「それは…サク、お互い様だよ。そっちだって同じじゃない」
「いや、それはだって…見ていればわかるから」
「でしょ? 同じだよ、私だって。見ていればわかる」
そう言ってユウヒが黙ると、奇妙な沈黙が部屋の空気を支配した。
だからと言って、無理に言葉を探して会話をしなくてはという気分には不思議とならない。
サクもユウヒも黙ったままで、ぼんやりと消音石の淡い光を見つめていた。
心地よいと思えるほどの穏やかな静けさをサクがやぶった。
「…なるほどな」
そう小さくつぶやいたのを、ユウヒは不思議に思って聞き返した。
「何がなるほど、なの?」
「いや、ジンがさ…」
「ジンが?」
ユウヒが聞き返すと、サクはなぜか一瞬身体を強張らせた後、ばつが悪そうに言った。
「いや、なんでもない」
「そう?」
「あぁ、なんでもないよ」
「そっか、ならいいよ」
ユウヒはそう言うと立ち上がって消音石に近付くと、まるで見惚れているかのような目つきでその蒼い光の石を間近で見つめていた。
「…なるほど、な……」
またそうつぶやいたサクの声がすぐ後ろから聞こえた。
その声を聞くともなしに聞きながら、床に膝をついたユウヒは静かに目を閉じる。
石を撫でていたユウヒの手が止まったのに気付いたサクが、思い出したように慌てて背後からユウヒの肩を揺さぶった。
「おい、ユウヒ。そこで寝るな」
「ぇえ…?」
ユウヒがビクッと身体を震わせて頭を上げ背後を見やると、サクが呆れたように笑っていた。
「ほら、俺はそのへんにでも適当に座るから。お前は寝台に横になれ」
立ち上がったサクは、腕をつかんでユウヒの身体を起こした。
「ほら。スマルに頼まれてんだから…」
「スマルに? あいつが何を?」
ユウヒが訊ねると、サクはユウヒを寝台の方へ促してから苦笑して言った。
「あまり寝てないはずだから側にいてやってくれって…そうしたら眠れるだろうから、とかそんな事だよ。スマルがここに来るわけには行かないからな、俺に頼んだんだろう」
サクの言葉を横になって聞いていたユウヒだったが、突然ゆっくりと身体を起こした。
「なんだ? やっぱり眠れないか?」
「…いや、そうじゃなくて、その…サク、あの棚とかの引き戸や扉が全部ちゃんと閉まっているか見てくれると助かるんだけど…」
そう言われて、サクが不思議そうに聞き返した。
「どうした? 別にそんなの少し開いてるから眠れないってほど几帳面でもないだろう?」
「ううん。そうじゃないの。あの、変な話なんだけど…人が、出てきそうで怖くて、さ。きっちり閉めてあれば、引き戸や扉を開ける気配で目が覚めるから、逃げられるかもしれないでしょ?」
一瞬の沈黙の後、サクが口を開いた。
「そっか…なら仕方ないな。わかったよ。見てくるから横になってな」
そう言って書類を卓の上に置き、全ての扉や引き戸を確認するサクに、ユウヒが不思議そうに声をかけた。
「ねぇ…おかしいとは思わないの?」
「え? 何かおかしいか?」
聞き返すサクにユウヒが答える。
「おかしいよ。消音石がなければ棚が開いてるかどうかなんて見えやしない暗闇なんだし、まだ几帳面って答えの方が普通でしょ? 人が出てきそうなんていう馬鹿な話、なんですんなり納得できるの?」
「え? あ、あぁ…そうか。そういえばそうだな。でも、そりゃ無理ないよって聞いた時に思ったんだから、まぁいいじゃない」
事も無げに言いながら、戻ってきたサクは横になったユウヒに肌掛けをかけてやった。
「もういいから寝な、ユウヒ。俺が大臣達を納得させられるかどうかだが…これからが大変だぞ」
「うん。大丈夫。おやすみなさい、サク」
「あぁ、おやすみ」
ユウヒが目を閉じると、サクは持参した薄布で覆って消音石の光を抑えた。
そしてすぐ横の床に静かに腰を下ろすと、寝台に寄りかかって小さく溜息を一つ吐いた。
「ユウヒ…」
サクが小さく声をかけると、肌掛けがもぞりと動いてユウヒが返事をした。
「…何?」
「ん、その…さっきのみたいなの、よくあるのか?」
サクが遠慮がちに訊くと、ユウヒはサクの方に向きを変えてそれに答えた。
「人が出てきて…っていうあれの事? そうね、開いている扉の隙間や何かが気になるようになったのはジンの店で寝泊りするようになった頃からかな。気が付いた時にはもうどうにも落ち着かなくて寝られないようになってた」
「そうか。不思議だね」
「うん…他にもね、暗闇は平気なのに暗い部屋で揺れる蝋燭の火に照らされて伸びた影とか、灯りに照らされた木や柱の背後の暗闇が怖い。誰かが潜んでいる気がして、怖くて怖くてたまらない。あとは…水、とか」
「水? 泳げないの?」
ユウヒの言葉にサクが興味深げに返事をする。
ユウヒは首を振り、小さく笑うと口を開いた。
「泳げるよ。でも怖いの。怖くてしょうがない。日常の生活ではこれが一番困るな」
「困る? なぜ? 普段の生活でそんな大量の水…風呂くらいだろう?」
「そうなんだけどね。突然その恐怖に襲われるんだよ、例えば髪を洗って流している時だったり、あるいは顔を洗っている時だったり…水を飲んでいる時っていうのもあったかな?」
立ち上がったサクが寝台に腰を下ろし、不思議そうにユウヒの顔をのぞき込む。
ユウヒはそのまま話を続けた。
「鼓動がいきなり早くなるんだよ、もう苦しいほどに。水を飲んでるだけなのに溺れそうな気分というか…身体が震えだす時だってあるよ。あの恐怖感は本物だ、不思議だけど…本当に水が怖くてたまらなくなるんだよ」