか?」
「間違えたっていうか、自然に足が向いちゃったっていうか」
「禁軍の詰所に、ですか?」

 サクが不思議そうに言うと、スマルはハッとしたようにユウヒを見た。
 ユウヒはスマルの視線に気付いたが、言わんとするところまでは気付けずにそのまま話を続けた。

「なんだろうね。遅くなっちゃったなぁって思いながらこの建物に飛び込んで、そのまま何も考えずに階段を駆け上がって…気付いたらあそこにいたんだよ」
「そしたら知った顔がいた、と?」
「あぁ、ジンの店によく顔を出してた連中が…宮仕えとは聞いていたけど、まさか禁軍の兵士だとは思いもしなくて…いや、驚いたなぁ」
「そうですか…」

 危なっかしい足取りで階段を降りていくサクの後ろを、スマルと並んでユウヒも降りていく。
 楽しげにも見えるユウヒの横顔に、スマルはなんと声をかけようか迷っていた。

 意識的にしろ無意識にしろ、ユウヒの足が禁軍の詰所に向かってしまったのは、おそらくヒリュウと関係があるとみて間違いない。
 ユウヒにとって初めてのこの場所も、ヒリュウにとっては通い慣れた仕事場なのだ。
 ヒリュウの話が即、ユウヒが蒼月であるという話に繋がるとは思えないが、国の仕組みや歴史などについて詳しいというサクの事だから、ヒリュウの事を知っている可能性もなくはない。
 ユウヒが蒼月であるという事をサクに伏せている以上、今回のようなあからさまな行動は気を付けさせた方がいいのではないかとスマルは考えていた。

「どうした?」

 両手を腰に当てて、難しい顔をして階段を降りるスマルにユウヒが声をかけた。
 驚いたようにスマルがユウヒを見ると、ユウヒはニカッと歯を見せて笑いながら言った。

「難しい顔してる。何か…考え事?」
「あ? あぁ、まぁ…な」
「…そっか。何かあるなら、話聞くよ?」
「あぁ。まぁ、そのうちな。」

 サクを気にして、スマルは苦笑しながらユウヒに返事をした。
 階段を一番下まで降りて棟の入り口まで来ると、先を行くサクがその足を止めた。