「なな…っ、何を馬鹿な事を!」
その声は怒気を含み、それをきっかけに場がざわつき始める。
サクは膝に手を置いて、そのやり取りと自分に掛けられる言葉を一つ一つ静かに聞いていた。
「お前ほどの男でもそのように惑わされるのだ。いらぬ疑念を生むような種はつぶしてしまうに限る。そうではないのか!?」
「王を騙るなど即刻死罪。いくらホムラ様の実姉といえど、この様な非礼、赦されるものではあるまい」
「おっしゃる通り、赦されるものではない。ホムラ様がまだ御不在の今日明日中にでも、首を刎ねてしまうのがよろしい」
ユウヒを死罪にという話の流れに、旧知の仲であるはずの王の顔には苦渋の色すら浮かんでいない。
サクはそれを確認すると、おもむろに口を開いた。
「だがもしもそれがただの作られた物語ではなく、この国の本来あるべき姿であり、蒼月が王で、ユウヒがその蒼月だとしたら…どうですか?」
サクの言葉に場が静まり返る。
そしてまたソルが口を開いた。
「ば…っ、馬鹿馬鹿しい。物語を信じるような齢でもあるまい、サク殿。まさかあの女を助けようとしてその様な事を言っておられるのではあるまいな」
してやったりと言いたげな表情のソルに、サクは呆れたように返した。
「ソル秋大臣ともあろう方がつまらぬ事を申される。それこそ馬鹿馬鹿しいというものでございましょう。私はユウヒの救命のためにこのような話をしたわけではありません」
「ではいったい何のために話したというのだ?」
「はい…先ほど私は『王は常に四神と共にある』と、また『王はその力をわが身のように使うことができる』とも言いました。今回の発端となった王宮中庭での一連の出来事が、蒼月のそれではないと言い切れないのではないかと…そう言いたかったのです」
また場がざわめき始めた。
だが先ほどまでとは違い、皆の顔には明らかに戸惑いの表情が浮かんでいる。
サクはさらに追い討ちをかけるように畳み掛けた。
「そもそも今回逃がしてしまった罪人シオですが…王都下で起こりました例の火事、あの炎の中にあって助かったそうです。私も焼け跡に足を運び自ら検分致しましたが、これまでのああいった火事とは違い多くの不自然な点が見つかりました。死体の数も当初の話よりもずいぶん少なく…」
「サク殿。滅多な事をいうものでは…」
サクの言葉をソルが遮ったが、それでもサクは話すのをやめうようとはしなかった。
「今さら何を仰っているのですか、秋大臣。ここにお揃いの方々は皆ご存知の事ではありませんか、隠す必要などありますまい…続けます。あの火事、今までにない大規模な火事であったにも関わらず鎮火も早く犠牲者も少ない。いくら強力な術者を数人集めたとしても、そう簡単には消せないはずでした。私は今回の騒ぎになる前から、あれだけの火事をあの短時間で消せるだけの水量を操る事ができる「何者か」の正体を玄武ではないかと考えておりました」
「あの女が消したというのか?」
「少なくとも、シオをあの火事の中から逃がしたのはユウヒです」
玄武の名が出たことで、その場に再び動揺が走る。
それでもサクは構わず先を続けた。
「即位式を控えた今、国のあるべき姿をこの場で語っても仕方がない。ですが、あの者に手をかける事でこの国の守護者である四神にまで刃を向ける事になるのではないか、そこを懸念しているのです。ユウヒを器として何か妖の類が憑いているのは中庭の一件を見てもまず間違いないでしょう。その正体がわからぬままに死罪に処すというのは、この国全体を揺るがす事態を呼び起こしかねない、そう言いたいのです」
「今さら神も何もないとは思うが…もし四神が王と共にあるものであれば、こちらの新王陛下の下へ放っておいても下るのではないのか?」
そう言ったのは王の取り巻きの一人、側近のコザンだった。
コザンの言葉には皆興味深そうに耳を傾け、サクの返答に向けられる好奇心が場の空気ににじみ出ていた。
「それはありません」
「なぜだ? もしそのような者達が存在すればという話になるが、罪人などという穢れた器から我々が解放して差し上げれば、四神もその恩義を感じて王の下へと下るのではないのか」
「コザン殿は下るとおっしゃられるが、王とて所詮はこの国の民の一人。王が四神を従えるのではなく、四神の方が自ら仕えるべき王を選びそれに従うのです。それに先ほども言いましたが、そういう古来の伝承の通りであるとすれば王は女ということになります。新王陛下に四神が従う事はありえません、残念ながら」
正面の壇上にいるシムザの顔が歪む。
サクがそんな王の様子を一瞥すると、そのすぐ側、春大臣ショウエイが扇を音を立てて閉じるとおもむろに口を開いた。
「確かにそれは神話伝承の中の話かもしれませんが、ただ架空の話であれ何であれ、王が代々女性であったという証拠であれば宝物殿にありますよ。なんでしたらご覧に入れましょうか?」
何をいきなり言い出すのかとサクが驚いたようにショウエイを見た。
ショウエイはその涼しげな顔に微かに笑みを浮かべ、また話を続けた。
「この国の王はその頭に冠を戴きません。それはなぜか? 風習なのではありません。ないのですよ。女王のために用意された王冠しかこの国には存在しないのです」
「なんですと! それは誠か、ショウエイ殿!」
「えぇ。歴代の春大臣は皆知っていることです。もちろんこれは朱雀省の、いやこの国の最高機密。まぁどうしたわけか、知ってしまう者も中にはいるようですが…」
そう言ってショウエイは一切の問いを遮るかのように目を伏せた。
ショウエイの言葉は周りに、それに何より王、シムザの動揺を呼んだ。
「で、ではあの女が言っていた事は正しいと申すのか? 即刻解放し、新王になれとでも?」
ソルは思わずそう小さくこぼし、次の瞬間ハッとしたように身を強張らせて俯いた。
皆、王の方を見ることができずに視線が宙を泳いでいる。
政を行いやすいようにと、お飾りの王を玉座に据えたのは他ならぬ自分達なのだ。
本来、王になるべき人間ではない事は、誰よりもこの場に居合わせている面々が一番よく知っていた。
ユウヒが王になったとして、誰がこれらすべての責任を負うのか、女王の下に自分のいる場所はあるのかと、皆の考えが保身の方へと一気に傾いているのが手に取るようにわかる。
ショウエイはたまらず扇で顔を隠し、サクはそれを機にまた口を開いた。
「誰もユウヒを王になどという話をしようとしているのではありません。様々な状況がそうと指し示してはいても、全て推論の域を出るものではないのですから。かと言ってあり得ない事だと命を奪うのは余りに危険すぎる、神がどうこういう話になるとその影響など私には分かりかねます。いや、何か起こるかもしれないし起こらないかもしれない、わからないのですよ、誰にも」
「ではいったいどうしようと言うのだ、サク殿。何の解決策にもなっていないではないか」
ソルが痺れを切らしたようにサクに声をかける。
「神話伝承の中だけの話だと切り捨てるのもいいのですが、神殺しの可能性が消えないまま処刑に踏み切るのもまた何とも危うい」
サクは一息ついてまた話し始めた。
「でしたら答えはいたって簡単。何も気付かなかったことにして、ただ生かしておけばいいのです」